FRESH(注:煩悩及び執着含む)

雨の音、選果機の音、作業する音。
雨雲で日差しの入らない薄暗い倉庫は、頼りない裸の電球で所々に薄い影を落とす。
湿気が酷くて息苦しい。まだ夏でもないのに。

「ハチさん…拭っても拭っても出てくるけどどうしたらいい?」

ってめっちゃ困ってるモモ。

「雨だから多少箱が濡れても誤魔化せるなぁ」

と何でもない事のように流す家族。

正直いつもの事なので、多分対応としては家族が正解。
自分の身体なのにコントロールできない、鼓動と同じ。

「オレはポンコツになったので頭使う仕事はモモに任せる」
「えー…がんばる」
「後は発送準備だけだから…ヤバい大変、頑張って」

あんなん仕込まなければオレはこんなにならなかったんだぞと、責任転嫁しておく。

「湿気でダメになるから、箱はこのパレット以外に置いたらアウト」
「こんな狭いところに?何箱くらい重ねられます?」
「多くてもモモの背の高さまでに。伝票これ、全部今日」
「何枚あるの…」
「夕方に来る輸送トラックにギリ載るくらい…とりあえず仕事教えるから着いてきて」

仕分けして箱詰めして梱包して伝票貼って、っていう単純作業なんだけど、如何せん数が多いしタイムリミットもある。

選果機から零れ落ちるオレンジ色。
それを丁寧に拾い上げる祖父母の皺の寄った二対の手。

「ここで選別したのを両親のとこまで運ぶけど、汚れとか規格外混じる可能性あるからよく見て」
「そんな目利きできると思います?」
「スーパーに並んでるの以外を弾いていけばいいよ、ばあちゃん少し見せてやって」

モモは、ヒトの懐に潜り込む才能がある。
なのになんで、教室でボッチしてたんだよって思うくらいに。
「こんなに綺麗な色なのにもったいないですね」
「傷があるとね、中身までだめって思われちゃうのよね…中身がダメでも外見で選ばれたりしちゃうのにね」

外見6割って言ってたモモはそんなの知りませんって顔して聞いてる。
ズルいやつ。

「ヤサクはねぇ、昔っから泣き虫でねぇ、もうすぐハタチだってのにねぇ…モモちゃん同い年だっけ?」
「いえ、僕は先月18になりました」
「あらま2個下」

数字の2は、あのひとの数。
穏やかで優しくて大好きだった瞳の数、太くてがっしりしてて温かだった腕の本数。
…最後に強請ってしてもらったキスの回数。

あ、また、視界が揺らぐ。


「これね、分別したやつ。こっちがハナちゃんの方ね…大事に持っていって」
「分かりました!」

モモは、本当に、良く動く。
身体が軽そう。
倉庫の奥の方に、貸したXOサイズのジャージが丁寧に畳まれているのが目に留まる。

母さんの手元を覗き込んで、暫くして戻ってきたモモ。

「また泣いてる」
「生理現象だと思って。次これ持ってくから、腰痛めんなよ」

伸ばされた手を払って、汗で張り付く髪ごと、腕で拭い取る。

「父さんはとにかく仕事早いけど…でも雑だから。ガムテのズレ確認して、片っ端から伝票貼って運んで」

たぶんオレがポンコツになったから、いつも通り雑ではないと思うけど。
ブルーシートを敷いただけの荒いコンクリートの上、膝を付きながら永遠と続く作業。

共通の話題と言えばオレの事くらいしかないから当然なのだけど。
本人を目の前にしてオレの会話で盛り上がるのやめてほしい。普通に恥ずかしい。

「保育所迎え行くと、いっつも紙に数字書いて待っててさ」
「今と変わらないんですね」
「画用紙自分で貼り合わせてね、俺の背より長ーいの、そんで持って帰るの大変で泣くの」

