その日の夜。
僕は、モリーさんとお風呂に入っている。といっても、モリーさんは洗面器の湯舟に浸かり、僕は大きな湯舟に浸かっている。
「モリーさん、気持ち良い?」
「…………」
「って、返事する訳ないか」
したら怖すぎる。向きを変えて座っているのも恐怖で震えたのに、それ以上のことは、しないで欲しい。
ふわふわだったモリーさんのブラウンの毛が、水気を存分に吸ってぺしゃんこになっている。それを僕は、湯舟から手を伸ばしてツンツンと突いた。
「おーい。そんなに僕が好きなの? あのデカいモリーさんも、少しは見習って欲しいもんだよね」
本当は、もっと話がしたい。引っ越してしまった後からの十年間のことを知りたい。何が好きで何が嫌いか。どんな遊びをして、どんなものが流行っていたのか。好きな女の子はいたのか。十年間のことじゃなくたって良い。今の森本を知りたい。それなのに……。
「会うと、つい喧嘩越しになっちゃうんだよね。けど、あれは森本が悪いよね。僕に突っかかってくるし、見下してくるし、馬鹿にしてくるし……あー、考えたら腹立ってきた」
後から母に怒られそうだが、モリーさんを洗面器から取り出し、僕の浸かっている湯船にチャプンとつけた。そして、向かい合って愚痴を並べる。
「てかさ、身長なんて自分でどうすることも出来ないのにさ、そこで馬鹿にしてくるっておかしくない? 僕だって好きでチビやってる訳じゃないのにさ」
『俺だって、好きで高身長になった訳じゃない』
「いや、そうかもだけどさ、それでも……え?」
僕は、思い切り後ろを振り返った。そして、上や横、とにかく様々な角度に顔を向けて確認した。立ち上がって浴室の窓を開けて、外を覗き見る。暗くて良く分からないが、先程まで窓が閉まっていたのに、こんなに鮮明に人の声が聞こえるはずがない。
背中に変な汗が流れてきた。手が震えてきた。
ブリキのオモチャのように、頭をカクカクゆっくりと下に向けてモリーさんの真っ黒い瞳を見た。
「もしかして……」
『俺だ』
口元の糸は動いていないが、確かにモリーさんから声がする。しかも、少し森本の声に似ている。
「いや、ないないないない……ないないないない……」
僕は湯船に肩まで浸かり直し、モリーさんを頭まで湯船に沈めた。
「あり得ないし。人形が喋るなんて、ファンタジーかオカルトの世界だって。マジ怖いやつじゃん。けど、よく考えたら、捨てても戻ってくるからオカルトじみてるけど、ファンタジーの世界だと思えば、そう怖くなかったり? 僕の大好きなエリィだって、人形に魂を吹き込んで一緒に旅してるし……まぁ、どうせなら可愛い女の子の声で喋っては欲しかったけど」
ぶつぶつと放心状態になりながら呟いていると、僕の手から、スルリとモリーさんが抜け出した。湯船にぷかぷか浮かんだモリーさんは、仰向け状態で話し出す。
『やっぱ、湯ん中は体重いわ。全然動けねぇ』
「口調まで森本だし。僕、疲れてんのかな……」
現実逃避したい反面、体の奥底で、僕の厨二病心に火がついたのが分かった。僕は、目を輝かせながら、モリーさんを手に取って、同じ目線になるよう持ち上げた。
「これってさ、僕が何かのスキルを手に入れたの!? 物語りの主人公になっちゃった感じ!? ねぇねぇ、もしかして、僕、このまま異世界に飛んで魔王倒しに行ったりするの!? てか、もしもそうなら、これは母さんや父さんには、内緒にした方が良いやつだよね? 僕とモリーさんだけの秘密、みたいな?」
『たく、昔っから陽向は変わんないよな』
「昔って、いつ? てか、会話してるし。面白すぎ!」
もう、恐怖を通り越して大興奮だ。
そんな僕に気付いた母が、お風呂を覗きに来た。
「陽向、大丈夫? モリーさん、綺麗になった?」
「多分、乾かしたら大丈夫。てか、母さん、モリーさんが喋ったんだけど!」
「は? そんなわけ」
と、母が言いかけたところに、モリーさんがツッコミをいれてきた。
『おい、陽向。さっき、母さんと父さんには内緒にするって言ったばっかだろ。なに、秒でバラしてんだよ』
「あ、そうだった。ごめん」
しゅんとする中、母は目が点になっている。
「母さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫な訳ないでしょ! お父さーん!!」
母は、浴室の扉を開けたまま、父に報告しに行った。
この調子では、血相を変えた父も含めて浴室に大集合しそうな予感だったので、僕はお風呂から出ることにした。
湯船から出た僕は、ひとまずビシャビシャなモリーさんを絞った。そして、振り回す。
『ちょ、なにすんだよ』
「脱水」
まだポタポタと雫は垂れるが、キリがなさそうなので、脱衣場に出た僕は、モリーさんをバスタオルに包んで床に置いた。僕も手早く体を拭く。
「陽向!」
案の定、父が血相を変えてやってきた。母も遅れて入ってくる。
「陽向、モリーさんが喋ったって、本当か!?」
「ちょっと、着替えるから待って」
急いで着替えをしていると、床に置いたモリーさんに父が恐る恐る近づいた。
「モリーさん……お願いだから、陽向だけを連れて行くのは勘弁して下さい。連れて行くなら、僕らも一緒に……」
『連れて行くって、どこにだ?』
「わ、本当に喋った!」
驚いた父は、母の後ろに隠れた。そして、顔だけ出して、もう一度聞いた。
「陽向をあの世に連れて行く気……ですよね?」
『俺は死神か!』
そんなツッコミをするということは、僕を呪い殺す選択肢は消えたわけで……それは、つまり、異世界への大冒険の始まりだ!
