2225日後

 冬。暖は大学卒業を前にした最後の試験と卒論に追われ、慌ただしい日々を送っているようだった。6日ぶりに顔を出すと、食料を冷蔵庫に入れることも忘れ、いきなり貪りついてきた。
 立て続けに二度。終わった後は息も絶え絶えだった。
 おれは俯せになったまま動けずにいた。避妊具の処理を終えた暖が体を寄せてくる。行為そのものよりも終わった後に付き纏われるこの時間のほうが苦痛だった。
「おれ腹減ってんだけど」
「おれもメシ食ってなかった」
 おれの髪を指で軽く鋤きながら、暖がいう。
「一緒に食おうか」
「明日早いんだろ。帰れよ」
 暖は呻きながらおれの胸に顔を埋めた。
「帰りたくなくなるな」
 暖の髪についた煙草の匂いを避けるように、おれは顎を上げて天井を仰いだ。どういうつもりなのか、暖はまるで恋人のようにおれをあつかうようになった。行為じたいも必ず避妊具を使用し、おれの体の負担を最小限に抑えている。母親の面倒を見る代わりとして受け入れているからには逃げることはしないが、かなり居心地が悪い。これなら殴られて無理矢理犯されるほうがましだとさえ感じる。
「俊介」
 名を呼ばれて我に返った。暖の指先が顎にかかっていた。唇が近づく。短くやさしいキスだった。こういう小さな瞬間のひとつひとつがおれを戸惑わせる。今このときだけ切り取れば、男同士であることを除いてごくふつうのカップルに見えるだろう。しかし、実際には、いっぽうはひとを轢き殺し、目撃者を拉致監禁した挙げ句性的にも搾取している。そしてもういっぽうは、家族の生活を支えるために体を差し出している。当然、愛情は介在しない。すくなくとも、おれが暖にそんな感情を抱いたことはなかった。
「次はたぶん木曜になると思う」
 身支度を整えながら、暖がいう。
「もうすこししたら毎日でもこられるようになるから」
「は?」
 おれはまだマットレスに寝そべっていたが、思わず起き上がった。
「え、なに、おまえ卒業したら地元帰る気なの」
「そうだけど」
 ネクタイを締めながら、暖が怪訝な顔で振り向く。
「なんか問題?」
「いや……てっきり東京で就職するなり選挙出るなりすんのかと思ってたから……」
「まずは地元の民間企業に入って地盤固めることになってる。政界進出するにしても地元から出馬することになるし」
「え……てことは、もう就職決まってんの?」
「あたりまえだろ。今何月だと思ってんだよ」
 暖は呆れたように笑う。
 暖が大学を卒業した後のことを考えていなかった。今は週に1、2度程度くるだけだからどうにかなっているのだ。毎日となると心身が持たないのはあきらかだった。
「俊介」
 考えこんでいると、腕を引かれた。暖がしゃがみこんでいる。頭を撫でられる。
「心配すんな。こっちに帰ってくるっていっても、すこし離れたところにマンション借りるし、本当に毎日くるわけじゃない。あんまり頻繁に通っても怪しまれるだけだしな」
 暖は常にこちらの考えを読み、先回りしてくる。黙るしかなかった。
「じゃあまた木曜にな」
 親指の腹でおれの頬を軽く擦ってから、暖は出て行った。ドアを閉める前に一度振り返る。微笑み、小さく手を掲げた。
 ドアが閉まると、おれは深くため息をついた。両手で顔を覆い、手のなかで呻いた。