消える僕らの境界線

 夜が深く、騒がしくなるほど、僕の輪郭は曖昧になっていく。
 でも家の前に立った瞬間だけは、頭が冷えて、静かになった。

 ……——

 頬に痛みが走る。

「連絡くらい、しなさい!!」

 母さんが声を荒げていた。

 玄関だった。
 僕はまだ、靴も脱いでいない。

 2階へと続く階段の上から、パジャマ姿の瑠衣が見下ろしていた。

「……」

 僕は怒られている。
 多分、かなり心配させたんだろう。
 頭では分かっているのに、言葉が出てこなかった。

 普段は温厚な母さんの大きな声と、悲しそうな目が、喉の奥を詰まらせる。

「さっさとシャワー浴びて寝なさい」

 低い声でそう言った母さんの背中が、リビングへ入るのを見届けてから靴を脱いだ。
 玄関のモルタルのヒビが、伸びていくように見えた。

 あの背中に、何か言わなきゃいけない気がしたのに……結局何も、出てこなかった。

 トン、と階段を踏む音が降りてくる。

「最近、楽しそうじゃん」

 瑠衣は小さな声でそう言った。
 手にはスマホ。僕のSNSが表示されている。

「別に」

「アハ。何それ、反抗期?ウケる」

「……お前もさっさと寝ろ」

 僕がそう言うと、瑠衣は「どの口が言ってんだか」と階段を登っていった。

 脱衣所の鏡の前で、少し赤くなった頬に触れると、指先がヒリついた。
 叩かれた瞬間より、今の方が痛い。

 風呂から出ると、リビングはもうオレンジの小さな灯りだけ。
 暗がりで冷蔵庫の製氷音が響き、肩が揺れる。
 誰もいない——僕だけが、残された。

 ダイニングテーブルに置かれた、ラップがかかったポテトサラダを見て、深く…深く、息を吐いた。

 さっき言えなかった言葉が、心の中でこぼれ落ちる。


 時計は、深夜2時を回っていた。