消える僕らの境界線

 四限目の体育。
 僕はステージに腰掛け、クラスメイトのウォーミングアップを見ていた。
 
 佐渡がバスケットボールを人差し指の先で回しながら、女子のコートをちらちら伺っている。

 あんな分かりやすい奴、いるか?

 ふと、目が合いそうになって天井を見上げた。

 今までならこんな光景、視界にも入らなかったのに——何なんだよ。

 そのまま、後ろに寝転がった。

 ボールの弾む音が、頭に響く。






「やんねーの?」






 ——足元からだった。


 首だけ持ち上げる。

 心臓が、不規則に打った。

「なぁ、眼鏡くん」

 アイツがステージの下から、ヒヒ、と歯を見せていた。

「…っ」

 思わずステージ上に足を引っ込める。

「お前、…なん、」

 そいつは構わずステージによじ登った。

 空気が一瞬で冷える。

「何だよ眼鏡くん。俺がココに居るのが、そんなに変か?」


 距離を取るように立ち上がると、何人かの生徒の視線がこっちに向いた。

 僕は、その場に胡座をかいた。

「…消えたんじゃないのか」

 口元を手で隠すように、自分の足に頬杖をついて言った。
 視線がコートの中を彷徨う。

「いやぁ俺も消えると思ってたんだけど。消えなかった。ハハッ」

「……」

 そいつは笑いながら、ステージに腰掛けた。


「バスケいいよなー」

 少しトーンダウンしたその声に、つい視線が向く。

 コートを見下ろす横顔は、普通の高校生。

 僕たちと、何ひとつ変わらない。

 ——少し透けている。それだけだ。


 僕はまた、コート中央の佐渡に視線を移した。

 SNSの写真が頭を過ぎる。


「…お前、昨日の」
「なぁ、眼鏡くんバスケやんねーんだろ?」

 被せるように言われた。

「は?」

 そいつはステージからぶら下げていた足を引き上げ、僕の横で正座する。

「俺にやらせてくんね?バスケ」

 シュッシュッと口にしながら、そいつの両手が頭上で弧を描いていた。

「俺、体育の授業なんて、ほとんど出れなかったからさー」

「……」

「あっ、もしかしてバスケやったら消えるパターン?」

 そいつは、またケケ、と笑う。

「……もう貸さないぞ」

 僕の言葉に、そいつは「チッ。つまんねー奴」とステージを降りた。

 透けた背中の向こうで、ボールが転がる。

 “授業なんて、ほとんど出れなかった”

 つい、視線を逸らした。

 ——興味ない。
 なのに、視線が戻ろうとする。

 コイツの過去も、まだここにいる理由も、僕には関係ない。

 ……どうでもいいはずだ。



 集合を知らせるホイッスルが鳴った。

「志島、早く来い!何サボってんだ」

 コートの中央から、佐渡が僕に向かって大きく手を招いた。

「えらく気に入られちゃってんな?眼鏡くん」

 そう言って、そいつはまたステージに登った。

「……アレ、お前のSNSのせいだぞ」

 僕はすれ違うように、降りる。

 そいつは「あらら」と、わざとらしく手を口に当てた。


 佐渡がまた叫ぶ。

「志島ー!」
 
 思わずため息が出た。
 どうしてこう、面倒な奴にばかり捕まるんだ。

「困ったらいつでも呼べよー」

 ステージにいるはずの声が、耳元で聞こえた。

 また、指先が痺れる。

 無視して、佐渡の方へ歩いた。




 ——誰が呼ぶかよ。




 僕の決意は、10分後には崩れることになる。