中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

ホームセンターを出ると、夕方の風が思ったより冷たかった。

舗道の端には、誰かが撒いた水がまだ残っていて、光を細く返している。俺たちは苗の入った紙袋を両手に分けて持って、商店街の端にある古い園芸店まで歩いた。

学校でも現場でもない。
先生もスタッフもいない。
「白石くん」って呼ぶ声も、みどまるに向かって振られる手もない。

ただ、制服のまま二人で歩いてるだけだ。

それだけなのに、なんでこんなに落ち着かないんだろう。

「青柳」

「なに」

「好きな季節は?」

今度は向こうからだった。

「……春」

わりとすぐ答えた。

「花が咲くから?」

「それもある。あと、匂い」

「匂い?」

「水撒いたあとの土とか。葉っぱが風で擦れる匂いとか。ああいうの、春がいちばんわかりやすい」

言ってから、自分でも少し地味だと思った。
でも凛央は笑わなかった。

「青柳っぽい」

「お前、さっきからそればっかだな」

「だって、ほんとにそうだから」

逆にそっちは、と聞き返すと、凛央は少しだけ考えてから言った。

「初夏かな」

「春じゃないんだ」

「春、嫌いじゃないよ。でも始まりが多すぎて、たまに息継ぎ下手になる」

その言い方が、妙に胸に残った。

息継ぎ。

みどまるの中でうまく呼吸できないときのことを、勝手に思い出す。
でも凛央が言ってるのは、きっと別の息苦しさだ。

「今日は?」

「今日は、わりと上手くできてる」

「なんで」

「青柳いるし」

さらっと言われて、足が少しだけ止まりそうになる。

「……それ、理由になってる?」

「なってる」

凛央は前を向いたまま、少しだけ笑った。

「青柳といると、黙ってても平気だから」

春風が、紙袋の口を鳴らした。

その一言だけで、胸の奥にたまっていたものが、やわらかく崩れそうになる。
でも崩れたら困るから、俺はなんでもない顔をした。

「休みの日は?」

無理やり話を変える。

凛央はすぐに乗ってきた。

「寝る。散歩する。コンビニでアイス買う。あと、ほんとは人の少ない本屋が好き」

「普通だな」

「普通で悪い?」

「悪くはない」

むしろ、そのほうがいいと思った。

テレビでも学校でも目立つやつが、休みの日にはコンビニでアイス買って、本屋でぼんやりしてる。その普通さが、なんか、いい。

「青柳は?」

「家。あと、父さんの手伝い」

「植物の?」

「それもある」

「やっぱり緑なんだ」

「まとめ方が雑」

歩きながら、凛央が横目でこっちを見る。その目がやわらかい。
ここだと、ちゃんと高校生の顔だった。

「卒業したらどうするか、決めてる?」

ふいに聞かれて、俺は少し黙った。

「まだ。地元の大学かな、とかは思うけど」

「そっか」

「白石は?」

「俺も、まだちゃんとは」

凛央の声が少し低くなる。

「仕事のこともあるし、地元に残るとも出るとも言い切れない。でも」

「でも?」

「嫌いじゃないよ、ここ」

商店街の端、古い花屋の前を通るときだった。濡れた鉢の縁が夕日を返して、並んだ苗の葉っぱが風に揺れる。

「前は、地元って近すぎて息詰まるときもあったんだけど」

凛央はそこで少し笑った。

「最近は、戻ってきたい場所って感じもする」

それが何に向けた言葉なのか、聞けなかった。

園芸店の木の扉を開けると、鈴がからんと鳴った。