森本の部屋に通された僕は、小さい体を更に縮こまらせながら、恐る恐る中に入った。
「テキトーに座ってて」
「お、おかまいなく」
白と黒のモノトーンの森本の部屋は、スタイリッシュで洗礼された雰囲気を醸し出している。
僕自身、友人の家に上がることは滅多になく、興味が湧く反面、萎縮してしまう。
どこに座って良いか分からない僕は、遠慮がちに黒いシーツがかかったベッドと、その前に敷かれた円形のふかふかの絨毯、その間にほんの少しだけ見える冷たいフローリングの上に、ちょこんと膝を三角に折って座った。
挙動不審にキョロキョロしていると、本棚の端の方に置いてある一つのぬいぐるみに目がいった。
「モリー……さん?」
それは、モリーさんそっくりのクマのぬいぐるみ。しかし、色はブラウンのモリーさんと違って、ホワイトだ。
とはいえ、クマのぬいぐるみなんて何処にでも売っているし、似ているものの方が多い。モリーさんとは別物だろう。
(森本って、顔に似合わずクマさん好きなんだ)
森本が、白いクマのぬいぐるみを抱っこしている様を想像し、顔がニヤついてしまう。
そんな時に、扉から森本が入ってきた。手には、麦茶が入ったグラスが二つ置かれたお盆を持っている。
「なに、ニヤついてんだ? 気色悪い」
「う、うるさい。別に良いじゃん」
緩んだ顔を見られたことが恥ずかしくて、斜め下の絨毯の方に目をやった。
「てか、なんでそんなとこに座ってんの?」
「森本が、テキトーに座れって」
「いや、普通、ピンポイントにフローリングの上に座らんだろ。絨毯の上か、ベッド行けば?」
目の前の透明なガラスのテーブルに、グラスが二つ置かれた。
「だって、こんなお洒落な部屋、居心地悪くて……」
「居心地……悪い」
「そ、それに、僕が座ってシーツが皺になったり、絨毯だってこんな綺麗だし、汚しちゃまずいかなって」
何故だろう、あの森本が気を落としているように見える。
そこで、僕は思い出した。絨毯の役割を。
それは、フローリングの冷たさからシャットアウトするだけでなく、床の保護やホコリ抑え、転倒時の衝撃吸収などなど……。つまり、フローリングに直に座ることによって、そこが傷んでしまう可能性がある。
「ご、ごめん。僕、立っとくよ。これなら、僕が接触する表面積が小さくて済むもんね」
「なに、意味分かんねぇこと言ってんだ?」
母親から、『友達の家には、あまりお邪魔しないでね』と常々言われていたが、こういうことだったのだと、初めて理由が分かった。人様の家に入るということは、それ相応の覚悟を持って入らなければならないと理解した僕は、もう二度と人様の家には上がらないと胸に誓った。そんな時に――。
「陽向」
「わ、何々!?」
森本は、鞄を抱きしめるようにして立っている僕を軽々と抱き上げた。昼間と違って、立て抱きだ。
抱えられ方はどうでも良い。それよりも、ベッドの上に座らされた僕の前に、森本が跪いた。初めて目線が合った。そして、いつもは見上げるだけだった森本と同じ目線になり、気が付いた。
(思ったより、優しい顔……してるかも)
僕が見上げるだけだったのと同様に、普段、森本も僕を見下げていた。その顔は、どうしても目つきが悪く、人を小馬鹿にしているようで、見るだけで腹立たしかった。しかし、今はそんなことはない。
「陽向。おでこ、見せて」
「う、うん」
素直に前髪をかき上げて額を出せば、そこにアイスの形をした可愛い保冷剤が当てられた。
「…………」
「…………」
森本は、僕を真っすぐに見据え、何も喋らない。どうにも居たたまれない気持ちになるが、それがまた心地よかったりもする。
(昔も、こんなことが、あった気がする)
あれは、僕らが幼稚園から帰ってきて、近くの公園で遊んでいた時のこと――。
