消える僕らの境界線

 とりあえずスマホで検索してみようぜ、と、バイトの辞め方でも調べるノリで言われ、一応それに従うことにした。

 ネットにそんなこと書いてあるはずない。
 分かってはいるが、他に選択肢も無かった。

「あーほらほら。コレ、このサイトとか。ガチっぽい」

 そいつは僕のスマホを覗きながら指をさす。

「今日からあなたも都市伝説名人…なんだそれ」

 黒い背景に赤と白の字で飾られたいかにも胡散臭いサイトに、溜息が漏れた。
 僕は一体何をやっているんだ。小学生じゃあるまいし。

「まぁいいじゃん。面白そうだし」

 そいつがスマホに指を滑らせる。
 ふわ、と画面はブラックアウトした。

「は?」
「あら」

 僕は画面を何度かタップする。…が、黒いままだ。
 うそだろ。買い替えたばっかだぞ。

 画面越しに、そいつと目が合った。

「…ほら。幽霊って磁場狂わすって言うもんな」

 そいつは両手をあげ、笑顔で言った。
 
「とんだ疫病神だな」

 呆れるように放った言葉とは裏腹に、僕の顔は引きつっていた。


 その後、数分でスマホの画面は何事も無かったかのように明るくなった。
 その間、定食屋の店主らしき人が煙草片手に外へ出てきて、僕たちは更に離れた場所に移動した。

 この駅前一帯は飲み屋商店街と呼ばれるほど、居酒屋が多い。
 あと一時間もすれば仕事帰りのサラリーマンでごった返すだろう。

 僕はさっさと終わらせるため、さっきのサイトをもう一度開いた。

 そいつは今度は大人しく、手を出さずに顔だけ覗かせている。

「とりあえず、これでやってみよう」

 適当にあたりをつけて、リンク先を開いた。
 “大事なのは直前の柔軟体操”みたいな事がつらつらと書いてある。
 こんなので本当に取り憑かれるのか。
 俄かに信じがたいが、出来なければコイツを置いてさっさと帰ればいい。

「ふんふん、なるほど。オッケーオッケー」

 そう言ってそいつは屈伸やら背骨伸ばしやらストレッチを始めた。

「…早くしてくれよ」

 僕は両腕を組んでそれを待った。
 その間も、周囲の確認は怠らなかったが、やはり少しずつ人が増えていた。

 仕上げなのか、上下にジャンプして、ようやくそいつは僕の前に立った。

「しゃー」

 その声で僕は目を閉じる。

「行ってきまーす」

 低く、鼓膜に響いた。
 …何だその挨拶。

 口に出す前に、スッと全身が冷気に包まれる。

 ピリ、と指先に電気が走り、心臓が大きく脈打つ。

 一瞬、自分の意思で呼吸が出来ないような感覚になった。
 深く、深呼吸をした——いや、させられた。

 ゆっくりと目を開ける。

「……やべぇ」

 僕の声。
 確かに僕の口から発している。
 だけどそれは僕ではない。

「やべぇよ眼鏡くん、生きてるよ、俺!すげー!」

 自分の手が、自分の体をベタベタと触る。

 通りすがりの女性にクスクスと笑われた。

「…おい、やめろ」

「うわー生きてるよーあったけぇ」

 自分の腕が、自分の体を抱きしめる。

 さっきの店主が煙草を落としたのが、見えた。

「おい、やめろって」

 僕は言葉でしか止める術がない。
 意識だけが、自分の体に残っている。
 体はそいつが、動かしている。

「あ?…あぁ、悪い悪い」

 ようやく落ち着いたそいつは、僕の声で喋る。

「出来ちゃったな、眼鏡くん」

 わざとらしく眼鏡を指で持ち上げた。

「…30分だ」

 僕がそう言うと、そいつはスマホで時間を確認し、「ハハ、今度はスマホ壊れないじゃん」と笑う。

 画面にうっすら映り込む僕の顔。
 見えているのに、表情だけが——認識できない。




 記憶は、そこで止まった。