十月に入ったばかりの夜は、ようやく秋らしく涼しかった。
地元の秋祭りの境内には屋台の灯りが並び、小さな特設ステージの前には思っていたより人が集まっていた。「放課後バーガー」の出番が終わって袖に戻ると、八坂先輩が真っ先に飛んできた。
「よかったじゃん! サルのくだり、めっちゃウケてた!」
「お前の笑い声も混ざってたけどな」
凪先輩が言うと、八坂先輩は「そこは応援だから!」と胸を張る。すると櫻葉先輩が、呆れたように言葉を足した。
「声量がでかすぎるんだよ。……でもまあ、普通によかった」
その一言が、なんだかんだでいちばん嬉しかった。朔人が少しだけ笑うと、凪先輩も隣で小さく笑った。
四人で少しだけ屋台を回り、百均前線とは途中で別れた。
「じゃあ俺らこっちだから。八坂、寄り道すんなよ」
「えー、ベビーカステラだけ!」
「それが寄り道だろ」
二人が去っていき、残されたのは凪と朔人だけになった。
祭りのざわめきが少し遠くなった道を、並んで歩く。四人でいた反動か、急に静かになった空気が少しだけ落ち着かない。
住宅街へ入る手前の道には、やわらかい街灯の光だけが落ちていた。夜風が火照った頬に当たるたび、意識が余計にはっきりしていく。
「百均前線も、なんだかんだ仲いいっすよね」
朔人がぽつりと言う。
「うん。八坂、あれでちゃんと櫻葉のこと頼ってるしな。結局ああいうのが一番長続きするのかもな。……俺らもだけど」
凪先輩の言葉に、朔人は少しだけ目を細めた。
「……そういうの、普通に言うんですね」
「普通に思ってるし」
「ずるいんですよ」
「またそれ? お前もだろ」
少しだけ笑って、それから朔人は足元を見た。何かを言い淀むような間があって、小さく続ける。
「……そういえば」
「何」
「俺ら、付き合ってるんですよね」
言ったあとで、自分でも変な確認だと思った。けれど凪先輩はすぐには笑わなかった。少しだけ目を丸くして、それからふっと肩の力を抜くように笑う。
「今さら?」
「分かってるんですけど。……急に二人になると、なんか実感わくっていうか」
凪先輩は何も言わなかった。ただ、少しだけ歩く速度を緩める。
それにつられて、朔人も足を止めた。
並んだままの距離が、さっきまでよりほんの少しだけ近くなる。街灯の光が、凪先輩の眼鏡の縁に淡く映った。
「じゃあ。もうちょい分かりやすくする?」
言い方はいつも通り少し軽いのに、声だけは妙にやわらかかった。
朔人がその意味を咀嚼するより先に、制服の袖がほんの少し引かれる。
一歩、近づく。
息が止まった。
目の前にある凪先輩の顔が、思っていたよりずっと近い。逃げる間も、拒む理由もなかった。
唇が、軽く触れた。
本当に一瞬だった。
確かめるようにやわらかく触れて、すぐに離れる。けれどその短さのせいで、かえって感触だけが鮮明に残った。
朔人はその場で硬直した。心臓だけがひどくうるさい。夜風は涼しいはずなのに、耳の奥がじりじりと熱かった。
「……え」
やっと出た声に、凪先輩が少しだけ笑う。
「何その反応」
「いや、だって……今の」
朔人が言葉を失っていると、凪先輩は少し照れたように視線を逸らした。
「付き合ってるんだろ、俺ら」
「そうですけど」
「じゃあ、いいじゃん」
そう言いながらも、凪先輩の声もほんの少し低い。向こうも平気なふりをしているだけだと気づいて、朔人は少しだけ息を吐いた。
「……ずるいです」
小さく呟くと、凪先輩は視線を戻して、口元だけで笑った。
「知ってる」
その顔がやけにやさしく見えて、朔人はもう一度目を逸らす。唇に残った感覚を意識しないようにすればするほど、それははっきりしてしまう。
「帰りますか。これ以上ここで止まってると、たぶん俺、ほんとに変になるんで」
「うん」
「……笑わないでください」
「笑ってない」
「笑ってます」
「ちょっとだけ」
また並んで歩き出す。今度はさっきより、少しだけ肩の距離が近かった。
「そういえば、次の動画どうする?」
「今その話します?」
「するだろ。仕事だぞ」
「真面目だなあ」
「当たり前だ。……で、アルパカ園長のくだり、入れる?」
朔人が提案すると、凪先輩は吹き出した。
「出たな、低い声のやつ」
「やってくださいよ。必要なんです」
「その便利ワード、まだ使うのか」
「使います」
「じゃあ……考えとく」
そんなふうに笑いながら、二人の放課後は続いていく。
祭りの灯りが遠ざかった道には、涼しい秋の風と、触れた場所の熱の名残がまだ漂っていた。
隣を歩く距離が前よりほんの少し近いことを。 それをごく自然に受け入れている自分たちのことを。
二人は何でもないような顔をして、愛おしい帰り道を歩いていった。
