放課後バーガー

 放課後、廊下に差し込む西日が少し濃くなってきたころ、八坂先輩がやたら元気だった。
「行くぞ、櫻葉!」
 いきなりそう叫ぶ。まだ部室にも着いてないのに、今日も今日とて声がでかい。  隣を歩いていた櫻葉先輩は、だるそうに片目を細めた。
「どこへ」
「決まってるだろ。百均」
「知らないよ」
「文化祭の小道具買い出し!」
「まだ決定稿も出てないのに?」
「だからこそ夢が広がるんだろ!」
 言ってることはよく分からないけど、勢いだけはある。
 俺と凪先輩は、その少し後ろを歩いていた。  凪先輩はネタ帳を小脇に抱えたまま、そのやり取りを見て笑っている。
「今年も始まったな」
「何がっすか」
「八坂の、買い出しの時だけ監督になるやつ」
「毎年なんすか」
「去年もすごかったよ。お手伝いロボのコントやるって言って、段ボールめちゃくちゃ買ってた」
「それ百均で?」
「そう。途中から櫻葉が顔死んでた」
「今年も死んでるっぽいですけど」
「まあな」
 前を歩く櫻葉先輩の背中は、たしかにだいぶ諦めの気配をまとっていた。
「俺たちも行く?」
 凪先輩が聞いてくる。
「百均。見学」
「暇人だなあ」
「文化祭準備ってそういうもんだろ」
 ちょっとだけ気になった。  百均前線の二人がどんなネタをやるのかも、まだちゃんとは知らない。
「じゃあ、一応」
「出た、一応」
「便利なんすよ、その言葉」
「逃げ道作ってるだけだろ」
「凪先輩だって似たようなもんでしょ」
「俺はいつでも本気だよ」
「それは知ってる」
 そう返したら、凪先輩が少しだけ目を細めた。  そのまま四人で駅前の百均へ向かった。
 店内に入った瞬間、八坂先輩の目が輝いた。
「うわー、宝の山!」
「毎回それ言うよね」
 櫻葉先輩がかごをひとつ取って押しつける。
「今日はそれ以上増やさないでよ」
 八坂先輩はもうその時点で楽しそうだった。  棚を見渡しているだけなのに、文化祭当日より生き生きしてるんじゃないかと思う。
「人質?」
 俺が聞くと、八坂先輩が待ってましたと言わんばかりに振り返った。
「そう! 文化祭のコント! 俺が幼稚園児で、櫻葉が犯人!」
「配役だけでちょっと面白いな」
 凪先輩が言う。
 八坂先輩はもうそのへんの棚に一直線だった。  色画用紙、シール、王冠、マスコット、子ども用のリボン。見るたびに次々とかごへ放り込んでいく。
「いやいやいや」
 櫻葉先輩がすぐ止めた。
「今どこに王冠使うの」
「園児の格が上がる」
「人質コントで園児の格上げる必要ある?」
「あるでしょ。貫禄出したいし」
「園児に貫禄いらないでしょ」
 俺は思わず笑ってしまった。  凪先輩も横で口元を押さえている。
「すごいっすね、ほんとに何でも入れてく」
「八坂はそういうとこある」
 凪先輩が小声で言う。
「作る前がいちばん楽しいタイプ」
「文化祭の準備向いてるな」
「向いてる。櫻葉は大変だけど」
 その間にも、八坂先輩は園児用っぽい黄色の帽子を見つけて大騒ぎしていた。  櫻葉先輩のツッコミはだいぶ慣れている。たぶんこれが普段の二人なんだろう。
 凪先輩も面白そうにそれを見ていたけど、ふと黒いおもちゃのナイフを手に取った。
「これでよくない?」
「うん?」
 八坂先輩が振り向く。
「犯人役のメインはこれでしょ。あとは園児服っぽいのがあれば、だいたい成立する」
「……たしかに」
「ほら、シンプル。ようやく話が通じた」
 櫻葉先輩がすかさず言う。
 結局、かごの中身はだいぶ減った。  最終的に残ったのは、園児帽子っぽいものと、リボンと、おもちゃのナイフ。  そして八坂先輩がどうしても譲らなかった丸いシールくらいだった。
「だいぶ減ったな」
 凪先輩が言うと、八坂先輩は胸を張った。
「今回はシンプル!」
「最初に比べたらな」
 櫻葉先輩がレジへ向かいながら言う。
「危うく王冠つけた幼稚園児になるところだった」
 そのやり取りを聞きながら、俺は少しだけ思う。  こういうふうに、ぐだぐだしながらでも形にしていく感じ、部活っぽいな、と。
 数日後の部室は、いつもより少しだけ空気が張っていた。
 文化祭前のネタ見せ。  百均前線と放課後バーガーで、お互いのネタを見せ合う日だ。
 八坂先輩は園児帽子をかぶって満足そうだった。  櫻葉先輩は黒い服で、手には例のおもちゃのナイフ。見た目だけでだいぶ完成していて、ちょっと悔しい。
「じゃあ、先に俺らやるね。文化祭コント、『人質』」
 俺と凪先輩は椅子に座って、それを見る側に回った。  八坂先輩はもう完全にスイッチが入っている。
 櫻葉先輩が低い声を作る。
