駆け引きとか言うけれど。
引いた瞬間、きっと昨日の朝みたいに逃げられてしまう。
だったら追い詰めてしまったほうがいい。
「おはようございます」
「おはよ…送迎頼んだ覚えはないけどな」
「でも位置情報は送ってくれましたよね」
「…パクられたら最悪だからチャリは置いてくなよ」
「それより何か言うことないですか?」
予約しておいた美容室で、昨日帰って速攻切ってもらった髪。
「うん似合ってる、かっこいいかっこいい」
「2cmも切ったのに!」
「前から見るとあんまり変わんないし…」
貴方が額、出てた方がいいって何回も言うから。
「セットしたらめっちゃ変わります、チャリなのでしてませんが」
「後ろは涼しそうでいいな」
「髪乾かすのすごく楽になりました、さ、遅刻するので早く行きますよ」
「いつも家出るより10分も早いわ…」
朝強いのに、何にそんなに時間かかっているんだろうか。
「詰襟は?またそんな着崩して、怒られますよ」
「この歳で学ラン着させられてるオレに結構同情してくれてるよ」
「今日は集会あります」
「まって取ってくる…上がる?」
「…遅刻しちゃうので」
築32年単身向け1K物件、月額3.5万円管理費込み。
ネットで出てきた賃貸情報を頭の中で反芻しながら、その扉の向こう側に作られているであろう秘密基地を暴きたくて仕方ないのに。
「まあ、いつでも来れるしな」
そんなサラッと言ってしまうハチさんが腹立たしい。
だから俺は強制的に“良い子”を演じさせられる。
「待たせて悪いな」
「後1ヶ月もしないうちに前期中間試験です、毎日宿題終わるまで家に帰してあげませんからね」
「頼もし過ぎるわ」
そう言いながら扉に差し込む、新品ピカピカの鍵。
その剥き出しの頭に垂れ下がるボロボロのプラのキータグには、シールが剥がされて毛羽立った紙が入っているだけ。
「制服は?」
「リュックに詰め込んだ、行こうか」
「皺になりますよ」
「どうせ着いたらジャージだしいいんだよ」
105号室の目の前の駐車場。
そこに停められたバイクのシートを直しながら道路に出るハチさんを追う。
「バイク楽しかったですね」
「遠慮なしに抱き着いてたもんな、GW前と違い過ぎてビビったわ」
「安定感あったでしょ?」
「あったけどさ…」
「またどこか連れてってくださいね」
「ん、いいよ」
次はどこに行こう。
こうやって並んで歩くのも良いけれど、自転車は邪魔だし、道によっては後ろ付いていくだけだし。
「でもずっとモールス信号送ってくるのやめて」
「気づいてたんですか」
「音楽聴いてるのかと思ってたけどな、1時間同じリズムだったから」
「なんて言ってたか分かりました?」
「SUKI」
「俺も好きです」
「うん、ハイハイ」
またそうやって、適当に流す。
「…なんでそんなに見境無くなったの?」
「一回告白したら後はもう何回言っても全部同じなので」
「ポジティブ過ぎるわ」
「ハチさんがちゃんと応えてくれる未来があればポジティブにもなります」
「原動力がオレなの…」
こんな本心をぶち撒けられるのは、たったの3分間だけ。
この門をくぐったら程よい距離感に徹しなきゃいけない。
「…自転車置いてくるので行ってて下さい」
「え、一緒に行くよ」
「登下校も一緒にいたらあからさまじゃないですか?」
「んな小細工したところでどうにかなる?」
「ならないかも…」
だったら付き合って。
そう言いかけて飲み込む。
好きだと伝えて、それを拒否されないだけでもだいぶマシ。
自分に言い聞かせながら駐輪場で鍵を掛ける。
「ハチさん?」
「んあ、ごめん、行こうか」
この場所からだと高学年の校舎がよく見える。
貴方が見ているのは、旧クラスメイトがいる現在じゃなくて、あのひとがいる過去なのだろう。
「課題持ってきました?」
「寧ろそれしか持ってきてない」
「教科書は?」
「全部置きっぱなし」
今でも泣き出す程に過去に縋るこの人は、とても愛情深いのだと思う。
その矢印が自分に向いたら…?
「…可愛いひとですね」
「オレ?今の会話で?可愛いは違和感しかないわ」
だからこそ、期待しかない。
