虐げられた真珠乙女の逆転婚~冷徹な夫が探し求めたのは身代わりで嫁いだ私でした〜

「こちらで働かせていただけないでしょうか。掃除でも、皿洗いでも何でもいたします」
「冷やかしはやめてくれ」
 香ばしい匂いの漂う街角のパン屋で、静香は深々と頭を下げた。
 だが、店主は静香の手を見るなり鼻で笑い、まったく相手にしてくれなかった。

 仕立て屋も、宿屋も、食事処も。
 何軒も回ったが、どこも静香を雇ってくれるような店はない。

 私は自分の力で食べる物を手に入れることすらできないんだ……。
 
 慣れない草履で歩き続けた足はもう限界。
 絶望に暮れながら屋敷へと戻っていた静香の目にふと看板が飛び込んだ。

『過去も、名も問わず。ただ、病に苦しむ者のために動ける者を求む』
 
「名も問わず……?」
 見上げた建物は石造りの古びた済生診療所。
 おそらく華族などが慈善活動の一環として、経営している病院だ。
 
「ここなら雇ってもらえる……?」
 わずかなお金でかまわない。
 その日の夕食を食べることができるお金をもらえれば。
 身分証も保証人もいらないという一筋の光に縋るように、静香は重い扉を押し開けた。
 
 薄暗い診療所の一室に案内された静香は、ゴクリと唾を飲み込む。
 目の前の初老の婦長は、今までの店と同じように静香の細くて白い手を見るなり肩をすくめた。

「ここが何をするところか知ってるのかい?」
「はい。病気や怪我をした人が来るところです」
 いくら無知な自分でもそのくらいなら知っている。

「ここは地獄だよ。毎日、泥と血と排泄物の臭いにまみれる場所だ。あんたみたいなお嬢様には無理だよ」
 さぁ、帰りなと言われた静香は、右手で自分の左手首をギュッと掴んだ。

「働かせてください。働かないと食事ができないのです」
「困っているような身なりには見えないけれど?」
「幸い、住むところはあります。物を売れば、しばらく食べ物は手に入るかもしれません。でも……」
 いつかは食べ物が手に入らなくなる。
 それでは一生ひとりで生きていくことなんてできない。

「お願いします。私、時々でいいので、お肉が食べたいんです」
「うちの給金は安いよ」
 婦長はフンと鼻を鳴らしたあと、棚からエプロンを放り投げた。