地元の秋祭りの境内には屋台の灯りが並び、小さな特設ステージの前には思っていたより人が集まっていた。「放課後バーガー」の出番が終わって袖に戻ると、八坂先輩が真っ先に飛んできた。
「よかったじゃん! サルのくだり、めっちゃウケてた!」
「お前の笑い声も混ざってたけどな」
凪先輩が言うと、八坂先輩は「そこは応援だから!」と胸を張る。すると櫻葉先輩が、呆れたように言葉を足した。
「声量がでかすぎるんだよ。……でもまあ、普通によかった」
その一言が、なんだかんだでいちばん嬉しかった。朔人が少しだけ笑うと、凪先輩も隣で小さく笑った。
四人で少しだけ屋台を回り、百均前線とは途中で別れた。
「じゃあ俺らこっちだから。八坂、寄り道すんなよ」
「えー、ベビーカステラだけ!」
「それが寄り道だろ」
二人が去っていき、残されたのは凪と朔人だけになった。
祭りのざわめきが少し遠くなった道を、並んで歩く。四人でいた反動か、急に静かになった空気が少しだけ落ち着かない。
住宅街へ入る手前の道には、やわらかい街灯の光だけが落ちていた。夜風が火照った頬に当たるたび、意識が余計にはっきりしていく。
「百均前線も、なんだかんだ仲いいっすよね」
朔人がぽつりと言う。
「うん。八坂、あれでちゃんと櫻葉のこと頼ってるしな。結局ああいうのが一番長続きするのかもな。……俺らもだけど」
凪先輩の言葉に、朔人は少しだけ目を細めた。
「……そういうの、普通に言うんですね」
「普通に思ってるし」
「ずるいんですよ」
「またそれ? お前もだろ」
少しだけ笑って、それから朔人は足元を見た。何かを言い淀むような間があって、小さく続ける。
「……そういえば」
「何」
「俺ら、付き合ってるんですよね」
言ったあとで、自分でも変な確認だと思った。けれど凪先輩はすぐには笑わなかった。少しだけ目を丸くして、それからふっと肩の力を抜くように笑う。
「今さら?」
「分かってるんですけど。……急に二人になると、なんか実感わくっていうか」
凪先輩は何も言わなかった。ただ、少しだけ歩く速度を緩める。
それにつられて、朔人も足を止めた。
並んだままの距離が、さっきまでよりほんの少しだけ近くなる。街灯の光が、凪先輩の眼鏡の縁に淡く映った。
「じゃあ。もうちょい分かりやすくする?」
言い方はいつも通り少し軽いのに、声だけは妙にやわらかかった。
朔人がその意味を咀嚼するより先に、制服の袖がほんの少し引かれる。
一歩、近づく。
息が止まった。
目の前にある凪先輩の顔が、思っていたよりずっと近い。逃げる間も、拒む理由もなかった。
唇が、軽く触れた。
本当に一瞬だった。
確かめるようにやわらかく触れて、すぐに離れる。けれどその短さのせいで、かえって感触だけが鮮明に残った。
朔人はその場で硬直した。心臓だけがひどくうるさい。夜風は涼しいはずなのに、耳の奥がじりじりと熱かった。
「……え」
やっと出た声に、凪先輩が少しだけ笑う。
「何その反応」
「いや、だって……今の」
朔人が言葉を失っていると、凪先輩は少し照れたように視線を逸らした。
「付き合ってるんだろ、俺ら」
「そうですけど」
「じゃあ、いいじゃん」
そう言いながらも、凪先輩の声もほんの少し低い。向こうも平気なふりをしているだけだと気づいて、朔人は少しだけ息を吐いた。
「……ずるいです」
小さく呟くと、凪先輩は視線を戻して、口元だけで笑った。
「知ってる」
その顔がやけにやさしく見えて、朔人はもう一度目を逸らす。唇に残った感覚を意識しないようにすればするほど、それははっきりしてしまう。
「帰りますか。これ以上ここで止まってると、たぶん俺、ほんとに変になるんで」
「うん」
「……笑わないでください」
「笑ってない」
「笑ってます」
「ちょっとだけ」
また並んで歩き出す。今度はさっきより、少しだけ肩の距離が近かった。
「そういえば、次の動画どうする?」
「今その話します?」
「するだろ。仕事だぞ」
「真面目だなあ」
「当たり前だ。……で、アルパカ園長のくだり、入れる?」
朔人が提案すると、凪先輩は吹き出した。
「出たな、低い声のやつ」
「やってくださいよ。必要なんです」
「その便利ワード、まだ使うのか」
「使います」
「じゃあ……考えとく」
そんなふうに笑いながら、二人の放課後は続いていく。
祭りの灯りが遠ざかった道には、涼しい秋の風と、触れた場所の熱の名残がまだ漂っていた。
隣を歩く距離が前よりほんの少し近いことを。 それをごく自然に受け入れている自分たちのことを。
二人は何でもないような顔をして、愛おしい帰り道を歩いていった。


