テスト前に入ると、部活は一時的に休みになる。
そう聞いた時、俺は正直ちょっとだけほっとした。 さすがに毎日ハンバーガー屋でネタを詰める生活がそのまま続くわけじゃないらしい。 授業のあと部室へ行って、そこから店へ移動して、気づいたら日が暮れている……みたいな流れも、しばらくは一回止まる。そう思っていた。
その認識が甘かったと分かったのは、テスト一週間前に入った月曜の夕方だった。
家に帰って机に向かい、数学のワークを開いて三問目くらいで集中が切れかけた頃、スマホが震えた。画面を見ると、凪先輩からだった。
『櫻葉に勉強教えてもらうんだけど、早く終わったらネタもちょい触りたいからサクも同席してよ』
しばらく、その文面を見たまま止まった。 いや、まず勉強を教えてもらう場所がハンバーガー屋なのはどうなんだ。しかも後半、ほぼ本音じゃないか。「ちょい触りたい」の熱量で済む人じゃないのはもう知っている。
それなのに、俺は少しだけ口元をゆるめていた。なんでだよと思いながら、返信を打つ。
『なんで勉強もハンバーガー屋なんすか。まあ行きますけど』
送ると、ほとんど間を置かずに返ってきた。
『ホームだから。あと来るんじゃん』
腹立つ。腹立つのに、だいぶ慣れてしまっているのがもっと腹立つ。
結局その日の放課後、俺はいつもの駅前のハンバーガー屋にいた。 窓際の奥の席に目を向けると、三人分のトレーがすでに並んでいた。凪先輩と八坂先輩が向かい合って座り、櫻葉先輩がその間に挟まるみたいな位置にいる。
「サク、こっち」
凪先輩が、当然みたいに手を上げる。
「どうも。なんで勉強会なのに、もうそんな食ってるんすか」
凪先輩の前には、セットのほかにバーガーの包み紙がふたつ積まれていた。今日はさらに新作らしいシェイクまで置いてある。
「頭使うから」
「使ってるのは胃袋でしょ」
「いや、糖分は大事だろ」
「食いすぎなんすよ」
席に着くと、櫻葉先輩が小さく息をついた。
「やっと揃った。凪と八坂がもう五分前からうずうずしてるから」
「勉強したくて?」
「絶対違う」
八坂先輩はテーブルに広げられた英語のワークを指で叩きながら言う。
「でも俺、今日はちゃんとやるよ! これは集中力の準備運動!」
「集中する方向まちがってんぞ」
凪先輩も単語帳を開いてはいるが、視線がちらちらネタ帳のほうへ行っている。というか、普通に隣に置いてあった。
「凪先輩、そのネタ帳、今日はいらないでしょ」
「安心材料」
「部活休みなんだって」
櫻葉先輩がぴしゃりと言う。
「今日は勉強。分かる?」
「分かる。ちょっとだけ見てたけど」
「ほら」
凪先輩は不満そうな顔をしつつ、ネタ帳を鞄の中にしまった。その動作がちょっとだけ名残惜しそうで、思わず笑いそうになる。
「じゃあやるよ。八坂は英語、凪は数学」
櫻葉先輩が教科書を開いた。
最初はちゃんと勉強会っぽく始まった。 八坂先輩は英単語を読まされるたびに妙な発音で笑いを取りにいこうとするし、櫻葉先輩はそれを全部無表情で潰す。 凪先輩は凪先輩で、二次方程式の途中式を書きながら、ふとした拍子に「無人島で二次方程式解く流れってどう思う?」とか言い出す。当然、櫻葉先輩に止められる。
「どうも思わない。数学やって」
「はい……」
そのやり取りが妙におかしくて、俺はワークの上で少しだけ肩を揺らした。
しばらくして、凪先輩が新作シェイクのカップを押してきた。
「これ、一口飲む? ストロベリーチーズケーキ」
「重そう。……じゃあちょっとだけ」
もらって一口飲む。たしかに甘い。でも、悪くない。
「どう?」
「甘。いや、でもうまいっす」
「だろ?」
凪先輩は満足そうに笑って、そのまままたカップを引き寄せた。 すごく自然な流れだった。自然すぎて、横から櫻葉先輩の声が飛んでくるまで何も思わなかった。
「お前らいつもそんな距離感なの?」
顔を上げると、櫻葉先輩がペンを持ったままこっちを見ていた。八坂先輩も、え、何それ、みたいな顔をしている。
「え」
俺が間の抜けた声を出すと、凪先輩が先に答えた。
「普通じゃない?」
「どこが。シェアの自然さがもう普通じゃないでしょ」
櫻葉先輩の言葉に、俺は首を傾げた。
「そうっすか? だって一口だし」
「一口だし、じゃないんだよ」
「櫻葉、それ嫉妬? 俺もシェイク飲みたーい」
「お前は自分で頼みな」
