「おふくろ、どうしてる?」
テーブルを拭いていた暖は作業に集中していたらしく、反応が一拍遅れた。
「ごめん、なに?」
「おれの母親だよ。元気にやってんのか」
おれは床に足を投げ出して暖の作業を眺めながらいった。
「ああ、お母さんね」
隅まで拭き終え、暖が布巾をていねいに畳む。かなり神経質な性格なようで、監禁部屋さえ頻繁に掃除して清潔さを保っていた。もちろん、すべて自分の手で行っている。
「たまに様子を見に行ってるけど、あんまりよくないかな。ほとんど部屋から出てこないし、たまに出てきても泥酔していて歩くのがやっとって感じ」
暖の口調は相変わらず抑揚を欠いていたが、母のアルコール依存について話すときにはわずかに感情が覗けた。
「交友関係も広くないみたいだから、注意して見ておく」
「いいよ。大学忙しいんだろ」
「お母さんになにかする心配してるならだいじょうぶ。なにもする気ないから」
おれは壁に半身をもたせかけて膝を抱えた。母は人づきあいが苦手だった。依存症のせいでここ数年はほとんど外出しなかった。食事はどうしているのだろう。暖が持ってくる食事を口にするとき、母親のことを思った。
世間的によい母親とはいえないだろう。物心ついたときにはすでに日常的にアルコールを摂取していたし、理不尽に怒鳴られたり殴られたりということもあった。しかし、ヒステリックに暴れた後は決まっておれを抱きしめ泣くのだ。息子を疎ましく感じることはあっても、母は母なりに我が子を大切に思っていたのだと信じたかった。
「おまえは母親いないの?」
「いるよ。ほとんど会わないけどね。自分で事業やってて忙しいみたいだから」
暖は掃除を再開した。消毒液を吹きかけた布巾で床を拭きはじめる。掃除装具は毎回持ち帰っており、狭い部屋にはマットレスとテーブル、椅子以外置こうとしなかった。
「父親は?」
「おなじようなもんだよ。政治家ってプライベートがないもんだから」
暖の話によると、この監禁部屋は父親から譲り受けたものらしい。おれがここに入れられる前、つまり暖が受け継ぐより以前、この部屋はなににつかわれていたのだろう。暖は家族に対してこの部屋の使い道をどのように説明しているのだろう。
「おれのこと聞いてくるなんて珍しいな。急に興味湧いた?」
「べつに興味なんかねえよ。どうやったらサイコパスが生まれるのか気になっただけ」
「まともじゃないのは認めるけど、環境は関係ないよ。たぶん生まれつき」
「そうかよ。救いねえな」
「そう、救いがない。それ、取って」
暖が顎をしゃくっておれが脱いだまま放っておいた服を示す。何枚かの服を集め、暖のほうへ放り投げた。暖は膝を折り曲げて屈み、受け止めきれなかった服を拾い上げた。鎖で制限された距離ぎりぎりの位置。今すぐ立ち上がり、暖の顔面に膝を入れる。昏倒した暖のポケットから鍵を抜き出し、拘束を解く。ドアを開けて全速力で逃げる。妄想でしかなかった。あまりに現実感がない。
テーブルを拭いていた暖は作業に集中していたらしく、反応が一拍遅れた。
「ごめん、なに?」
「おれの母親だよ。元気にやってんのか」
おれは床に足を投げ出して暖の作業を眺めながらいった。
「ああ、お母さんね」
隅まで拭き終え、暖が布巾をていねいに畳む。かなり神経質な性格なようで、監禁部屋さえ頻繁に掃除して清潔さを保っていた。もちろん、すべて自分の手で行っている。
「たまに様子を見に行ってるけど、あんまりよくないかな。ほとんど部屋から出てこないし、たまに出てきても泥酔していて歩くのがやっとって感じ」
暖の口調は相変わらず抑揚を欠いていたが、母のアルコール依存について話すときにはわずかに感情が覗けた。
「交友関係も広くないみたいだから、注意して見ておく」
「いいよ。大学忙しいんだろ」
「お母さんになにかする心配してるならだいじょうぶ。なにもする気ないから」
おれは壁に半身をもたせかけて膝を抱えた。母は人づきあいが苦手だった。依存症のせいでここ数年はほとんど外出しなかった。食事はどうしているのだろう。暖が持ってくる食事を口にするとき、母親のことを思った。
世間的によい母親とはいえないだろう。物心ついたときにはすでに日常的にアルコールを摂取していたし、理不尽に怒鳴られたり殴られたりということもあった。しかし、ヒステリックに暴れた後は決まっておれを抱きしめ泣くのだ。息子を疎ましく感じることはあっても、母は母なりに我が子を大切に思っていたのだと信じたかった。
「おまえは母親いないの?」
「いるよ。ほとんど会わないけどね。自分で事業やってて忙しいみたいだから」
暖は掃除を再開した。消毒液を吹きかけた布巾で床を拭きはじめる。掃除装具は毎回持ち帰っており、狭い部屋にはマットレスとテーブル、椅子以外置こうとしなかった。
「父親は?」
「おなじようなもんだよ。政治家ってプライベートがないもんだから」
暖の話によると、この監禁部屋は父親から譲り受けたものらしい。おれがここに入れられる前、つまり暖が受け継ぐより以前、この部屋はなににつかわれていたのだろう。暖は家族に対してこの部屋の使い道をどのように説明しているのだろう。
「おれのこと聞いてくるなんて珍しいな。急に興味湧いた?」
「べつに興味なんかねえよ。どうやったらサイコパスが生まれるのか気になっただけ」
「まともじゃないのは認めるけど、環境は関係ないよ。たぶん生まれつき」
「そうかよ。救いねえな」
「そう、救いがない。それ、取って」
暖が顎をしゃくっておれが脱いだまま放っておいた服を示す。何枚かの服を集め、暖のほうへ放り投げた。暖は膝を折り曲げて屈み、受け止めきれなかった服を拾い上げた。鎖で制限された距離ぎりぎりの位置。今すぐ立ち上がり、暖の顔面に膝を入れる。昏倒した暖のポケットから鍵を抜き出し、拘束を解く。ドアを開けて全速力で逃げる。妄想でしかなかった。あまりに現実感がない。


