中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

父さんが空気を切り替えるみたいに手を叩いた。

「で、苗の話な。先生の名前わかれば、明日こっちから課に回しとく。樹、メモ取れ」

助かった、と思う。
父さんはやっぱり、こういうときだけやたら強い。

俺は慌ててボールペンを取った。
紙の上に先生の名前を書く手が、少しだけ震える。

ローテーブルに戻ると、さっきまで甘く見えたシュークリームが、急に喉を通る気がしなかった。

でも凛央は、何事もなかったみたいにメモを覗きこんだ。

「電話、明日の昼には間に合うかな」

「たぶん」

「じゃあ、昼休みに先生つかまえる」

実務的な話をする横顔は落ち着いていて、さっきの浴室のことを引きずっているようには見えない。

見えないだけかもしれない、って思う。

それでも、父さんの前でそれ以上空気を重くしないところが、やっぱり凛央だ。

話が一段落して、凛央が帰るころには、外の光はだいぶやわらかくなっていた。

玄関先まで送る。

父さんは居間から「またおいでー」と軽く言って、たぶん腰がつらいんだろう、そのまま立ち上がってはこなかった。

凛央がローファーに足を入れる。
夕方の風が、開けたドアのすきまから入って、玄関のたたきの上をひやっと撫でた。

「今日はありがと」

「資料だけだろ」

「それでも」

凛央はそう言って、少しだけ笑った。
学校でみんなに見せるきれいな笑顔じゃない。うちの居間で、シュークリームを持って笑っていたときに近い顔だった。

その顔に少し安心しかけた、そのとき。

凛央の視線が、俺の肩越しに一度だけ家の奥を見た。

風呂場のあるほうだ。

胸の奥がまた、ゆっくり固くなる。

凛央は視線を戻して、今度はもっと静かに言った。

「みどまるの中の人って、もっと若い人だと思っていたんだけどな」