そんな話、初めて聞いたんだけど。

「可愛い…」
「俺が背低いからヤサクも止まったんだわな、モモくんは背まだ伸びてる?」
「一応まだ伸びてます、年に3センチくらいですかね?」

3も、あのひとの数。
別れようって言わせてしまった回数。
1回目は夢だと思った。1人ではもう生きていけないと本気で思ってた。
2回目は受け入れられなかった。泣きじゃくって引き留めて、あまりに取り乱すオレが何しでかすか分からなかったのだと思う。
3回目は夢だと思う事にした。隣にいられない今も、夢だと思い続けてる。


「ね、ガム持ってます?」
「…ポケットに入ってる、勝手に取っていいよ」

クールミントの制汗剤の匂いを撒き散らしながら、更にミントを欲しがるモモ。

声を掛けられるまで手が止まっていたことに気付かなかった。

「モモくんはなんで高専にしたの?」
「物理とか勉強したいなって…恥ずかしい話、小さい頃に四次元ポケットが欲しかったんですよ」

4も。
付き合うまでにご飯連れてってもらった回数。
部活終わりの、塩素の匂い。
ガソスタ裏の、駐車場から少し離れた、小さなタコライス専門店。
苦手だった辛いものを好んで食べるようになったのも、同じ食べ物を、一緒に食事をする時間を、共有したいと思ったから。

「お昼にしよう、時間ないから交代で。ヤサク、モモくんと先に済ませて」
「オレいらない…」
「モモくんが気後れするでしょうが!」

苦笑いするモモは、オレのヘアバンドを首まで下げて髪を撫で付ける。

「すごい豪華、運動会の昼食って感じしますね」
「母さん朝から張り切ってたからなぁ」

赤飯と佃煮のおにぎり、いつも通りの卵焼き、何年ぶりかに見た宇宙人のウインナー。

「前髪浮いてる」
「え、恥ずかし」
「モモはさ、デコ出してたほうが似合うよ」
「せっかく前髪伸ばしてたのにそんな事言う…」

重たい前髪も似合うけど。
照れた時に寄せられる眉間の皺とか、笑うと持ち上げられる眉山とか、見えてた方が愛嬌ある。

「午後たぶん滅茶苦茶忙しいと思う、大丈夫?」

その得意気な表情とか。
今目の前にいるのはモモなのだけど。


「これ運んでいいですか?」
「あ、これもお願い!」

人手がある分、思ったよりも滞りはない。

「ヤサクちゃんとやってる?モモくんと席近いのかな?」
「僕が出席番号5番で、一番後ろの隣同士なんですよ」
「ううん、寝てそうだなぁ」
「数学は楽しそうに起きてますよ」

5も。
休学前の寮生活だった頃、秘密基地みたいな古いアパートから車で送ってもらう、ほんの僅かな数分間。
ペナルティが貯まり過ぎていたのに、降りたくなくて良く困らせてた。

我儘を受け入れてもらえるのも、貯まるペナルティも、特別な愛情として同列に考えてた。
この幸福感は無敵だ、くらいに。


「そろそろトラック来るよー」
「モモ、伝票どっか貼り忘れてる」
「ええええ、ちょっとこれ、たぶん下の方…積み込む時に確認しますね」

随分計画性のないブロックゲームしてるな、と言いたくなる様なこの空間。

狭い半野外のこの倉庫の、所狭しと並んだ段ボール箱。そこから漂う柑橘類の匂いと、少し湿った紙の混じり合った匂い。
これだけ積み上げたのに、もう直ぐにまた降ろして、また積む。

「モモくんは自宅通学だっけ?」
「はい、自転車で通学してます」
「お家遠いの?」
「6キロくらいですかね、少しでも運動しなくちゃいけなくて…」

6。
愛してるって、言われた数。
恥ずかしいからってほとんど言ってもらえなかったけど。

一息吐いたモモがポケットからタブレットを取り出し、口へ放り込む。
…ガム必要なかったんじゃない?


