2225日後

 数日前から熱っぽさを感じていた。暖が持ってきた体温計で検温すると、38度を越えていた。
「たぶん、おれが菌を持ちこんだな」
 体温計のディスプレイを確認しながら、暖は険しい顔で呟いた。たしかに、密閉された空間で雑菌が入る余地はない。暖から感染させられたとしか思えない。1週間ほど前、暖が咳をしていたときがあった。咳と熱、喉の痛み。症状も似ている。
 おれはマットレスの上で布団にくるまっていた。体を丸めて咳き込む。
「ほら、薬飲めよ」
 暖の手を借りて上半身を起こし、市販薬の錠剤をミネラルウォーターで流し込んだ。
「なにか食べるか? 消化にいいもの……」
「……ていうか、病院行きたいんだけど」
 がさついた声でいった。顔をしかめる。言葉を発すると喉が痛む。再び横になる。暖が布団ごしに背中を摩ってくる。鬱陶しかったが、撥ねのけるのが億劫だった。
「インフルエンザとかかも。頭も痛いし……」
「おれから伝染ったなら、おなじような風邪だと思うけど」
「そんなのわからないだろ。医者でもないのに勝手に決めつけんなよ」
 体調の悪さが苛立ちに変わっていた。おれは咳き込みながらいった。
「そうだった。おまえはおれが死んでくれたらたすかるんだよな……」
「今そんなこというなよ」
 暖は立ち上がった。狭い部屋をうろつきながらなにか考えている。落ち着いているように見えるが、あきらかにふだんとちがう様子だった。悩んでいるのだ。
 千載一遇のチャンスかもしれない。おれは苛立ちを抑え、できるだけ弱々いい声をつくった。
「頼むよ、暖。すごく頭が痛い。寒気もするし、喉も痛い。病院に行くのがだめなら医者を連れてきてくれよ」
 暖の人脈と財力があれば、医師を黙らせることは難しくないかもしれない。しかし、この場所をだれかに知らせるチャンスは生まれる。
 暖はおれの話を聞いて考えているようだった。おれにとってはチャンスだが、暖にとっては大きなリスクだ。
「なあ、暖……」
 おれは精一杯哀れっぽい声を出した。吐きそうになるが、背に腹は替えられない。
 暖が振り向く。布団から顔の半分だけ出したおれを見下ろす。腕を組み、指先で小刻みに肘を叩いている。
「暖……」
「わかった」
 おれに背を向けて、暖はいった。両手で頭を抱え、ため息を吐いた。
「明日熱が下がってなかったら考える」
「考えるってなにを……」
「とにかく、明日考える」
 意外だった。とりつくしまもないと思っていたのだ。おれが病気になろうが死のうが暖には関係ないどころか、むしろ望んでいると思っていた。
 力で抵抗し闘って逃げ出すことにばかりこだわっていたが、むしろ反対に、暖の好意を得て懐柔するほうが現実的なのではないか。熱にうかされてぼんやりと霞む頭で、おれは考えていた。