中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

古い園芸店は、ホームセンターよりずっと静かだった。

木の棚に並んだ苗は少し不揃いで、そのぶんひとつひとつに表情がある。水を含んだ土の黒さも、葉っぱの艶も、近くで見るとやけに生き物っぽい。

「黄のマリーゴールド、こっちのほうが元気」

凛央がしゃがんで、葉をそっと持ち上げる。

「ホームセンターのより茎しっかりしてる」

「値段は少し高いけどな」

「予算、まだ大丈夫?」

「たぶん」

二人で手書きメモを確認する。いつの間にか凛央が小さく丸をつけていた。必要なものが揃うたび、チェックしてくれていたらしい。

「几帳面」

「青柳ほどじゃない」

「俺、そんなでもない」

「そうかな」

凛央はメモを見たまま、ぽつりと言った。

「青柳の書く字とかメモって、なんか落ち着く」

心臓が、またうるさくなる。

「……字だけ?」

「字だけじゃない」

さらっと返されて、言葉に詰まった。

そのままレジ前の小さなハーブ棚へ移動する。ミント、バジル、ローズマリー。小さなポットが並んでいて、葉に触れると、それぞれ違う匂いが立つ。

凛央がミントの葉をそっとこすった。

「これ、すごい」

「匂い?」

「うん。なんか、息しやすい」

その言い方に、胸の奥がどくんと鳴る。

凛央は指先についた香りを確かめるみたいに、もう一度少しだけ笑った。

「あの、さ」

「ん?」

「青柳といると、変に頑張らなくていいんだよな」

俺は何も言えずに立ち尽くす。

「なんか、不思議。みどまるの前にいるときと、ちょっと似てる」

それはたぶん、同じだからだ。

喉まで上がった言葉が、本当にそこまで来た。

俺だよ、って。

言えばいい。
たぶん、今なら。

「それ、たぶん――」

そこまで出して、止まった。

言った瞬間、何かが変わる気がした。
変わってほしいのか、変わるのが怖いのか、自分でもわからないまま、喉だけが閉まる。

「たぶん?」

凛央が首を傾げる。

俺は視線をそらして、代わりにミントの小さい苗を一つ持ち上げた。

「……これも買う」

「委員会で使うの?」

「違う」

レジで会計を分けて、自分の財布からそれだけ払う。凛央が「え」と言ったけど、無視した。

店を出たところで、俺はその小さな苗を凛央に押しつけた。

「白石の」

「俺の?」

「初心者向きだし。丈夫だから」

凛央は目を丸くして、両手でポットを受け取る。黒いビニールの縁に、俺の指先が少し触れて、それだけで呼吸がおかしくなる。

「なんで急に」

言われて、俺はちゃんと答えられなかった。

ほんとは、息が楽になる匂いを、お前の部屋にも置いとけよ、とか。
今日みたいに苦しくなったら、これ触れよ、とか。
そういうことを言いたかった。

でも出てきたのは、もっとずっとぶっきらぼうな一言だった。

「ちゃんと育てろよ」

凛央が、少し黙る。

それから、苗をすごく大事なものみたいに持ち直した。

「……うん」

その返事が、妙にやわらかい。

「枯らさないようにする」

「そうして」

「青柳が選んだやつだし」

夕方の風が、ミントの葉を小さく揺らした。
こすってもいないのに、少しだけ涼しい匂いがした。

たぶん、言えなかった言葉の代わりに、俺はそれを渡したんだと思う。