2225日後

 暖は約束どおり母親を施設に入所させた。複数の業者から借りていた金もすべて完済し、アパートの家賃と解約金も支払った。
 おれは全裸で床にあぐらをかき、契約書を捲っていた。入所金と月額料金の額は想像をはるかに超えていた。母のためにあてがわれた部屋は施設内でも最高のランクで、テレビやDVDシステム、電子レンジ、ウォークインクローゼットが備えられるなど充実した設備のうえ、専属コンシェルジュが24時間対応するという破格の待遇だった。
「満足か?」
 暖が背後からにじり寄ってきた。おれの背中に肩を圧しつけ、腕を回してくる。首のやわらかい部分に歯を立てられ、おれは顔をしかめた。
「おれも電子レンジがほしい」
「考えとく」
 契約を交わした翌日、暖はまずエアコンを修理した。また動画で学んできたのか、工具を持ってきて自分で分解しもとどおりに動くようにした。業者を呼ぶという選択肢がないのはわかっていたが、呆気にとられた。そして数日後には母親が転院し、すべての処理が終わっていた。
 おれは暖を振り放して立ち上がった。テーブルの上の液晶タブレットを操作する。映し出されたのは母の新たな住まいだった。豪華なシルク製のローブを着た母が所在なさげに歩き回っている。かなり戸惑っている様子だった。当然だろう。生活保護を受けて6畳の古アパートで酒に溺れていたのが、突然セレブ御用達の高級施設だ。なにが起きているのかわかっていないにちがいない。
「なんていったんだよ」
「お母さんに? おまえの友達だって」
「信じてたか?」
「さあ。驚いてるみたいだったけど」
「だろうな」
 運ばれてきたルームサービスの食事に慌てている母の様子を眺めながら、おれは笑った。元彼女のAVを見ているときは破壊したいと思っていた液晶ディスプレイだったが、今はいつまででも見ていられる。
「おまえが笑ってる顔見るの、3年ぶりだ」
 暖はマットレスのうえで煙草を吸いながらおれを見ていた。おれは笑顔を引っ込め、散乱した服を集めはじめた。
「感謝してほしいんだったら無駄だからな」
「べつにそんなこと考えてない。もらうもんはもらってるし」
 江戸時代なら、家族を養うために身売りした孝行息子ということになるのだろうか。契約書を見ながら、気分は複雑だった。
「けど、おまえ、本当にこの施設の料金全部払えるのかよ。まだ学生だろ」
「このくらいなら問題ない。初期費用と1年ぶんくらいは貯金でまかなえるし、今はそんなに収入ないけど、卒業したら安定した額が入ってくるから」
 こともなげにいって、暖は体を起こした。煙草を消し、おれの脚に指を這わせる。
「心配しなくていいから、それ消してこっちこいよ」
 ため息を飲み込む。母が安全で安心できる生活を送れるようになったのはいい。しかし、代わりに失ったものも大きかった。
 液晶ディスプレイの電源を落とした。暗くなった画面におれの陰鬱な表情が見えた。