放課後バーガー

 文化祭一日目の朝は、学校全体が少し浮ついていた。
 廊下の飾りつけも、教室前の看板も、普段ならちょっと恥ずかしくなるような色で騒がしい。朝からやたらテンションの高いやつもいれば、準備の最終確認でぴりついているやつもいる。  そういう空気が全部混ざって、学校の中だけ別の日みたいだった。
 俺のクラスは、手作り小物の販売だった。  最初はだいぶ地味だなと思ったけど、いざ机に並べてみると案外それっぽく見える。
「雪代、これ値札ずれてる」
「どれ」
「そのペン立てのやつ」
「ああ、ほんとだ」
 朝から何度か店番に入って、袋を渡したり会計を手伝ったりする。こういうのはそこまで嫌いじゃない。
「雪代、次、交代な」
「了解」
 同じ班のやつに声をかけられて、俺はエプロンを外した。  もう昼前だった。教室の外からも人の流れが見える。校内のあちこちから笑い声や呼び込みの声が聞こえて、ほんとに文化祭だなと思う。
「雪代、どっか見てくんの?」
 クラスメイトに聞かれて、俺は肩をすくめた。
「まあ、せっかくだし」
「二年の執事喫茶、女子めっちゃ行ってたぞ」
「へえ」
「あと、お笑い研究部の先輩がいるクラスってそこじゃなかった?」
「……そうだったかも」
 言いながら、ちょっとだけ気になった。  凪先輩のクラス展示。そういえば何をやるとか、ちゃんと聞いていなかった気がする。  二日目の舞台のことばっかり話していたせいで、そっちは抜けていた。
 どうせなら見に行くか、と思った。  一応、先輩のクラスだし。
 そういう理由を並べながら、俺は二年の教室が並ぶ階へ向かった。
 階段を上がるにつれて、人の流れが増える。  女子の笑い声と、「写真撮っていいですかー?」みたいな声が混ざって聞こえてきたあたりで、ちょっと嫌な予感がした。
 廊下の先に、やたら装飾の凝った看板が立っている。
 ようこそ メイド執事喫茶へ
 思わず足が止まった。
「……マジか」
 確かに、クラス展示としては強い。しかも教室の前には思った以上に人がいる。  引き返すほどでもないし、かといってこのまま入るのも気まずい。  けど、せっかくここまで来たんだしと思って教室の中をのぞいた。
 その瞬間、本気で誰か分からなかった。
「いらっしゃいま――」
 言いかけた相手が、ぴたりと止まる。  こっちも止まる。
 数秒、ほんとに意味が分からなかった。
 眼鏡が、ない。
 まずそれだった。茶髪はそのままなのに、顔の真ん中にあるはずのものがなくて、そのせいで印象がまるごと変わっている。  黒っぽい執事服に白いシャツ、ベスト、首元のタイ。姿勢まで少し違って見えて、普段の「変な先輩」感がどこかへ飛んでいた。
 顔が、思ってた以上に整っていた。
「……いや、誰!?」
 思わず声に出た。  その言葉に、目の前の執事服の男――たぶん凪先輩が、一瞬だけ固まってから吹き出した。
「ひどくない?」
「いや、ひどいのそっちでしょ!」
「なんでだよ」
「眼鏡は!?」
「今日は外してる」
「いやそれは見れば分かるけど!」
 凪先輩が笑っている。  笑っているからたぶん本人で合ってるんだけど、納得は全然できない。
「え、マジで凪先輩?」
「そうだよ」
「……いや、ほんとに?」
「疑いすぎだろ」
「だって別人じゃないっすか」
「そんな変わる?」
「変わるっすよ」
 そこまで言ってから、なんかちょっと言いすぎた気がして口をつぐむ。  けど凪先輩はなぜか機嫌がよさそうだった。
「来てくれたんだ」
「まあ、一応」
「出た、一応」
「便利なんで」