「動くな! この子がどうなってもいいのか!」
 その直後だった。
「おほんっ……いやあ、物騒だねえ」
 八坂先輩の園児が、小さく咳払いしてからそう言った瞬間、俺は吹き出しかけた。  見た目はどう見ても園児なのに、中身が完全に中年のおじさんだ。
 コントはそのまま一気に進んだ。  犯人が脅すたびに、園児が妙に達観した口調で返す。白湯の話、喉を気遣う話、三億円の手数料の心配。  どれも分かりやすいし、何より櫻葉先輩の受けがうまかった。
「大きいお金って意外と手数料もかかるからねえ」
「なんの現実感なんだよ!」
 そのくだりで、俺は完全に笑ってしまった。  最後、犯人がしょんぼりし始めて、園児に諭されるところまで行くと、部室の空気はかなり温まっていた。
「うわ、強」
 凪先輩が言う。
「普通に文化祭向きじゃん」
「犯人がちゃんと怯んでるから成立してる」
 凪先輩が櫻葉先輩に言う。
「変に張りすぎてないのがいい」
「珍しく素直に褒めるじゃん」
「珍しくって何だよ」
 こういうやり取りを見てると、二人がちゃんとコンビなんだなと思う。
「じゃあ次、そっち。放課後バーガー!」
 八坂先輩が俺たちを指さした。  俺は立ち上がった。凪先輩もその隣に立つ。部室の中なのに、妙に喉が乾く。
「いける?」
 小さく聞かれて、俺は頷いた。
 ネタはドライブスルーのやつだ。  入りのテンポはもうだいぶ馴染んでいる。
 凪先輩が、すっと店員の顔になる。
「いらっしゃいませ! こんにちは! マイクに向かってこんにちは!」
「こんにちは!……じゃなくて、ご注文をどうぞ、だろ!」
 八坂先輩がすぐ笑った。その反応に少しだけ肩の力が抜ける。
 そこから何往復か進めていく。  途中までは、悪くなかった。  でも後半に行くにつれて、少しだけ散ったのが自分でも分かった。
 凪先輩のボケに対して、俺の返しがちょっと慎重になる。  受けようとしすぎて、雑に切れなくなる。そういう小さいズレだ。
 終わったあと、部室に少しだけ沈黙が落ちた。
「入り、強いね」
 櫻葉先輩が言う。
「サクの声、思ったより通るし、ツッコミの時だけちゃんと前に出る感じがする」
 褒められるのは、やっぱりちょっと照れる。  でもそこで終わらなかった。
「ただ、後半ちょっと迷子になるかも」
 凪先輩がすぐに言った。
「そこ俺も思ってた。サクがちょっと丁寧に返しすぎる時がある」
「丁寧?」
「もっと雑でいいってこと。先輩だから遠慮してるのか、ちょっと優しい」
 その言葉に、少しだけ詰まる。図星だったからだ。
「でもさ、それって逆に伸びしろじゃん!」
 八坂先輩が明るく言う。
「文化祭までにもっと噛み合えば、かなりよくなると思う」
 凪先輩が言った。
 その声は真面目だった。落ち込んでるわけじゃない。  ちゃんと次を見てる声だ。
 ネタ見せが終わったあとは、自然と反省会みたいになった。  部室の机を囲んで、それぞれ思ったことを口にしていく。
「サク。自分でどう思った?」
 凪先輩がまっすぐ聞いてくる。
「……後半、ちょっとやりにくかったっす。拾おうとして、安全に返してる感じがある。もっと雑に言ってもいいのかなとは思うんすけど」
「いいよ」
 凪先輩は即答した。
「むしろそっちが見たい」
「でも先輩だし」
「ネタの時は関係ないだろ」
 その言い方が、なんか少しだけ嬉しかった。
「ほら、やっぱちょっと遠慮してたんじゃん」
 八坂先輩が笑う。
「いいじゃん、初々しくて」
「何がだよ」
 櫻葉先輩がそこで、ぽつっと言った。
「でも、そこ超えたらたぶん一気によくなるよ。今でも相性はいいから」
「相性、ねえ」
 俺が小さく呟くと、凪先輩が横から言う。
「いいだろ。相性」
「別に悪いとは言ってないっす」
「ならよかった」
 そう言って笑うから、やっぱりちょっとずるい。
 帰り際、八坂先輩はまだ園児帽子をかぶったままだった。  凪先輩はネタ帳を閉じながら、俺のほうを見た。
「明日、もう一回やるぞ。文化祭前だし」
「分かってますよ」
「じゃあ来る?」
「行きます」
「即答」
「今日はそういう気分なんで」
 そう言ったら、凪先輩は嬉しそうに笑った。
「いいね。今日のサク、ちょっと本気っぽい」
「昨日よりは、たぶん」
「十分」
 部室を出るころには、窓の外はだいぶ暗くなっていた。  でも、春の終わりの空気はまだ少しやわらかい。
 文化祭まで、まだ少しある。  けど、今日のネタ見せで分かった。
 まだ少し、なんて言ってる場合じゃないのは、たぶん俺のほうかもしれない。
 凪先輩は最初からずっと前を見てる。  俺はそこに、ようやく追いつき始めたところだ。