そこで凪先輩が、俺のトレーを見た。俺はいつも通り、セットをひとつ頼んでいた。
「サク、それもういらない?」
凪先輩が俺のバーガーを指さす。
「あと一口くらいなら」
「じゃあちょうだい」
止める前に、凪先輩は包み紙ごと引き寄せて、そのまま普通に食べた。あまりにも迷いがなくて、止めるタイミングを失った。
「うん、やっぱてりやきうまい」
「お前らほんと何。今のも普通じゃないから」
櫻葉先輩が呆れた声を出す。
「サクいつも少し残すし、いいじゃん」
凪先輩は気にしていない。
「いや良し悪しの問題じゃなくて……お前らが当たり前みたいにやってるのが変なんだって」
俺が「櫻葉先輩、細か」と言うと、先輩は完全に嫌そうな顔になった。
「細かいんじゃなくて……はぁ、凪、次これ解いて」
結局、その日はちゃんと二時間くらい勉強した。 凪先輩と八坂先輩を椅子に座らせておくのに、櫻葉先輩がだいぶ苦労していたけれど。
最後の最後で、凪先輩はまたネタ帳を出しかけて怒られていた。
「文化祭終わったし、もう次詰めたいんだって」
「テスト終わってから」
「でも熱って冷めるじゃん」
「冷めないから大丈夫。凪がうるさいくらいなら冷めない」
「櫻葉ひどくない?」
「事実」
聞き慣れたそのやり取りを聞きながら、俺はコーラの氷をストローで押した。
こういうの、前なら別にわざわざ来なくてもよかったはずだ。部活休みなら、家で勉強してたってよかった。 なのに今は、当たり前みたいにここにいる。
凪先輩に呼ばれて。ハンバーガー屋に来て。 勉強して。時々ネタの話をして。 シェイクを回し飲みして。食べ残しを当然のように取られて。
それを、もうほとんど自然なことみたいに受け入れている自分がいる。
帰り際、店を出たところで凪先輩が隣に並んだ。
「サク、今日は来て正解だっただろ。俺もいたしな」
「後半いらなくないっすか」
「いる。早くテスト終わんねえかな」
「それでまたネタやる気でしょ」
「当然」
その言い方に、もう驚かなくなっている。 むしろ少しだけ、待ち遠しいと思ってしまったのが、なんか悔しかった。
たぶんこういうのを、「気づけば隣にいる」って言うんだろう。
そう聞いた時、俺は正直ちょっとだけほっとした。 さすがに毎日ハンバーガー屋でネタを詰める生活がそのまま続くわけじゃないらしい。 授業のあと部室へ行って、そこから店へ移動して、気づいたら日が暮れている……みたいな流れも、しばらくは一回止まる。そう思っていた。
その認識が甘かったと分かったのは、テスト一週間前に入った月曜の夕方だった。
家に帰って机に向かい、数学のワークを開いて三問目くらいで集中が切れかけた頃、スマホが震えた。画面を見ると、凪先輩からだった。
『櫻葉に勉強教えてもらうんだけど、早く終わったらネタもちょい触りたいからサクも同席してよ』
しばらく、その文面を見たまま止まった。 いや、まず勉強を教えてもらう場所がハンバーガー屋なのはどうなんだ。しかも後半、ほぼ本音じゃないか。「ちょい触りたい」の熱量で済む人じゃないのはもう知っている。
それなのに、俺は少しだけ口元をゆるめていた。なんでだよと思いながら、返信を打つ。
『なんで勉強もハンバーガー屋なんすか。まあ行きますけど』
送ると、ほとんど間を置かずに返ってきた。
『ホームだから。あと来るんじゃん』
腹立つ。腹立つのに、だいぶ慣れてしまっているのがもっと腹立つ。
結局その日の放課後、俺はいつもの駅前のハンバーガー屋にいた。 窓際の奥の席に目を向けると、三人分のトレーがすでに並んでいた。凪先輩と八坂先輩が向かい合って座り、櫻葉先輩がその間に挟まるみたいな位置にいる。
「サク、こっち」
凪先輩が、当然みたいに手を上げる。
「どうも。なんで勉強会なのに、もうそんな食ってるんすか」
凪先輩の前には、セットのほかにバーガーの包み紙がふたつ積まれていた。今日はさらに新作らしいシェイクまで置いてある。
「頭使うから」
「使ってるのは胃袋でしょ」
「いや、糖分は大事だろ」
「食いすぎなんすよ」
席に着くと、櫻葉先輩が小さく息をついた。
「やっと揃った。凪と八坂がもう五分前からうずうずしてるから」
「勉強したくて?」
「絶対違う」
八坂先輩はテーブルに広げられた英語のワークを指で叩きながら言う。