『冬也君。ブランコしよ』
『良いよ。けど、一個しか空いてないね』
僕らは、空くのを待つ時間が惜しかった。
『俺が立つから、陽向は座る方ね』
『分かった』
一つのブランコの中央に僕が座り、向かい合うようにして、森本が両端に足を乗せて立った。
『冬也君。行くよ』
『うん!』
僕は、助走を付けながら地面を蹴った。
ブランコは前後に揺れ、僕は地面に足が付かないよう曲げたり伸ばしたりして漕ぎ、森本も屈伸するようにしてブランコを立ち漕ぎした。
途中までは、順調だった。しかし、森本が足を滑らせてバランスを崩した。
『わッ……セーフ!』
なんとか立て直した森本だったが、座っている僕の方が、後ろに転落して後頭部を打撲してしまった。
『う……うえぇーん。うえぇーん』
あの頃は五歳だったから、盛大に泣いた。恥ずかしいくらいに泣いた。そして、森本も泣いた。
『陽向、ごめん。陽向、死なないでー』
そんなことで死ぬはずないのに、森本は僕の頭を抱きしめるようにして泣いた。
互いの母親が来て、一旦家に帰ることになった。けれど、森本は僕を心配して、家まで付いてきた。
『じゃあ、冬也君。陽向のここに、冷たいの当てててくれる?』
『分かった!』
それから、冷た過ぎて感覚が無くなるくらい、森本は保冷剤を後頭部に当ててくれた――。
「陽向、痛くない?」
「……うん」
なんだろう。このふわふわした感じは。
このまま、森本と昔のように仲良くしたい。苗字ではなく、名前で呼びたい。そんな衝動に駆られた。
「あのさ、と、と、と……」
「と……?」
ダメだ。今更、苗字から名前呼びなんて恥ずかしくて出来ない。
「とー、とー、トマト好き?」
「別に、好きでも嫌いでもねぇ」
「そ、そっか」
間が持たない。
森本は、友人と普段どんな会話をしているのだろうか。教室では、一年生の時から森本と同じクラスだった中村と一緒にいるところをよく見るが、二人の会話を近くで聞いたことがないので分からない。
ふと、モリーさんそっくりの白いクマのぬいぐるみが目に映る。
「森本って、クマのぬいぐるみ好きなの?」
森本も僕の視線の先に目をやった。
「別に。あれは、もらったから」
「誰に?」
「死んだばあちゃん。お前にも、あげただろ? あれ、対のぬいぐるみなんだと」
「へ、へぇ」
つまり、あれは僕と森本のお揃いの品ということか。
そして、僕にモリーさんをプレゼントしたことは覚えてるようだ。てっきり、そのこと自体忘れているのかと思った。
「じゃあさ、森本のクマさんも……帰って来る?」
「は?」
「えっと、その……」
聞いたのは良いが、プレゼントしたものを捨てたなんて言ったら悲しむのではないだろうか。しかも、十三回も捨ててしまった。
「あー、前に無くした時があって、いつの間にか部屋にいたんだよね」
「ふぅーん」
興味の無さそうな返事をされ、これ以上は深堀しないでおこうと思った。ただ――。
「あのクマさん。対ならさ、返そうか?」
「は?」
「いや、二人離れ離れって、か、かわいそうじゃん?」
モリーさんは喋らなくなってしまったし、やはり何度も帰ってくるぬいぐるみは気味が悪い。厄介払いできるなら、したい。切実に、そう思う。
森本の目をしっかり見つめれば、僕の考えは全てお見通しと言わんばかりに見つめ返される。
「えっと……」
何も喋らない森本に、僕の目は泳ぎ始める。
そんな僕の頭をクシャッと撫でてきた。
「あれは、陽向が持ってろ」
「……うん」
結局、厄介払いはできないようだ。
「てか、おでこ、もう大丈夫……だよ」
そう言うが、いつまでも当てられている保冷剤は離れない。
それから僕らは、何かを喋るわけでもなく、保冷剤がぬるくなるまでそうしていた――――。
