【湯山 司の述懐】
【1999年7月 14歳】
「お前なんか、大嫌いだ」
宗ちゃんがそう言って、俺に背中を向けて走っていった。
俺は馬鹿だ。
どうして「一緒に逃げよう」なんて言ったんだろう。宗ちゃんがお婆ちゃんを誰よりも大事に思っているのを知っていたのに。
俺の親父と一緒だ。おふくろと俺を捨てといて、突然東京で身元を引き受けるなんて言い出した、あの傲慢で独りよがりな男。あいつと俺には同じ汚い血が流れているんだ。親友を傷つけて自分の醜さを思い知った。
嫌われて当然だ。
俺もこんな俺が嫌いでたまらない。
「宗ちゃん、ごめん、ごめんね……」
電車の中で泣きじゃくりながら、俺は宗ちゃんの名前を呼んだ。
必ず、会いに行く。生まれ変わって、もっと力をつけて、宗ちゃんを助けるために。
窓からは、宗ちゃんと行くはずだった海が見えていた。
【2000年1月 15歳】
宗ちゃんの葬式は、雪がしんしんと降っていた。
突然の宗ちゃんの死は、現実感が無い。
だって、あの夏の日に別れて、まだ一年も経っていない。
書いてはやめた手紙も、番号を押しかけた電話も、まだ、なにも。
電車に乗って、タクシーに乗って、会場に着いて、久しぶりの故郷で、泣きじゃくってる同級生達を見ても、俺はなにも思わなかった。
棺に入った宗ちゃんは、宗ちゃんの真似をした人形みたいだった。
日に焼けていたはずの肌が青白く乾いている。
顔の右半分に巻かれた包帯が、棺に敷き詰められた百合と同じ色だ、と思った。俺もみんなと同じようにその白い花を手向けた。
宗ちゃんが車に轢かれて死んだ日も雪だった。
「宗介は手がひゃっこいねぇ」
坊さんの念仏が響く中、宗ちゃんのお婆ちゃんが棺の中に話しかけていた。他の親族に戻るよう促されても、皺だらけの手が棺の中の宗ちゃんの手をずっとさすり続けている。
「宗介、帰ろう……婆ちゃんと帰ろう……」
虚ろな目から涙が幾筋も幾筋も流れていた。現実と虚構を行ったり来たりしながら、しゃがれた声でお婆ちゃんは宗ちゃんの名前を呼び続けた。
「ごめんねェ、宗介……婆ちゃんを一人にしないでおくれ……宗介……」
一人、誰かが短い悲鳴をあげて、出て行った。
俺はゆっくり立ち上がった。
ロビーの隅で、黒木龍也が蹲っている。肩を抱いてガタガタ震えながら、振り返り、俺を見た。
「お、俺さぁ、み、み見たんだよォ……」
死に際の金魚みたいに口をぱくぱくさせ、黒木は勝手に喋り出した。
「宗介が車の前に飛び出すの、み、見たんだ。車のライトが光って、アイツ、自分から……飛び出して、それで」
──宗介のやつ、笑ってた。
何を想像したのか、自分の言葉に「イィィッ」と、龍也は短く悲鳴を上げた。
全身の震えを止めようと肩を抱くその掌や頬に、赤紫色の打撲跡がいくつもあった。
なにも思わない。どうでもいい。
「宗ちゃんは俺と海に行くはずだったんだ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった黒木は、ゆっくりと顔を上げた。俺は淡々と続けた。
「宗ちゃんはお前なんか呪わないし殺さない。宗ちゃんをお前みたいな化け物にするな。お前がしたことを宗ちゃんのせいにして目をそらすな。お前は一生宗ちゃんに詫び続けて苦しんで惨めに」
死ね。
いつの間にか、参列者たちがロビーに現れ始めていた。俺と黒木を奇異な目たちが囲む。死骸にたかる蛾の群れのように。
宗ちゃんは殺されたのだ。こいつらに。
死ね。死ね。──死ね。
呆然としたまま座り込んでいる黒木を、建設会社の社員たちが抱えて逃げていくまで、俺はずっと呪いの言葉を呟き続けた。
この町に。そして。
──あの駅での別れが、最後になるなんて。