「でも俺、今日はちゃんとやるよ! これは集中力の準備運動!」
「集中する方向まちがってんぞ」
凪先輩も単語帳を開いてはいるが、視線がちらちらネタ帳のほうへ行っている。というか、普通に隣に置いてあった。
「凪先輩、そのネタ帳、今日はいらないでしょ」
「安心材料」
「部活休みなんだって」
櫻葉先輩がぴしゃりと言う。
「今日は勉強。分かる?」
「分かる。ちょっとだけ見てたけど」
「ほら」
凪先輩は不満そうな顔をしつつ、ネタ帳を鞄の中にしまった。その動作がちょっとだけ名残惜しそうで、思わず笑いそうになる。
「じゃあやるよ。八坂は英語、凪は数学」
櫻葉先輩が教科書を開いた。
最初はちゃんと勉強会っぽく始まった。 八坂先輩は英単語を読まされるたびに妙な発音で笑いを取りにいこうとするし、櫻葉先輩はそれを全部無表情で潰す。 凪先輩は凪先輩で、二次方程式の途中式を書きながら、ふとした拍子に「無人島で二次方程式解く流れってどう思う?」とか言い出す。当然、櫻葉先輩に止められる。
「どうも思わない。数学やって」
「はい……」
そのやり取りが妙におかしくて、俺はワークの上で少しだけ肩を揺らした。
しばらくして、凪先輩が新作シェイクのカップを押してきた。
「これ、一口飲む? ストロベリーチーズケーキ」
「重そう。……じゃあちょっとだけ」
もらって一口飲む。たしかに甘い。でも、悪くない。
「どう?」
「甘。いや、でもうまいっす」
「だろ?」
凪先輩は満足そうに笑って、そのまままたカップを引き寄せた。 すごく自然な流れだった。自然すぎて、横から櫻葉先輩の声が飛んでくるまで何も思わなかった。
「お前らいつもそんな距離感なの?」
顔を上げると、櫻葉先輩がペンを持ったままこっちを見ていた。八坂先輩も、え、何それ、みたいな顔をしている。
「え」
俺が間の抜けた声を出すと、凪先輩が先に答えた。
「普通じゃない?」
「どこが。シェアの自然さがもう普通じゃないでしょ」
櫻葉先輩の言葉に、俺は首を傾げた。
「そうっすか? だって一口だし」
「一口だし、じゃないんだよ」
「櫻葉、それ嫉妬? 俺もシェイク飲みたーい」
「お前は自分で頼みな」
そこで凪先輩が、俺のトレーを見た。俺はいつも通り、セットをひとつ頼んでいた。
「サク、それもういらない?」
凪先輩が俺のバーガーを指さす。
「あと一口くらいなら」
「じゃあちょうだい」
止める前に、凪先輩は包み紙ごと引き寄せて、そのまま普通に食べた。あまりにも迷いがなくて、止めるタイミングを失った。
「うん、やっぱてりやきうまい」
「お前らほんと何。今のも普通じゃないから」
櫻葉先輩が呆れた声を出す。
「サクいつも少し残すし、いいじゃん」
凪先輩は気にしていない。
「いや良し悪しの問題じゃなくて……お前らが当たり前みたいにやってるのが変なんだって」
俺が「櫻葉先輩、細か」と言うと、先輩は完全に嫌そうな顔になった。
「細かいんじゃなくて……はぁ、凪、次これ解いて」
結局、その日はちゃんと二時間くらい勉強した。 凪先輩と八坂先輩を椅子に座らせておくのに、櫻葉先輩がだいぶ苦労していたけれど。
最後の最後で、凪先輩はまたネタ帳を出しかけて怒られていた。
「文化祭終わったし、もう次詰めたいんだって」
「テスト終わってから」
「でも熱って冷めるじゃん」
「冷めないから大丈夫。凪がうるさいくらいなら冷めない」
「櫻葉ひどくない?」
「事実」
聞き慣れたそのやり取りを聞きながら、俺はコーラの氷をストローで押した。
こういうの、前なら別にわざわざ来なくてもよかったはずだ。部活休みなら、家で勉強してたってよかった。 なのに今は、当たり前みたいにここにいる。
凪先輩に呼ばれて。ハンバーガー屋に来て。 勉強して。時々ネタの話をして。 シェイクを回し飲みして。食べ残しを当然のように取られて。
それを、もうほとんど自然なことみたいに受け入れている自分がいる。
帰り際、店を出たところで凪先輩が隣に並んだ。
「サク、今日は来て正解だっただろ。俺もいたしな」
「後半いらなくないっすか」
「いる。早くテスト終わんねえかな」
「それでまたネタやる気でしょ」
「当然」
その言い方に、もう驚かなくなっている。 むしろ少しだけ、待ち遠しいと思ってしまったのが、なんか悔しかった。
たぶんこういうのを、「気づけば隣にいる」って言うんだろう。


