中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

「青柳、そっち乾いてる」

朝のホームルーム前、正門脇の花壇でそう言われて、俺はホースの先を少しだけ右へずらした。細い水の筋が、白っぽく乾きかけた土をじわっと黒く変えていく。朝の光はまだやわらかくて、濡れた葉っぱの先で小さなしずくが震えた。パンジーの匂いより先に、水を吸った土の青い匂いが立ちのぼる。春の匂いだ、と思う。

隣でしゃがみこんだ凛央が、倒れかけていた札を差し直した。白いシャツの袖をひとつ折って、土のついた指先でまっすぐ整える。その手つきは相変わらずきれいで、でも教室で見るときよりずっと静かだった。

「そこ、根元だけでいい」

「わかってる」

返した声が少しだけ硬くなって、自分で嫌になる。昨日の告白のあと、結局ちゃんと話せなかった。名前を呼んで、それで終わったみたいに、そこで時間がなくなった。

凛央は何も言わず、少しだけ目を細めた。

校門の向こうから登校してくる生徒たちの声が重なる。

「昨日の合同イベント、見た?」

「みどまる、鉢から守ったのかっこよかったよね」

「びっくりしたー。音すごくて何言ってるか全然わかんなかったけど」

最後のひと言に、ホースを握る手から、遅れて力が抜けた。

聞こえてない。
少なくとも、俺=みどまるだとは気づかれていなさそうだ。

「白石くん、おはよー!」

クラスの女子が手を振る。凛央は立ち上がると、もう一秒後には学校の白石凛央の顔になっていた。

「おはよう」

やわらかく笑って、感じよく返す。近づかせすぎず、でも遠くもしない、あの完璧な笑顔だ。昨日、資材置き場のカーテンの向こうで見た顔とは別人みたいなのに、どっちもちゃんと凛央だと思ってしまうから困る。

女子たちが行ってしまってから、凛央は俺の足元に置いてあった緑化委員の記録ノートを持ち上げた。

「これ、あとで」

「……うん」

ノートを受け取るとき、指先がほんの少し触れた。春の朝の風はまだ冷たいのに、そこだけ妙に熱い。