涙も出なかった。
宗ちゃんを殺したのは、俺だ。
【2003年4月 18歳】
親父がわざわざ東京に呼び寄せたのに、偏差値の低い高校で無為な日々を過ごし、誰も知らない大学に入学した。
殴られても罵倒されても何も反応しなくなった息子を親父は見限り、とうとう家から追い出した。呼び戻しといて、最後には「湯山の名」を一生名乗るな、とも言われた。出来の悪いペットに、醜い支配欲も満たせなくなったんだろう。だが、親子の縁を切られても、なんの怒りも悲しみも生まれてこない。
なにを見ても、なにを食べても、宗ちゃんを包んでいた白い花と同じぐらい、なにもなかった。
死んだように生きていた。生きていても仕方なかったから。
ふと、そんなある日、大学の掲示板に貼られた開講案内を見た。
「子どものケア 社会に取り残された子どもたち」
宗ちゃんのことだ、とすぐに思った。
「イギリスでは、家庭内で親や兄弟の世話をする子どもたちが 『ヤングケアラー』と呼ばれています。日本ではまだ馴染みがありませんが、家庭福祉の現場ではこうした子どもたちの支援が重要になってきます」
家事や介護を請け負う子ども達が、学業や心理面で負担を感じ、やがて社会的孤立に立たされてしまう。
一人ぼっちで、お婆ちゃんが変わっていくのを見ていることしかできなかった宗ちゃん。
聞く言葉、見た資料、全てが宗ちゃんに繋がっていく。
「……大切な親友が、教授の仰ってた『ヤングケアラー』だったと思います」
授業後、俺がそう言うと、社会福祉学科の老教授は優しく微笑んだ。
「そうか。じゃあ、きっと、君がその子を助けてあげられるね」
それから、俺は「児童福祉」や「家庭福祉」を意欲的に学びはじめた。バイトの合間をぬってボランティアにも参加し、座談会などにも積極的に顔を出した。
人はそんな俺を見て「熱心だ」とか「立派だ」とか称賛した。だがそれは間違いだった。
俺のそれは「身勝手な贖罪」に近かった。
宗ちゃんはもう戻ってこない。
宗ちゃんを助けるために何をすべきだったのか。何を知るべきだったのか。
宗ちゃんを殺したものの正体を学び続けて、宗ちゃんを助けられなかったことを一生後悔しながら惨めに死にたかった。
N町が再び、そんな俺を呼び戻した。
まるで、宗ちゃんを助けるためのチャンスを、俺に与えるかのように。
宗ちゃんと別れたあの夏から5年経とうしていた。
【2004年 6月 19歳】
バイト先で知り合った田辺勇は、民俗学を専攻している1つ年上の先輩だった。
民俗学というものを大学で初めて知った。田辺の付き合いで一つだけ単位を取ったが、オカルト話とどこが違うのだろう、という感想しか最初は抱けなかった。
その日の授業、真っ暗な視聴覚室でスライドが映し出された。各地にある「人柱伝説」を記す遺物の中に、見覚えのある風景があった。
一瞬のうちにそれは切り替わってしまった。
暗闇の中で民俗学の教授の声が響く。
「『怪異』は『人の悲しみや恐怖』から生まれ、そして人の悲しみは『社会の歪み』から生まれます。その土地の歴史を学び、怪異の原因を探って、現代の社会問題解決に役立てたい。
まぁ、わたしの目指すところは『実践的な民俗学』……というわけですな」
暇つぶしに怪談話を聞きにきたような学生たちは、チャイムが鳴ると教室を出ていった。隣に座っていた田辺が、呟くように言った。
「いやぁー、びっくりした。よくガキの時に遊びに行ってたとこの写真がでたわ」
「そうなんですか」
気のない返事をしたが、田辺は一方的に喋っていた。
「そういや、あそこ、石碑とかなんかめっちゃあるんだよな。……湯山は知らねぇよな、N町って言うんだけどさ」
スライドに映った石灯籠の写真に見覚えがあった。
