FRESH(注:煩悩及び執着含む)

1は、あのひとそのものの数。

もう完全にあのひとの気持ちは離れていたけれど、最後に頼み込んで2回だけキスしてもらった。

条件は、留年した3年をやり直して、きちんと卒業すること。
全ての連絡を絶っているのにどうやって確認するんだろう。

それでも一抹の繋がりに縋るように、一年間の休学を経て復学した4月。
新しい同級生たちは18歳になる年。

過去を抉るように、あの幸せだった時間をもう一度なぞらないといけない…。
夢をみているようで、どこか他人事だった。


目覚めれば朝陽をたっぷりと取り込んだ色素の抜けた髪が目の前に…。
あるわけ、なかった。










自分が最低だという自覚はある。

「モモ、お昼食べよ」

出席番号順でたまたま隣になった、この陰キャボッチ。
本来ならカースト上位層にいてもおかしくない、徹底された清潔感と、乱調されたアンニュイ感。

「…自分と食べてて楽しいんですか?」
「モモがもっと話してくれたらより楽しいかもね。一緒に居てくれて嬉しいのは変わりない」

行き場を失って悶え続けたこの想いを、孤独そうな彼に押し付けてしまおうと、そう思った。

「自分から話せる事あんまり無いですよ」
「じゃあ面接スタイルにする?」
「それは嫌です」

声も、顔も、体格も全く似ていないけど。
大好きだったあのひとと過ごしているかのように振る舞うのが凄く楽しかった。

「それ美味しそう」
「…欲しいんですか?」
「くれるの?」

彼、一ノ瀬百は、想像以上だった。
オレの独り善がりな親切も気遣いも愛情も拒まない。

「昨日の夕飯の残りですが、欲しいなら」
「ありがと、…めっちゃ美味しいね。手作り?」
「一応」
「お母さん料理上手だね」
「あー…はい、まあ」

サラサラの重たい前髪が、詰襟の中の張りのあるシャツが、美しく箸を持つ長い指先が、嫌味な程に育ちの良さを窺わせる。

「お礼にこれあげる、柑橘類好き?」
「…好きです」

何かにつけて聞いてしまう。
二分の一の確率で、好き、が返ってくるから。

「良かったら食べて」
「ありがとうございます…小暮さんこそ好きなんですか?」

オレが?好きかどうか?
迷わず好きと言えない自分に言葉が詰まる…あれ、何の話だっけ?

「…毎日持ってきてますよね?」
「ん、ああ…オレはどっちかと言うとバラ科の果物が好きかな…」
「バラ科…サクランボとかですか?」
「そうそう、アンズとか…モモとかね」

これは本心。少しだけ下心もある。

「そうなんですね…だからジャージも櫻井なんですか?」

一瞬だけ息を呑む。
その細い指が差す、ウエストゴムのほつれかかった刺繍。

「…先輩のお下がりだから」
「櫻井…いち?かず?…はじめ?」

櫻井 一。
聞くことの無いと思っていたフルネーム。
苗字+名前の頭文字である指定を、こんなにも恨んだことはない。

「それよりさ、モモ部活してないだろ?予定なければ放課後に勉強教えて欲しいんだけど…」
「小暮さん、数学は俺よりできるじゃないですか」
「文系全般やばいんだよ。一人だと寝ちゃうし…隣にいてよ」

隣にいて、なんて。
あのひとに言えなかった言葉を、目の前の無愛執な彼に投げつける。

「…いいですよ。俺も、一人でするの飽きてたし」

ほんの少しの逡巡の後そう言う。
歪な達成感が、抉られた胸を満たした。

「やった、よろしくなモモ」
「その代わり数学教えてください」
「ん、いいよ。…あと小暮さんじゃなくて何か適当に呼んで」
「…適当とは」
「八朔でヤサクだから、前の同級生はサクって呼んでたな」

ヤサク、と呼ぶのは家族とあのひとだけだったから、提案はしない。

「じゃあ…ハチさんで」
「珍しい、なんで?」
「ジャージ、それは貴方の物でしょう?」

連日の雨で上衣は乾かなかったから。
胸に施された、小暮 八の間抜けな刺繍。

「それに、自分の持ち物に⑧って書くくらいに好きなんだろうなって…8が」

いつも飲んでいる赤いラベルの紅茶に口元を寄せながら、その涼し気な瞳を細めて笑った。
初めて見る顔だった。

「…まあまあかな」

8は特別な数。
これからも自己満のために、彼を好き勝手する代償かも知れない。

「放課後は隣にいてあげますね、約束は守る方なので。2時間くらいでいいですか?」
「うん、ありがと」

その艶々な瞳は、まるでオレの浅ましさも見抜いているようだった。