「でも来た」
「来ましたけど」
 やり取りしていると、教室の奥から別の声がした。
「え、雪代?」
 振り向くと、同じく執事の格好をした男子が二人、こっちを見ていた。
「噂の後輩くん?」
「噂って何っすか」
「凪が最近ずっと話してる」
「いらんこと言うな」
 凪先輩がすぐ切る。
「いや、でもほんとに来るとは思わなかった。凪、昨日から『たぶんサク来る』って言ってたし」
「ほらな」
 凪先輩が得意げに言う。
「やっぱ来た」
「なんでそんな自信あるんすか」
「なんとなく」
「またそれ」
「へえ、これが」
 伊吹と呼ばれた先輩が、面白そうに俺と凪先輩を見比べた。
「何その“これが”って」
「いや、凪が楽しそうにしてる相手って珍しいから」
「やめろって」
「凪先輩、普段どんだけっすか」
「わりとこんな感じだよ」
 篠崎先輩が淡々と言う。
「でも最近ちょっと違う」
「おい」
「ほんとのことじゃん」
 なんだそれ。聞いててちょっと落ち着かない。  凪先輩は少しだけ困った顔で笑っていて、それがまたなんか腹立つ。
「で?」
 凪先輩が話を戻すように言った。
「入る? 座ってく?」
「え、でも混んでるし」
「大丈夫、今ちょうど回るから。席一個空けられるよ」
 教室の中を見ると、たしかに少し席が空きそうな気配はある。  けど、問題はそこじゃない。目の前の凪先輩が、相変わらず眼鏡を外していることだ。そのせいで、どうも調子が狂う。
「サク?」
 凪先輩が不思議そうにこっちを見る。
「どうした」
「いや……」
「なに」
「その格好、普通にずるいっすね」
 言った瞬間、自分で何言ってんだと思った。けど、もう遅い。  一拍遅れて、伊吹先輩が吹き出す。
「うわ、真正面から言った」
「いいね、後輩くん」
「だから何がっすか!」
 凪先輩は一瞬だけ固まっていた。  それから、ゆっくり目を細める。
「へえ。サクがそういうこと言うんだなと思って」
「別に深い意味ないっすよ」
「うん、でも嬉しい」
「……知らないっす」
 なんか一気に居心地が悪くなって、視線をそらす。
「じゃあなおさら入ってけよ。うちの執事長が喜んでるし」
「執事長って何」
「今日だけの肩書き」
 でも凪先輩は、ちょっとだけ口元をゆるめてから俺を見た。
「サク。ほんとに、来てくれてありがとな」
 その言い方は反則だろと思う。さっきからそういうのばっかりだ。
「……まあ、せっかく文化祭だし」
「うん」
「二年の展示も、一応見とこうかなって」
「一応ばっかだな」
「便利なんで」
「知ってる」
 そう言って凪先輩は笑った。  眼鏡がないぶん、そういう顔がいつもより近く見える気がして、また落ち着かなくなる。
 結局、少しだけ中に入ることになった。  案内された席に座っても、まだなんとなくそわそわする。たぶん、凪先輩が別人みたいだからだ。  でも、その別人みたいな先輩が、注文を聞きに来た時の声はやっぱりいつもの凪先輩で、そのズレが余計に変な感じだった。
「ご注文は?」
「……おすすめで」
「雑」
「だって何頼んでも今たぶん落ち着かないっす」
「何それ」
 奥で先輩たちがまた笑っている。絶対面白がってる。  でも、悪くなかった。  クラス展示を見に来ただけなのに、思ったよりちゃんと印象に残る時間になってしまっている。
 そしてたぶん、問題なのはそこじゃない。
 明日はいよいよ、本番だ。  舞台の上で、放課後バーガーとしてネタをやる。
 なのに今の俺の頭には、ドライブスルーの入りより先に、眼鏡のない凪先輩の顔が残っていた。
 ほんとに、調子が狂う。