踏切が鳴る音も、駅の匂いも、全部覚えていた。
口が勝手に言葉を発した。
「N町。俺、昔、住んでました」
「えー!嘘!マジで!?すげー偶然じゃん!」
人懐っこい田辺は思わぬ共通項に感激していた。その後、居酒屋で田辺とN町についての思い出話をすることになり、そこで、田辺が綾川家と遠い親戚だと知った。
こんな偶然があるだろうか。一度切れたあの町と、宗ちゃんと、また繋がろうとしている。
何かの予兆を感じて、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「お婆ちゃん……ミツさん、お元気ですか。実はすごくお世話になって……」
「え?あー……まぁ、元気っちゃ元気なんだけど……いやァ……」
田辺は酒で赤くなった顔で神妙そうな表情を作った。
「婆ちゃん、孫が死んでからちょっと危ういんだよな……現実が分からないっていうかなんていうか……あれじゃもう一人暮らしは無理かもな」
5年前の葬式での、棺に縋って泣く姿が思い出された。
「法事がこないだあったんだけどさ、婆ちゃん、ずーーーっと孫の話してるんだぜ?あれはゾッとしたな」
お婆ちゃんが田辺に語っていたのは、宗ちゃんの思い出話ではなかった。
田辺が気味悪そうに語ったその言葉が、俺の人生を変えてくれた。
──これは一体、誰の法事なんだい。宗介はずっとここにいるのに。
「あはははははは!」
突然、誰かが大笑いした。
店中の視線がこちらを見ている。ジョッキを持った田辺のギョッとした顔で、笑っているのは俺だと分かった。
「ハァ……嫌だなぁ、田辺先輩。民俗学を専攻してる癖に怪談話でビビってんですか」
田辺は俺の言葉に安堵した表情を浮かべた。慌てたように「バ、バカ……そんなんじゃねぇよ」と酒を飲み出す。
眼鏡をかけ直して、俺は微笑んだ。
「そうだ、田辺先輩。もし、よかったら」
【2004年 8月 19歳】
俺は今、5年ぶりに、N町に向かっている。
2両編成の電車は人気が少なく、窓側に取り付けられた小さな扇風機が回る音しかしない。
「家庭内福祉」や「老人介護」に熱心な大学生「湯山 司」。
田辺は、そんな後輩に綾川ミツの様子を見てほしい、と依頼した。
いや、俺から田辺に申し出たのだ。土地勘もあって福祉の知識もそこそこあるからヘルパーさんを手配したり、きっと何かお手伝いできるかもしれません、と。
──これは一体、誰の法事なんだい。宗介はずっとここにいるのに。
孫を哀惜するゆえに狂った言葉だと切り捨てるには、あまりに魅力的だった。
N町の写真を見たときから、何かに呼ばれているような感覚がずっとあった。
宗ちゃんが本当にいるのだとしたら。
電車に乗って、タクシーに乗って、「あやかわ食堂」の看板を見て、インターホンを鳴らした時も、昏い興奮でずっと心臓が暴れだしそうだった。
雪の中で寂しく死んでたのも、
棺の中で百合に包まれていたのも、
全部嘘なんだ。
だって、ほら。
「君、もしかして……綾川……宗介くん、かい?ミツさんのお孫さんの」
南風にゆれる黒髪、赤い唇。日に焼けた四肢。
モノクロの世界に、あざやかな色彩が蘇るのを感じた。
意思の強そうな瞳が、俺を見つめている。
俺と別れた15歳のままで、君は待っていてくれた。
胸の奥が熱く、疼いた。
再生したのは君ではなく、俺の方かも知れない。乾ききった心に血が巡る。空気の味が、夏の息吹が分かる。
──とっさに嘘をつき、「笹木樹」なんてデタラメな名前を名乗ったのは何故だろう。今でもそれがわからない。
君が、大人になった俺を「湯山」と分からなかったからなのか。それとも、君を裏切って君を見捨てた名前で現れる勇気が、まだなかったからかもしれない。
