放課後バーガー

 七月の終わり、空気は昼の熱をまだ少し残したまま、ゆっくり夜に向かっていた。  駅前の広場には提灯が並び、屋台の明かりがぽつぽつと浮かんでいる。遠くで太鼓の音が響き、人のざわめきと混ざって夏祭りらしい景色を作っていた。
 待ち合わせ場所に着いたとき、朔人はすでに少しだけ後悔していた。  なんで部活の四人で来ることになったんだろう。嫌ではない。嫌ではないけど、最近の自分の調子を考えると、凪先輩とこういう場所に来るのは落ち着かない。
「サクー!」
 案の定、人混みの向こうから八坂先輩が大きく手を振ってきた。隣には、すでに疲れ顔の櫻葉先輩がいる。
「早くないっすか」
「八坂が待ちきれないってさ」
 櫻葉先輩がため息をつく。
「だって祭りだよ!? 射的あるし!」
「そこなんだ……」
 そこへ、私服姿の凪がふらりと現れた。黒のTシャツにシャツを羽織ったラフな姿。眼鏡の奥の目が、朔人を見て細められる。
「サク、早いじゃん」
「凪先輩が遅いんすよ」
「りんご飴の列、見てた」
「まだ始まってすらないのに?」
 四人で鳥居をくぐり、屋台が並ぶ道へ入る。  最初に足を止めたのは、もちろん凪だった。
「牛串。食う?」
「食べないっす」
「じゃあ俺食う。りんご飴も」
「まだ入って三分ですよ。今ので何個目っすか」
「まだ四」
「もう四だろ。引くわ」
「ひど。でも、りんご飴は別腹だからな」
 凪が笑いながら飴をかじる横で、八坂先輩はすでに狐のお面を頭に乗せていた。
「見てこれ! 似合う!」
「小学生かよ。なんでお面二個目なんだよ」
 櫻葉先輩のツッコミも虚しく、八坂先輩は射的の屋台へ一直線に走っていく。
「櫻葉、これ持ってて。勝利の重み!」
「いや、ただの景品のキーホルダーだろ。荷物増やすなよ」
 櫻葉先輩の手には、八坂先輩が買い込んだラムネやポテトが山積みになっていた。
 四人でいると、会話が途切れない。誰かがボケて、誰かが拾い、また誰かが突っ込む。その流れが、なんだかんだで心地よかった。
 人混みが激しくなり、一瞬、四人の列が崩れた。
「ちょ、八坂先輩、速いって……」
 朔人が振り返ったときには、もう人波が間に入っていた。
「サク」
 その声と同時に、手首を軽く掴まれた。  振り向くと、凪だった。片手にりんご飴を持ったまま、もう片方の手で朔人を引き寄せる。
「はぐれると面倒だろ」
「……あ」
 それしか言えなかった。人混みのせいで距離が近い。
「凪先輩、手……」
「嫌?」
「嫌じゃないですけど、変っていうか」
「じゃあ手、繋ぐ?」
 凪が少しだけ笑った。冗談かと思った次の瞬間、背後から人がどっと流れてくる。凪は自然な動きのまま、朔人の手をしっかり握った。
「はい、これで大丈夫」
「……雑だなあ」
「はぐれないように、だからな」
 指先が触れる。手首よりずっと近い感覚に、朔人の心臓が勝手にうるさくなった。
「サク」
「なんすか」
「顔、ちょっと固くない?」
「凪先輩のせいでしょ」
「俺?」
「そうです」
「ひど」
「りんご飴持ちながら言うことじゃないっす」
「食べないと溶けるだろ」
「りんご飴ってそういう心配するもんでしたっけ」
「いや知らん」
 朔人は手を振りほどかなかった。人混みが落ち着くまでの少しの間だけ――そう思っていたのに、凪もなかなか離そうとはしなかった。
 川沿いの土手へ向かうと、風が少しだけ抜けた。  四人はアスファルトの熱が残る地面に腰を下ろす。
「疲れたー!」
 八坂先輩が叫び、隣に櫻葉先輩が荷物をどさっと置く。
「お前のせいだよ」
「でも楽しかったでしょ?」
「まあ、少しはな」
 朔人は凪の隣に座った。距離は近すぎないけれど、遠くもない。さっきの手の感触が、まだ指先に残っている気がする。
 一発目の花火が上がった。音が遅れて届き、夜空に光が大きく開く。
「うわ、やっぱ夏って感じ」
「さっきまで射的しか見てなかったくせに」
 そんな先輩たちのやり取りを聞きながら、朔人は隣の凪を見た。凪はデザートだと言い張って、今度はクレープを食べている。  その横顔を見ていたら、朔人はふっと笑ってしまった。
「何」
「いや」 「……来てよかったなと思って」
「祭り?」
「祭りも、……まあ、全部」
 自分で言って照れる朔人に、凪はからかうこともなく返した。
「俺も、よかったよ」
 花火がもう一発、大きく開く。  前なら、隣に女の子がいる未来を想像していたかもしれない。けれど今、隣にいるのは凪で、それが驚くほどしっくりきていた。
「サク。さっき、手繋いだの嫌じゃなかった?」
「今さら……。嫌だったら振りほどいてますよ」
「そっか。……じゃあ、嬉しかった?」
「……知らないっす」
「サク、顔赤いぞ」
「……花火のせいです」
「無理あるなあ」
 そこでまた、二人とも笑った。  前のほうで八坂先輩が「今のハートっぽくなかった!?」と騒いで、櫻葉先輩に「見えないよ」と即答されている。
 夏はまだこれからだ。けれど、この夜のことは、きっと長く心に残るだろう。  祭りの匂い、花火の音、そしてさっき繋いだ手の熱。  放課後の延長みたいな夜なのに、それは何よりも特別だった。