なんて、アホなことを考えながら、パジャマに着替えた僕は、首にタオルを巻いた。
「父さん、とにかく、先に乾かしちゃおうよ」
「そ、そうだな」
僕は、タオルの上からモリーさんにドライヤーをあてた。
「どう? 気持ち良い?」
『芯まで乾かしてくれよ。表面だけじゃ、気持ちが悪いからな』
——それから三十分。
「これくらいでどう?」
『…………』
「ねぇ、モリーさん?」
『…………』
ドライヤーを止めてみる。
「あれ? モリーさん?」
『…………』
モリーさんが喋らなくなった。
僕は、両親と顔を見合わせた。
「幻、だったのかな?」
「そんなはず無いわよ。私は、この耳で聞いたもの」
「お父さんもだよ」
しかし、モリーさんは喋らない。
それから僕らは、モリーさんをリビングの机の上に置いて、一時間ほど見つめていた——。
僕は、モリーさんとお風呂に入っている。といっても、モリーさんは洗面器の湯舟に浸かり、僕は大きな湯舟に浸かっている。
「モリーさん、気持ち良い?」
「…………」
「って、返事する訳ないか」
したら怖すぎる。向きを変えて座っているのも恐怖で震えたのに、それ以上のことは、しないで欲しい。
ふわふわだったモリーさんのブラウンの毛が、水気を存分に吸ってぺしゃんこになっている。それを僕は、湯舟から手を伸ばしてツンツンと突いた。
「おーい。そんなに僕が好きなの? あのデカいモリーさんも、少しは見習って欲しいもんだよね」
本当は、もっと話がしたい。引っ越してしまった後からの十年間のことを知りたい。何が好きで何が嫌いか。どんな遊びをして、どんなものが流行っていたのか。好きな女の子はいたのか。十年間のことじゃなくたって良い。今の森本を知りたい。それなのに……。
「会うと、つい喧嘩越しになっちゃうんだよね。けど、あれは森本が悪いよね。僕に突っかかってくるし、見下してくるし、馬鹿にしてくるし……あー、考えたら腹立ってきた」
後から母に怒られそうだが、モリーさんを洗面器から取り出し、僕の浸かっている湯船にチャプンとつけた。そして、向かい合って愚痴を並べる。
「てかさ、身長なんて自分でどうすることも出来ないのにさ、そこで馬鹿にしてくるっておかしくない? 僕だって好きでチビやってる訳じゃないのにさ」
『俺だって、好きで高身長になった訳じゃない』
「いや、そうかもだけどさ、それでも……え?」
僕は、思い切り後ろを振り返った。そして、上や横、とにかく様々な角度に顔を向けて確認した。立ち上がって浴室の窓を開けて、外を覗き見る。暗くて良く分からないが、先程まで窓が閉まっていたのに、こんなに鮮明に人の声が聞こえるはずがない。
背中に変な汗が流れてきた。手が震えてきた。
ブリキのオモチャのように、頭をカクカクゆっくりと下に向けてモリーさんの真っ黒い瞳を見た。
「もしかして……」
『俺だ』
口元の糸は動いていないが、確かにモリーさんから声がする。しかも、少し森本の声に似ている。
「いや、ないないないない……ないないないない……」
僕は湯船に肩まで浸かり直し、モリーさんを頭まで湯船に沈めた。
「あり得ないし。人形が喋るなんて、ファンタジーかオカルトの世界だって。マジ怖いやつじゃん。けど、よく考えたら、捨てても戻ってくるからオカルトじみてるけど、ファンタジーの世界だと思えば、そう怖くなかったり? 僕の大好きなエリィだって、人形に魂を吹き込んで一緒に旅してるし……まぁ、どうせなら可愛い女の子の声で喋っては欲しかったけど」
ぶつぶつと放心状態になりながら呟いていると、僕の手から、スルリとモリーさんが抜け出した。湯船にぷかぷか浮かんだモリーさんは、仰向け状態で話し出す。
