中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

「青柳、先生呼んでる」

「樹、こっち。先に市の段取り」

二つの声が、ほとんど同時に飛んできた。

正門前の花壇のあいだから、担任が腕を上げる。体育館裏のテントのほうでは、父さんが業務連絡ノートを振っている。朝の光を吸ったビオラの花びらがやけに鮮やかで、その紫と黄のあいだで、俺だけが一瞬立ち止まった。

「青柳?」

すぐ近くで、凛央が小さく呼ぶ。

緑化委員の腕章をつけたままの横顔は、もう半分イベント用の顔だった。人前に出る直前の、きれいで、明るくて、ちゃんと隙のないやつ。でも俺を見ている目だけが、少しだけ静かだ。

「……悪い」

それしか言えなくて、俺は父さんのほうへ走った。

体育館裏のテントは、朝なのにもうぬるかった。白い布越しに日差しが広がって、積み上がった苗トレーと空のじょうろが白っぽく光っている。父さんは腰をかばうみたいに片手を当てたまま、業務連絡ノートを開いた。

『10:00 開会式・みどまる登場』

『10:20 写真撮影』

『10:40 学校ブース戻り可』

『11:15 子ども花壇まわり』

『12:00 寄せ植え体験 学校側』

『12:30 みどまるふれあい』

『13:10 白石凛央さんとステージ』

緑の線で囲まれた時間が、ぎゅうぎゅうに詰まっている。

「無理だろ、これ」

「無理を、なんとかするのがイベントなんだよ……って本来は言いたくないんだけどな」

父さんは苦笑して、それから声を落とした。

「開会式と後半のステージ、そこだけは外せない。みどまるの出番はできるだけ短くする。学校のほうは、白石くんがつないでくれるって」

「え」

振り向くと、いつの間にか凛央がテントの入口に立っていた。布の影の中で、さっきより少しだけ素に近い顔をしている。

「先生には言った。開会のあいだ、俺が一人で案内する」

「でも、お前だって市のほう」

「うん。だから、間に合う分だけでいい」

言いながら、凛央はテントのポールに軽く手を置いた。白いシャツの袖口に、もう薄く土がついている。

「青柳は、十時四十分に戻れたらそれでいい。寄せ植えは俺が先に始めるから」

なんでもないみたいに言う。
なんでもなくないのに。

「……ごめん」

「謝る暇あるなら、水飲んで」

差し出されたペットボトルは、まだ冷たかった。受け取った指先が、情けないくらい熱くなっているのに気づく。

凛央はそれ以上、何も聞かなかった。
どうして俺がこうなってるのかも。
なんで父さんと業務連絡ノートを挟んで話しているのかも。

聞かないでいてくれるのが、助かる。
助かるのに、胸の奥にじわっとしみる。

「樹、五分で着るぞ」

父さんに急かされて、俺は冷たい水を喉へ流しこんだ。うまいとか、まずいとかじゃなくて、とにかく乾いていた。