まだ、その時はね。
憎悪したはずのこの街に、君がとどまる理由は何か。
それが、最初に抱いた疑問だった。
俺はいつかの「民俗学」の授業を思い出した。
「『怪異』は『人の悲しみや恐怖』から生まれ、そして人の悲しみは『社会の歪み』から生まれます。怪異の原因を探って社会問題解決に役立てたい。まぁ、わたしの目指すところは『実践的な民俗学』……というわけですな」
『怪異』となった宗ちゃん。
宗ちゃんの心にある『悲しみや恐怖』。
そして宗ちゃんの生まれ育ったこの町の『歪み』。
君の苦しみや悲しみが分かる俺なら、それを取り除いて、この忌まわしい土地から解放してあげられると思った。
怪異となってまで、この土地に縛られて、悪夢に苛まれる君を、今度こそ安らかに眠らせてあげたかった。
黒木家に行ったのもそのためだ。あの変わり果てた、死にぞこないの黒木龍也を見たら、君の無念が晴れるかと考えて──まぁ、そんなことは思い過ごしだった訳だが、一つ発見はあった。
お婆ちゃんに、俺に、黒木龍也。
君に何らかの感情を抱いている人間にしか、君のことは見えない。それを黒木龍也は証明してくれた。──でも、あんなヤツの話はもうやめよう。
それよりも、「怪異」が君を襲い始める理由が、だんだん分かり始めていた。
赤いワンピースの女。真っ白な子供と老人の腕。死を唱える蛾の群れ。血塗れのフロントガラス。それから「仮面」の子供たち。
君の悲しみや苦しみを模して、地獄の亡者どもが君を迎えにきてるのだと、そう確信した。
あるいは君が言うように「社会から見捨てられた仲間」として、君を受け入れようとしているのだろうか。
どちらにしても、君に自分の死を思い出させて、絶望の果てに「そちら側」に還っていくのを、奴らは待っている。
そんなことはさせない。
君をこの町にも、化け物どもにも絶対に渡すものか。
「宗介くんはどうしたい?不気味な現象の真実を知るのか。それとも平穏な暮らしを続けたい?」
20歳まで生きながらえてしまった俺が、15歳のままの君に尋ねた。
君はこう、答えたね。
「アイツらの正体なんか知りたくない。普通に暮らせたら、それでいい」
あぁ、俺もだよ、宗ちゃん。
その答えを聞いた時、後ろめたい幸福感が全身を包んでいった。
宗ちゃんと朝ごはんを食べて、宗ちゃんと町を歩いて、宗ちゃんと眠った。
海に行って、君の笑顔を見て、1999年の夏の思い出のやり直しができて、俺は思い知ったんだ。
俺の手を握って寝息をたてる宗ちゃん。
海を遠く見つめて俺の思い出話をする宗ちゃん。
「今度こそ、湯山と一緒にこの町を出ていって、2人で生きていきたい」
君の願いが、俺の願いと重なった。
俺も君といたい。
君とずっといたい。
君とずっと一緒にいたい。
君とずっと、ずっと──永久に。
だから、別の方法で君を助けることにしたんだ。
君の『悲しみや苦しみ』を拭い、『歪んだこの町』から君を解放するよう、行動し続けてきた。
「湯山くんなら、もう君のところには帰ってこないんじゃないかな」
そのためなら、無力だった「湯山」だって殺してみせた。
「近所の人やさっきのお巡りさんにも相談したんだけど、もう、ここからは福祉の手を借りるべきだ」
君が気にしているお婆ちゃんのことだって、ほら、この通り。
これからは大人の「笹木」が君を守る。
「あんたに見届けられて死ねて、よかった」
涙ぐむ君が、俺を見て微笑む。
君の心を、「この町」や「お婆ちゃん」、それに「無力な親友」から「俺」に移せた。
あぁ、やっと、完成した。やっと。
「やっと迎えにこれたよ、『宗ちゃん』」
1999年の夏に、再び君を閉じ込める呪いが。