「テキトーに座ってて」
「お、おかまいなく」
白と黒のモノトーンの森本の部屋は、スタイリッシュで洗礼された雰囲気を醸し出している。
僕自身、友人の家に上がることは滅多になく、興味が湧く反面、萎縮してしまう。
どこに座って良いか分からない僕は、遠慮がちに黒いシーツがかかったベッドと、その前に敷かれた円形のふかふかの絨毯、その間にほんの少しだけ見える冷たいフローリングの上に、ちょこんと膝を三角に折って座った。
挙動不審にキョロキョロしていると、本棚の端の方に置いてある一つのぬいぐるみに目がいった。
「モリー……さん?」
それは、モリーさんそっくりのクマのぬいぐるみ。しかし、色はブラウンのモリーさんと違って、ホワイトだ。
とはいえ、クマのぬいぐるみなんて何処にでも売っているし、似ているものの方が多い。モリーさんとは別物だろう。
(森本って、顔に似合わずクマさん好きなんだ)
森本が、白いクマのぬいぐるみを抱っこしている様を想像し、顔がニヤついてしまう。
そんな時に、扉から森本が入ってきた。手には、麦茶が入ったグラスが二つ置かれたお盆を持っている。
「なに、ニヤついてんだ? 気色悪い」
「う、うるさい。別に良いじゃん」
緩んだ顔を見られたことが恥ずかしくて、斜め下の絨毯の方に目をやった。
「てか、なんでそんなとこに座ってんの?」
「森本が、テキトーに座れって」
「いや、普通、ピンポイントにフローリングの上に座らんだろ。絨毯の上か、ベッド行けば?」
目の前の透明なガラスのテーブルに、グラスが二つ置かれた。
「だって、こんなお洒落な部屋、居心地悪くて……」
「居心地……悪い」
「そ、それに、僕が座ってシーツが皺になったり、絨毯だってこんな綺麗だし、汚しちゃまずいかなって」
何故だろう、あの森本が気を落としているように見える。
そこで、僕は思い出した。絨毯の役割を。
それは、フローリングの冷たさからシャットアウトするだけでなく、床の保護やホコリ抑え、転倒時の衝撃吸収などなど……。つまり、フローリングに直に座ることによって、そこが傷んでしまう可能性がある。
「ご、ごめん。僕、立っとくよ。これなら、僕が接触する表面積が小さくて済むもんね」
「なに、意味分かんねぇこと言ってんだ?」
母親から、『友達の家には、あまりお邪魔しないでね』と常々言われていたが、こういうことだったのだと、初めて理由が分かった。人様の家に入るということは、それ相応の覚悟を持って入らなければならないと理解した僕は、もう二度と人様の家には上がらないと胸に誓った。そんな時に――。
「陽向」
「わ、何々!?」
森本は、鞄を抱きしめるようにして立っている僕を軽々と抱き上げた。昼間と違って、立て抱きだ。
抱えられ方はどうでも良い。それよりも、ベッドの上に座らされた僕の前に、森本が跪いた。初めて目線が合った。そして、いつもは見上げるだけだった森本と同じ目線になり、気が付いた。
(思ったより、優しい顔……してるかも)
僕が見上げるだけだったのと同様に、普段、森本も僕を見下げていた。その顔は、どうしても目つきが悪く、人を小馬鹿にしているようで、見るだけで腹立たしかった。しかし、今はそんなことはない。
「陽向。おでこ、見せて」
「う、うん」
素直に前髪をかき上げて額を出せば、そこにアイスの形をした可愛い保冷剤が当てられた。
「…………」
「…………」
森本は、僕を真っすぐに見据え、何も喋らない。どうにも居たたまれない気持ちになるが、それがまた心地よかったりもする。
(昔も、こんなことが、あった気がする)
あれは、僕らが幼稚園から帰ってきて、近くの公園で遊んでいた時のこと――。
