中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

みどまるの頭をかぶった瞬間、朝の空気が全部遠くなった。

正門前は春そのものみたいに明るいのに、中だけは別の季節だ。白い布のにおい、自分の息の熱、首の裏にたまる汗。視界の網越しに見える花壇はきれいにぼやけていて、ビオラの黄もネモフィラの青も、にじんだ色のかたまりみたいだった。

「みどまるー!」

子どもの声に手を振る。
その丸い手が、もう少し重い。
朝の準備で土袋を運んだだけなのに、腕の付け根が鈍く痛んでいた。

開会式の横で、凛央がマイクを持っている。

「今日は学校の花壇も、市の花いっぱい運動も、一緒に見てもらえる日です」

よく通る声だった。
父兄にも先生にも届く、きれいな声。
そのくせ、みどまるが一歩出るタイミングだけは、こっちの足元に合わせて少しゆっくりになる。

「みどまる、こっち」

低い声でそう言われるたび、ぎりぎり転ばずにすむ。

写真撮影が始まるころには、背中の汗がもう腰まで落ちていた。首の中に熱い空気がたまりつづけて、息を吸っているのに喉は乾く。花壇のそばを通るたび、マリーゴールドの匂いがいつもより濃く感じた。甘いはずなのに、今は少しきつい。鼻の奥に貼りつくみたいだった。

「みどまる、こちらお願いします!」

スタッフの声で向きを変える。
その一歩が思ったより遅れて、足が花壇の縁に軽く当たった。

やばい、と思った瞬間、正面から凛央の声が落ちる。

「半歩だけ右」

短い。
でも、それで足が戻った。

開会のあと、俺はバックヤードへ引っこまされた。頭を少し持ち上げてもらって空気を吸うと、肺の奥がひりっとした。

「っ、は……」

喉がからからだった。冷たい水を一気に飲みたいのに、急ぐとむせそうでうまくいかない。父さんがタオルを首に押し当ててくれる。ぬれた布がやっと気持ちいいと思えるくらいには、中が地獄だった。

「学校、戻れる?」

「戻る」

「走るなよ」

「走らないと間に合わない」

言い返したところで、衝立の下から何かがするりと差しこまれた。

業務連絡ノートだった。

開くと、さっきまでなかった字がひとつだけ増えている。

『先に始める。急がなくていい』

止めが少しだけ強い、見慣れたきれいな字。
その下に、小さな双葉じゃなくて、細い葉が二枚。ミントみたいな形だった。

喉の奥が、別の意味でつまる。

急がなくていい、なんて。
今日いちばん忙しいのは凛央のはずなのに。

でも、そのひと言だけで、胸の中のどこかが少しだけ安心してしまった。