消える僕らの境界線

 毎朝、駅のホームには見慣れた他人が並ぶ。
 いつもの人が、いつもの順番でそこにいる。
 それだけで、人は安心する。
 
 今朝、僕は隣の扉の乗車位置に並んだ。

 スマホには、僕へ向けたメッセージが増え続けていた。

 スマホの鍵マークを見つめても何故かピクリとも反応せず、仕方なくパスコードを打つ。

 ——またか。
 
 つい、いつもより画面に触れる音が大きくなる。
 もはや顔認証の意味は、ない気がした。

 SNSアカウントを開くと、大勢いるど真ん中で僕が笑顔で写る写真があった。
 手にはマイクを握っている。
 どうやら昨日の“僕”は…カラオケにいた、らしい。

 メッセージはどれも見覚えのないやりとり。

《それな》《だる》《今日も行く?》

 ……今日も?
 僕は一度もカラオケなんか行ったことは無い。
 絵文字、文体、口調。
 どれも自分のものじゃない。

 スクロールする指が、止まる。

「…ふざけるなよ」

 小さく呟くが返事はない。
 代わりに前に並んでいた猫背の男が、僕を見て一歩前へ寄った。

 スマホの中の自分が、相変わらず楽しそうに返事をしていく。
 既読が増えていく画面。
 僕の指は止まったまま、のはずだった。

 少しずつ、親指の位置がズレているように思えた。

 列車到着のアナウンスと同時に、僕はスマホをポケットに突っ込んだ。

 抵抗しようにも、あいつがいない。

 ——いるなら

「…出てこい」

 猫背の男が、今度は肩をピクリと持ち上げた。
 ホームに風が吹き込み、列車がゆっくりと停車する。

 僕は最後に乗り込んだ。
 扉のすぐ側に背中を預けると、溜め息が漏れた。
 
 発車のベルが鳴り、空気の抜けるような音がして扉が閉まる。

 その瞬間。

 ——

「いるけど?」

 声がした。
 頭の奥で。

 視線を上げると、反対側の扉に僕が反射していた。

 いつもの、何の愛想もない表情。
 その口元に——白い歯が、一瞬見えた。


 



「おはよ志島っち!昨日ありがとねー」

 下駄箱に着くやいなや、他のクラスの女子が僕の背中を叩いてきた。
 僕は、ずり落ちたリュックを肩に戻す。

「……」

 昨日?カラオケ、か?
 …ていうか、誰だっけ。

 黙ったままの僕の横を、その女子はべらべらと何か喋りながら歩いていた。

 相槌をしているつもりは、ない。

 ないのに——なぜか会話が成立している。

 気付けば階段を一段飛ばしながら歩き、手すりを軸にして踊り場を曲がった。
 教室の前にたどり着くまで、何人かとハイタッチを交わし、その度に手のひらが痺れた。
 やたらと喉も渇いて、咳込む。

「バイ、志島っちー」

 名前も知らない女子の後ろ姿を見送ると、上がりすぎている口角をスッと下げた。
 持ち上げた右手は、拳に変わる。

「……」

 そのまま、廊下の窓に顔を向けた。

 いつも通り眼鏡をかけた僕。
 ちゃんと、いる。
 なのに、自分の表情だけが、歪んでいた。

 拳だった右手は、ゆっくりとピースサインに変わる。

「…っ、」

 思わず短く息を吸う。
 足が一歩、うしろへ下がった。

 僕は今、——どっちだ?


 思考を遮るように、予鈴が鳴った。