明けぬ空に、君を想う


秋雨が過ぎ去ったと思いきや、また曇った空が続く日だった。

私は、一人中庭の椅子に座っていた。


頭の中には、常盤さんのお陰で考えるようになったことが巡っている。

水無瀬昴。
水無瀬家長男で、私の兄。

あの人のことは、あまり考えないようにしていた。

正直、苦手だから。
兄は私のことが、嫌いだと思っていたから。

兄弟なのに、好かれていないと分かっている相手を、好きでいられるはずがない。

そうやって、私は考えることをやめていたんだと思う。

だから兄の、昴がどうゆう人なのか理解しようともしなかった。


『出来損ないなんだから、弁えるべきなんじゃない?』


不気味な笑みとともに、そう言う人。


『あまり父さんや母さんを困らせるなよ。』


穏やかな声で、何でもないことのように言う。
だけど、その奥にある感情は、隠しきれていなかった。

怒りも、苛立ちも、呆れも。
全部分かってしまう。

いや、正確には分からないから怖かった。
何かを思っているのに、その何かが分からなかった。


ーー私の記憶に残るお兄様は、そういう人。

ずっとそうだった。

だけど、この間を思い出す。
感情が滲み出ていた。

はっきり感じた。
兄にはちゃんと思っていることがあった。

その時、雲の隙間から日差しが差した。


「やっと晴れた、、、空だけだけど。」


思わず立ち上がり、一歩踏み出す。
その瞬間、足がもつれた。


「わっ、、、!」


倒れかけて、何とか踏みとどまる。


「あぶな、、、」


そこで、ふと思い出した。
昔から私は、よく転んでいたこと。

ーーあれ?


「一人、、、だったっけ?」


ぽつりと呟く。

頭の奥に、古い記憶が浮かんだ。


『また転んだの?ドジだな、小夜は。』


声。
場所は、この庭。


「誰、、、?」


まだ幼い頃。
年上の男の子がいた。


『立てる?ほら、お兄ちゃんの手、掴んでいいよ。』


ーーあ、、、


『ありがとうございます!昴お兄ちゃん!』


「お兄様、、、」


そうだ。

兄はーー優しかった。

少なくとも、あの頃は。

私がまだ、幼かった頃は。


「でも、、、お兄様は、、、」

「俺が?」

「え!?」


驚くことに振り向くと、兄が立っていた。


「まだやっているのか。」


いつもの笑み。
柔らかい声。
けれど、それらが作られたものだと分かる。

この間の、怒りと冷酷さを出していた面影は、もう全くなかった。


「努力するのは結構だけどね。」


私を見て言う。


「言ったよね。結果が出ない努力は無意味だって。平行線にやっても意味ないって。」


その圧に押されそうになりながらも、言葉を返す。


「私、ずっと考えていたんです。なにをやったら変わるのかなって、、、」

「で、何か変わった?」

「、、、はい。少しだけ。」


兄の表情は変わらない。


「私、全然見えてなかったんです。周りのこと。」


言葉を選びながら続ける。


「思い込みで決めつけて、勝手に諦めて。でも、それじゃ駄目だって気づきました。」

「それが、何になる?」

「なります。」


はっきりと言った。


「それが、私の心に関係するからです。」


兄は黙っている。
その表情は、怒らせた時のように笑みは消えていた。


「私は、自分の心もわかっていなかった。だから、何もできなかったんだと思います。」


少し息を吸う。


「だから今、見ようとしているんです。周りを。人を。ちゃんと知ろうとしているんです。」

「でも、まだ使えない。」


その一言が、深く刺さる。


「はい。でもーー」


言葉を繋ぐ。


「前よりは、少しだけ分かる気がするんです。」


兄は小さく息を吐いた。


「気づくのが遅い。」


そして続ける。


「気づいたところで、足りない。考えも、力も。」

「それは、、、」

「お前は弱い。」


まっすぐな言葉だった。


「少なくとも今のお前じゃ無理だ。まだそれは、変わってない。」


静かな声。
だけど、重い。


「、、、どうしたら、変われますか?」


思わず聞いていた。

兄の表情が、わずかに揺れる。


「それを人に聞いている時点で駄目なんだよ。」


冷たく言い切る。


「、、、」

「自分で考えろ。それができないから、出来損ないなんだろ。だから、俺はずっと、、、」


言いかけて辞めた。
その表情は、どう例えたらいいんだろう。

そして、背を向けて去ろうとする。

その背中を見て、ふと思った。

ーーお兄様は、いつも正しい。

一族の方針に従い、強くあろうとしてきた。

矛盾さえある方針を、“水無瀬家“にとって何が大事かを踏まえて、自分なりに解釈して生きてきた人。
誰よりも、それを守ってきた人。

だから、今までの私への態度も、向ける言葉も、全部正しい。


ーーだとしたら。

兄の本当の気持ちは、どこにあるのだろう。

兄は、私のことを見ていた。
私のことを、よく知っていた。

だからこそのあの言葉だったとするのなら。

幼い頃の記憶。
優しかった兄の手。

今の兄とは、全く違う。

ーーもしも。

環境が違ったなら。
一族の在り方が違ったなら。

兄は、もっと違う人だったのではないか。

そんな考えが浮かぶ。


「、、、お兄様。」


呼びかけようとして、やめた。

兄は振り返らない。


「俺はもう行く。お前と馴れ合うつもりはないから。」


それだけ言って、去っていく。
その背中を見送りながら、思う。


ーーあの人は、自分の感情を見せなかった。


いや、見せないようにしていたのかもしれない。
一族のために。

必要なことだけを選んで、生きている。

陽真と対立した日、その後も私と話した時のことを思い返す。
私と陽真には、感情を隠しきれていなかった。

理由は、自分の正しさに口を挟まれたから。

そして、それは兄にとっての生き方を否定されたように感じたからではないのか。

そんなことを考えた。

ーーそれでも、、、

ほんの少しだけ、あの頃の兄が残っているような気がした。