放課後バーガー

 人って、案外どうでもいいことで人生がずれる。
 たとえば、放課後。  たとえば、腹が減っていたこと。  たとえば、たまたま昇降口に、やたらしつこい先輩がいたこと。
 あの日の俺は、女子にモテる部活に入りたかった。  いや、正確に言うと、女子にモテる何かを始めたかった。
 高校入学から二週間。  まだクラスの空気にも完全には馴染みきってなくて、だからこそ、分かりやすい武器が欲しかった。
 顔は悪くないと思う。  背も高いほうだ。  愛想よく話すのも、わりと得意だ。
 でも、それだけだと足りない。  高校ってのは中学より人数が多い分、埋もれる時はあっさり埋もれる。
 サッカー部みたいな分かりやすいやつに入れば、たぶん早い。  グラウンドで走って、汗かいて、女子に黄色い声でももらえれば、俺の高校生活はそれなりに華やかになるはずだった。
 だからその日も、俺はサッカー部の見学に行くつもりだった。
 なのに、現実はどうだ。
「サク、聞いてる? 今の流れ、三つ目のボケ入れるならその前にちょい間が欲しいんだよな」
 向かい側から飛んでくる声に、俺はポテトを一本つまんだまま顔を上げた。
 窓の外は、まだ春のやわらかい明るさを残していた。  日が落ちるのもそこまで早くなくて、夕方のはずなのに、ガラスの向こうには淡い青がのびている。  店内は少しだけ冷房が利いていて、制服のままだとちょうどいいくらいだった。
 凪《なぎ》先輩はいつもの席で、いつものようにハンバーガーを半分まで食べたところだった。
 茶髪に眼鏡。  ぱっと見は勉強できそうな真面目系に見えなくもないのに、中身は全然そんなことない。  やたら押しが強くて、変なこだわりが多くて、ネタ帳を広げた瞬間だけ目が異様に生き生きする。
 この人に捕まったのが、すべての始まりだった。
「聞いてるっすよ」
「ほんとか?」
「聞いてる。聞いてるけど、凪先輩、今ので十分ウケると思う」
「十分じゃだめなんだって。もっと欲しい」
「欲張りすぎなんすよ」
 そう返すと、凪先輩はふっと笑った。  その笑い方が、ちょっとむかつくくらい楽しそうで、俺はストローの先で氷を押した。
 俺は今、ハンバーガー屋でネタ作りをしている。  一ノ瀬凪《いちのせなぎ》っていう、ひとつ上の変な先輩と、「放課後バーガー」なんてそのまますぎる名前のコンビを組んで。
 最初は、本当にそのつもりじゃなかった。
 ただ約束を守っただけだ。  ただ、見学に行っただけだ。  ただ、少し押しに弱かっただけだ。
 それだけのはずだったのに。
「サク」
「なんすか」
「お前さ、最初ここ来た時、絶対すぐ帰ると思ってたろ」
「まあ、思ってました」
「やっぱりかよ」
「だってあの時の凪先輩、だいぶ怪しかったっすよ」
「怪しくない。熱心な勧誘」
「言い方変えただけじゃないっすか」
 店内の笑い声や注文番号を呼ぶ声の向こうで、凪先輩がネタ帳のページをめくる。  その音がやけに馴染んでいることに、自分で少しだけ驚く。
 モテたかっただけのはずだった。  なのに今は、文化祭だの、漫才だの、M-1だの、そんなことばっかり考えている。
 ほんと、案外どうでもいいことで人生はずれる。  しかもたちが悪いのは、そのずれがたまに悪くないと思ってしまうことだ。
 俺はポテトを口に放り込んで、冷えたコーラを飲んだ。  塩気と炭酸が混ざった喉の奥に、笑いをこらえるみたいな変な感覚が残る。
 もしあの日、昇降口であの先輩に捕まらなかったら。  もしチラシを受け取らずに、そのままサッカー部だけ見て帰っていたら。  もし、約束なんか律儀に守らなかったら。
 今ごろ俺は、もっとまっとうで、もっと分かりやすい高校生活を送っていたかもしれない。
 でも、たぶん。  それじゃ、こんなふうには笑ってなかった。
 そのことを、俺はまだ認めたくなかった。
 だからこれは、ただの放課後の話だ。  ちょっと変な先輩に捕まって、ハンバーガー屋でネタを考えるようになった、それだけの話。
 少なくとも、最初は。