『冬也君。ブランコしよ』
『良いよ。けど、一個しか空いてないね』
僕らは、空くのを待つ時間が惜しかった。
『俺が立つから、陽向は座る方ね』
『分かった』
一つのブランコの中央に僕が座り、向かい合うようにして、森本が両端に足を乗せて立った。
『冬也君。行くよ』
『うん!』
僕は、助走を付けながら地面を蹴った。
ブランコは前後に揺れ、僕は地面に足が付かないよう曲げたり伸ばしたりして漕ぎ、森本も屈伸するようにしてブランコを立ち漕ぎした。
途中までは、順調だった。しかし、森本が足を滑らせてバランスを崩した。
『わッ……セーフ!』
なんとか立て直した森本だったが、座っている僕の方が、後ろに転落して後頭部を打撲してしまった。
『う……うえぇーん。うえぇーん』
あの頃は五歳だったから、盛大に泣いた。恥ずかしいくらいに泣いた。そして、森本も泣いた。
『陽向、ごめん。陽向、死なないでー』
そんなことで死ぬはずないのに、森本は僕の頭を抱きしめるようにして泣いた。
互いの母親が来て、一旦家に帰ることになった。けれど、森本は僕を心配して、家まで付いてきた。
『じゃあ、冬也君。陽向のここに、冷たいの当てててくれる?』
『分かった!』
それから、冷た過ぎて感覚が無くなるくらい、森本は保冷剤を後頭部に当ててくれた――。
「陽向、痛くない?」
「……うん」
なんだろう。このふわふわした感じは。
このまま、森本と昔のように仲良くしたい。苗字ではなく、名前で呼びたい。そんな衝動に駆られた。
「あのさ、と、と、と……」
「と……?」
ダメだ。今更、苗字から名前呼びなんて恥ずかしくて出来ない。
「とー、とー、トマト好き?」
「別に、好きでも嫌いでもねぇ」
「そ、そっか」
間が持たない。
森本は、友人と普段どんな会話をしているのだろうか。教室では、一年生の時から森本と同じクラスだった中村と一緒にいるところをよく見るが、二人の会話を近くで聞いたことがないので分からない。
ふと、モリーさんそっくりの白いクマのぬいぐるみが目に映る。
「森本って、クマのぬいぐるみ好きなの?」
森本も僕の視線の先に目をやった。
「別に。あれは、もらったから」
「誰に?」
「死んだばあちゃん。お前にも、あげただろ? あれ、対のぬいぐるみなんだと」
「へ、へぇ」
つまり、あれは僕と森本のお揃いの品ということか。
そして、僕にモリーさんをプレゼントしたことは覚えてるようだ。てっきり、そのこと自体忘れているのかと思った。
「じゃあさ、森本のクマさんも……帰って来る?」
「は?」
「えっと、その……」
聞いたのは良いが、プレゼントしたものを捨てたなんて言ったら悲しむのではないだろうか。しかも、十三回も捨ててしまった。
「あー、前に無くした時があって、いつの間にか部屋にいたんだよね」
「ふぅーん」
興味の無さそうな返事をされ、これ以上は深堀しないでおこうと思った。ただ――。
「あのクマさん。対ならさ、返そうか?」
「は?」
「いや、二人離れ離れって、か、かわいそうじゃん?」
モリーさんは喋らなくなってしまったし、やはり何度も帰ってくるぬいぐるみは気味が悪い。厄介払いできるなら、したい。切実に、そう思う。
森本の目をしっかり見つめれば、僕の考えは全てお見通しと言わんばかりに見つめ返される。
「えっと……」
何も喋らない森本に、僕の目は泳ぎ始める。
そんな僕の頭をクシャッと撫でてきた。
「あれは、陽向が持ってろ」
「……うん」
結局、厄介払いはできないようだ。
「てか、おでこ、もう大丈夫……だよ」
そう言うが、いつまでも当てられている保冷剤は離れない。
それから僕らは、何かを喋るわけでもなく、保冷剤がぬるくなるまでそうしていた――――。