「積み込み作業するよ」

遠くから聞こえるトラックのバックする音。
出来上がった段ボール箱の山を前に、いつもの配送会社のお兄さんが爽やかに手伝ってくれる。

「モモ、その体勢腰悪くするから膝曲げろ」
「腿攣りそう…あ、そこ。そこの下に伝票貼ってないやつありませんか?」
「あ、あった」

バケツリレー形式で積み込みするオレらに代わって伝票を貼り付ける母さん。

「本当助かったわモモくん体力あるし…バスケットボールしてたんだっけ?」
「ええ、7歳からしてました。今は母とママさんバレーボールする程度ですが」

7。
文字通り狂うほど好きになってから、別れるまでの短い月数。
今、オレの全てを支配していて、全ての基準になっている呪いみたいな数。

雨で濡れないようにわざわざトラック横付けしてもらったのに、マジ役に立たないオレ。


定刻より少しだけ遅れて、漸く終えた出荷作業。
なんか忙しかった気がするけど、地に足がついてないみたいな、感じ。

掃除くらいはちゃんとやるって引き受けて、モモにも戻って風呂入って来いって言ったのに。


「ハチさん、お疲れ様でした」

8。
オレが全てを捧げた、オレの誕生月。

「倉庫からっぽ!」

何もかもなくなった、0。

雨足が弱まってきた倉庫の向こう側、遠くでサイレンの音がする。

「…救急車ですかね」

9…ハジメさん、は、高専落ちてたら普通科行って救急隊員になりたかったんだって、言ってた。

「ハチさん」
「なに…?」
「すごいポンコツっぷりでしたね、明日バイク運転できます?」

ってモモは困ったように笑うから。

「もう今日は近づくの禁止」
「絶対今日中にキスする」
「やだよ…」

バカみたいに泣けてくる。

「ハグ!ハグしよ?オキシトシン出るって聞いたことあります」
「マジやめて、めっちゃ汗かいてる」
「お風呂上がりならいいの?」

またすぐそうやって。

「代替品みたいに思うかもしれない」
「別に良いですよ」
「オレが嫌なの」
「…それは俺と櫻井さんのどちらに対する配慮ですか?」
「えー…」

配慮?配慮してんの?
オレが嫌だなって思っただけなんだけど。

「即答できないって事で、俺は手応えアリだと思って自惚れます」
「それ本人の前で自分で言うやつじゃない」
「理詰めの方が言い訳になるかなって」
「オレの?モモの?」
「どっちも」

まとめたゴミを片付けて、濃い影を落とすようになった電球を消して。
夏至を迎えない5月は、まだ少しだけ明るい。

「モモ、八朔採りにいく?」
「もう収穫終わってる時期じゃないんですか?」
「八朔とかは一度きりじゃないんだよ」

1は、あのひと、そのものの数。

小雨になった薄暗い外。
泥濘む道がモモのスニーカーに泥を絡める。

「これ明日履いて帰れない」
「オレのお下がりあげる」
「ハチさんの足の方が小さいのに?」
「サンダルなら履けるって」

畑の片隅、辛うじて残っていた実。

「モモ届く?」
「うーん、肩車してあげます…?」
「腰やらかすぞ」

背伸びして届くじゃん。

「あ、ギリギリかも」
「いいよ落として」

ぱつん。
小気味よい音と一緒に落ちてきたソレをシャツで受け止める。
被せていた不織布が水分を含んでいて、べしゃべしゃに濡れてしまった。

「水分抜けてないといいけど」
「俺らはこんなにずぶ濡れなのに」
「綺麗な黄色…モモにあげる、ひとつでいい?」
「十分です」

IP68の頼り甲斐あるスマホの明かりで、足元を照らしながら家まで戻る。
どさくさに紛れて肩を掴むモモの手は放っておく。

…倉庫にジャージを置いてきてしまった。
取りに戻るのは、明日でも、大丈夫。
たぶん。