『やっぱ、湯ん中は体重いわ。全然動けねぇ』
「口調まで森本だし。僕、疲れてんのかな……」
現実逃避したい反面、体の奥底で、僕の厨二病心に火がついたのが分かった。僕は、目を輝かせながら、モリーさんを手に取って、同じ目線になるよう持ち上げた。
「これってさ、僕が何かのスキルを手に入れたの!? 物語りの主人公になっちゃった感じ!? ねぇねぇ、もしかして、僕、このまま異世界に飛んで魔王倒しに行ったりするの!? てか、もしもそうなら、これは母さんや父さんには、内緒にした方が良いやつだよね? 僕とモリーさんだけの秘密、みたいな?」
『たく、昔っから陽向は変わんないよな』
「昔って、いつ? てか、会話してるし。面白すぎ!」
もう、恐怖を通り越して大興奮だ。
そんな僕に気付いた母が、お風呂を覗きに来た。
「陽向、大丈夫? モリーさん、綺麗になった?」
「多分、乾かしたら大丈夫。てか、母さん、モリーさんが喋ったんだけど!」
「は? そんなわけ」
と、母が言いかけたところに、モリーさんがツッコミをいれてきた。
『おい、陽向。さっき、母さんと父さんには内緒にするって言ったばっかだろ。なに、秒でバラしてんだよ』
「あ、そうだった。ごめん」
しゅんとする中、母は目が点になっている。
「母さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫な訳ないでしょ! お父さーん!!」
母は、浴室の扉を開けたまま、父に報告しに行った。
この調子では、血相を変えた父も含めて浴室に大集合しそうな予感だったので、僕はお風呂から出ることにした。
湯船から出た僕は、ひとまずビシャビシャなモリーさんを絞った。そして、振り回す。
『ちょ、なにすんだよ』
「脱水」
まだポタポタと雫は垂れるが、キリがなさそうなので、脱衣場に出た僕は、モリーさんをバスタオルに包んで床に置いた。僕も手早く体を拭く。
「陽向!」
案の定、父が血相を変えてやってきた。母も遅れて入ってくる。
「陽向、モリーさんが喋ったって、本当か!?」
「ちょっと、着替えるから待って」
急いで着替えをしていると、床に置いたモリーさんに父が恐る恐る近づいた。
「モリーさん……お願いだから、陽向だけを連れて行くのは勘弁して下さい。連れて行くなら、僕らも一緒に……」
『連れて行くって、どこにだ?』
「わ、本当に喋った!」
驚いた父は、母の後ろに隠れた。そして、顔だけ出して、もう一度聞いた。
「陽向をあの世に連れて行く気……ですよね?」
『俺は死神か!』
そんなツッコミをするということは、僕を呪い殺す選択肢は消えたわけで……それは、つまり、異世界への大冒険の始まりだ!
なんて、アホなことを考えながら、パジャマに着替えた僕は、首にタオルを巻いた。
「父さん、とにかく、先に乾かしちゃおうよ」
「そ、そうだな」
僕は、タオルの上からモリーさんにドライヤーをあてた。
「どう? 気持ち良い?」
『芯まで乾かしてくれよ。表面だけじゃ、気持ちが悪いからな』
——それから三十分。
「これくらいでどう?」
『…………』
「ねぇ、モリーさん?」
『…………』
ドライヤーを止めてみる。
「あれ? モリーさん?」
『…………』
モリーさんが喋らなくなった。
僕は、両親と顔を見合わせた。
「幻、だったのかな?」
「そんなはず無いわよ。私は、この耳で聞いたもの」
「お父さんもだよ」
しかし、モリーさんは喋らない。
それから僕らは、モリーさんをリビングの机の上に置いて、一時間ほど見つめていた——。



