次の出番まで、ほんの数分。
テントの裏手には培養土の袋と空の苗トレーが積んであって、客席のざわめきが少しだけ遠い。
その陰に、凛央がすべりこんできた。
「……ちょっとだけ、貸して」
何を、と思う間もなく、凛央はみどまるの丸い腕にもたれた。
肩から、ほんの少しだけ重みが伝わる。
額が触れたあたりの布が、外の空気より少しあたたかい。
もたれかかったと言っても、全部の重さは預けていない。
倒れないように、自分でちゃんと立とうとしている力がまだ肩に残っている。
そういうところが、凛央だった。
だから余計に、胸が痛くなる。
凛央は目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
「前のやつ、反応よかったからって、みんな軽く言うじゃん」
笑っているわけじゃない。
でも泣いているわけでもない。
ただ、いつもなら胸の奥へ押し込めてしまうものが、少しだけ外へ出てきたみたいな声だった。
「ありがたいんだけど」
そこで言葉が途切れる。
それから、凛央は本当に小さくこぼした。
「本当は、怖い。失敗したら、がっかりされる気がして」
心臓が、どくんと鳴る。
言いたいことが一気に喉まで上がった。
そんなわけない、とか。
お前がいるだけでみんな嬉しい、とか。
失敗したって終わらない、とか。
でも、みどまるはしゃべれない。
喉の奥で跳ね返った言葉は、そのまま内側の熱にまぎれて消える。
着ぐるみの中が苦しいのか、別の理由で苦しいのか、もうわからない。
俺は不器用な丸い手で、凛央の肩をそっと二回たたいた。
それから、急いでフリップを引き寄せる。
ペン先が白い板をきゅっと鳴らす。
厚い手袋のせいで線が震える。
それでも、今はこれしかない。
まず、文字より先に、丸いみどまるを描いた。
両手ででっかい花丸を持ってるやつ。双葉だけやたら元気に跳ねている。
その横に書く。
『きょうも はなまる』
凛央が顔を上げる。
数秒、じっと見る。
それから、ふっと息が漏れた。
「……なにそれ」
笑った。
ほんの少しだけ。
でも、それは客席に向ける完璧な笑顔じゃなくて、ちゃんと疲れている人が、ちゃんと可愛いものに救われたときの笑い方だった。
俺はその隙に、もう一度ペンを走らせる。
今度は小さな花を二つ描いた。
こっちを向いて、へにゃっと笑ってる花だ。
その上に、できるだけ大きく書く。
『りおくんが いると うれしい』
書いてから、顔が見えないのをいいことに、俺はたぶんものすごく恥ずかしいことを書いていた。
でも消せない。
消したくもない。
凛央はその文字を見たまま、しばらく動かなかった。
春の風がテントの裾を揺らして、外から子どもの笑い声がかすかに入ってくる。
やがて、凛央の肩から、見えない力が少し抜けた。
「……それ、反則」
低い声でそう言って、目元だけやわらかくなる。
「みどまるに言われると、ほんとに効く」
その一言で、胸の奥が甘くなって、同じくらい苦くなる。
俺はごまかすみたいに、凛央のボトルを丸い手でつついた。
飲め、の意味で。
凛央は少しだけ目を丸くして、それからまた笑う。
「はいはい」
キャップを開けて、水を飲む。
喉が上下する。
それだけなのに、変に目が離せない。
「ありがとう」
言って、凛央はまっすぐ立ち直った。
ジャケットの裾を軽く整えて、顔を上げる。
その横顔はまだきれいだった。
でも、さっきまでみたいに張りつめすぎてはいない。
ちゃんと息をしている顔だった。
「あと少し」
その声に、俺は大きく頷いた。
テントの裏手には培養土の袋と空の苗トレーが積んであって、客席のざわめきが少しだけ遠い。
その陰に、凛央がすべりこんできた。
「……ちょっとだけ、貸して」
何を、と思う間もなく、凛央はみどまるの丸い腕にもたれた。
肩から、ほんの少しだけ重みが伝わる。
額が触れたあたりの布が、外の空気より少しあたたかい。
もたれかかったと言っても、全部の重さは預けていない。
倒れないように、自分でちゃんと立とうとしている力がまだ肩に残っている。
そういうところが、凛央だった。
だから余計に、胸が痛くなる。
凛央は目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
「前のやつ、反応よかったからって、みんな軽く言うじゃん」
笑っているわけじゃない。
でも泣いているわけでもない。
ただ、いつもなら胸の奥へ押し込めてしまうものが、少しだけ外へ出てきたみたいな声だった。
「ありがたいんだけど」
そこで言葉が途切れる。
それから、凛央は本当に小さくこぼした。
「本当は、怖い。失敗したら、がっかりされる気がして」
心臓が、どくんと鳴る。
言いたいことが一気に喉まで上がった。
そんなわけない、とか。
お前がいるだけでみんな嬉しい、とか。
失敗したって終わらない、とか。
でも、みどまるはしゃべれない。
喉の奥で跳ね返った言葉は、そのまま内側の熱にまぎれて消える。
着ぐるみの中が苦しいのか、別の理由で苦しいのか、もうわからない。
俺は不器用な丸い手で、凛央の肩をそっと二回たたいた。
それから、急いでフリップを引き寄せる。
ペン先が白い板をきゅっと鳴らす。
厚い手袋のせいで線が震える。
それでも、今はこれしかない。
まず、文字より先に、丸いみどまるを描いた。
両手ででっかい花丸を持ってるやつ。双葉だけやたら元気に跳ねている。
その横に書く。
『きょうも はなまる』
凛央が顔を上げる。
数秒、じっと見る。
それから、ふっと息が漏れた。
「……なにそれ」
笑った。
ほんの少しだけ。
でも、それは客席に向ける完璧な笑顔じゃなくて、ちゃんと疲れている人が、ちゃんと可愛いものに救われたときの笑い方だった。
俺はその隙に、もう一度ペンを走らせる。
今度は小さな花を二つ描いた。
こっちを向いて、へにゃっと笑ってる花だ。
その上に、できるだけ大きく書く。
『りおくんが いると うれしい』
書いてから、顔が見えないのをいいことに、俺はたぶんものすごく恥ずかしいことを書いていた。
でも消せない。
消したくもない。
凛央はその文字を見たまま、しばらく動かなかった。
春の風がテントの裾を揺らして、外から子どもの笑い声がかすかに入ってくる。
やがて、凛央の肩から、見えない力が少し抜けた。
「……それ、反則」
低い声でそう言って、目元だけやわらかくなる。
「みどまるに言われると、ほんとに効く」
その一言で、胸の奥が甘くなって、同じくらい苦くなる。
俺はごまかすみたいに、凛央のボトルを丸い手でつついた。
飲め、の意味で。
凛央は少しだけ目を丸くして、それからまた笑う。
「はいはい」
キャップを開けて、水を飲む。
喉が上下する。
それだけなのに、変に目が離せない。
「ありがとう」
言って、凛央はまっすぐ立ち直った。
ジャケットの裾を軽く整えて、顔を上げる。
その横顔はまだきれいだった。
でも、さっきまでみたいに張りつめすぎてはいない。
ちゃんと息をしている顔だった。
「あと少し」
その声に、俺は大きく頷いた。



