中の人は秘密なのに、クラスのアイドルが近すぎる

うちまでの道は、駅前ほど華やかじゃない。

住宅街の角に小さな花屋があって、店先のじょうろが夕方の光を反している。誰かが撒いた水がアスファルトに薄い色をつくっていて、その上を春風がすべるみたいに通っていく。

俺は少し早足になっていた。

「青柳」

「なに」

「そんなに緊張する?」

「してない」

「してる顔」

「白石はしてないのかよ」

「少しは」

そう言って笑う顔が、学校で見るのよりずっと近かった。

そのまま二人で角を曲がる。
うちの前の小さな植木鉢の葉っぱが、夕方の風でかすかに揺れていた。

玄関を開ける。

「ただいま」

家の中は静かだった。
まだ父さんは帰っていないらしい。

その代わり、朝のままのあたたかい空気と、台所に残ったカレーの匂いがふわっと流れてくる。冷蔵庫の低い音。窓辺のミントの鉢。父さんの読みかけの市報がローテーブルの端にずれて置いてある。

「……なんか、いい匂い」

後ろから凛央が言った。

「朝のカレー」

「最高じゃん」

靴を脱ぐ声が、やけに近い。
振り向くと、凛央がきちんとそろえてローファーを置いていた。そういうとこ、やっぱりちゃんとしてる。

「狭いけど」

「知ってる。玄関でわかる」

「失礼だな」

「悪い意味じゃないよ」

凛央はそう言って、窓辺の小さい鉢を見た。

「これ、ミント?」

「うん。父さんが市の余りでもらってきた」

「へえ」

その声が、ちょっと楽しそうだ。

俺は棚からファイルを引っぱり出し、ついでに冷蔵庫から麦茶を出す。来客用のしゃれたグラスなんてないから、いつものコップに氷を落とした。からん、と鳴る音が家の中に広がる。

「適当に座って」

「おじゃまします」

凛央がローテーブルの前に座る。制服の膝が畳に触れて、白いシャツの袖口に少しだけ土が残っていた。

俺はファイルを開く。

去年の余剰苗の一覧、培養土の在庫、学校向け配布の簡単な要項。父さんらしい雑さでまとめてあるけど、中身はちゃんとしている。

「これだと思う」

凛央が身を寄せてくる。
肩が触れそうなくらい近い。

紙を見るふりをしながら、俺はそっちの体温のほうが気になっていた。春なのに、変なところだけ熱い。

「うわ、ほんとにある」

「先生から市役所に電話してもらえば話早いって」

「青柳んち、便利すぎる」

「たまたまだよ」

「でも助かる」

凛央は紙をめくる指先で、在庫欄を追った。

「ビオラ、まだあるんだ」

「マリーゴールドも」

「培養土二袋なら、だいぶ変わるな」

言葉が前向きで、見ていて少し嬉しくなる。
こういうときの凛央は、誰かに見せるためじゃなく、ちゃんと自分でやりたいと思っている顔をする。