消える僕らの境界線

 教室に入ると、そいつは姿を消した。
 …ようやくイヤホンを外せる。

 さっきまでイヤホン越しにもうっすら聞こえていた声。
 しばらく喋り続けているように感じたが、それもすぐに消えた。

 僕は小さく息を吐き、席に座った。

 まだ人が疎らにしかいない教室。
 この時間にくるやつは、大抵、勉強してるか本を読んでいる。

 運動部の朝練の掛け声が騒がしく思えるくらい、ここは静かな空間を保っていた。
 本を読むには、申し分ない。



「……、……くん、志島(しじま)くん」

 ふと名前を呼ばれ、肩を叩かれた。
 すぐに後ろを振り返るが、…誰も、いない。

「こっちだよ、志島くん」

 もう一度。
 か細く、声がした。

 僕は正面を向き直す。
 そこに立っていたのは、内藤(ないとう)さんだった。
 

「後ろから声がした?」

 軽く微笑んでそう言われ、僕は何も言えない。
 ——どこを見ている?
 その視線に、妙な違和感を感じる。

「…何か用?」

 眼鏡を指で持ち上げた。

「今日、日直だよ。職員室に行かないと」

 そういえば。
 黒板の右端をチラ、と確認した。

「ごめん。行くよ」

 僕は読んでいた本を置いて、席を立った。

 教室を出る間際、自分の机に目をやる。
 文庫本の表紙が微かに揺れ、挟み込んだはずのしおりも斜めにはみ出ていた。

 教室内にぐるりと視線を回すと、教室の奥でふわりと舞うカーテン。
 窓は閉まっている。


 なんなんだ、これ。
 …アイツはどこにいった?


 

「志島くん、いつも本読んでるね」

 職員室へ向かう途中。
 内藤さんが、隣で僕にそう言った。
 さっきと変わらない、微笑みを貼り付けている。

「ああ…うん、まぁ」

 すれ違う生徒たちに見られている気がして、僕は少し後ろを歩いた。
 彼女の腰まである髪が、規則的に左右に揺れる。
 それがなんとなく気持ち悪くて目を逸らした。

「どんな本?」

 彼女は気を遣って喋っているのかもしれないが。
 どうにも、居心地が悪い。

「……そういう事は、あまり聞かない方がいい」

「え、」

 立ち止まった内藤さんの横を、僕はそのまま通り過ぎる。

 何か言いかけたような気配だけを、背後に感じた。


 ——こういうところだと、自分でも思う。

 分かっているならやめれば?

 誰かに、そう言われた気がした。


 それから、職員室で日誌を受け取ってから教室まで、僕たちはひと言も会話をしなかった。


 上履きの擦れる音だけが、響く。

 僕と内藤さん。それから——