虐げられた真珠乙女の逆転婚~冷徹な夫が探し求めたのは身代わりで嫁いだ私でした〜

 本邸から少し離れた場所に建てられた別邸は、うっそうとした森の中にあった。
 
「いいご身分ですこと」
 乱暴にガチャンと床へ置かれた食器の音で、静香はゆっくりと目を開ける。
 扉の前に仁王立ちで立っているのは、本邸から食事を運んでくる女中の菊乃だ。
 菊乃はわざとらしく鼻を鳴らすと、埃の舞う冷たい床に置いた盆をつま先で静香の方へ押しやった。
 
「こんな『お荷物』にも食べ物を与えてくださるなんて、本当に旦那様は優しすぎますね」
 盆に乗っているのは、固そうなパンと具がほとんど入っていないスープ。
 
「ありがとう、ございます」
 静香が震える声で礼を言うと、菊乃は面白くなさそうに顔を歪めた。

 昨晩、銀の針で突いた傷跡は赤紫色に腫れ上がり、霊力を使い果たしたせいで身体に力も入らない。
 静香はやっとの想いでベッドから立ち上がったが、すでに菊乃の姿はどこにもなかった。


 静香がこの嵯峨家に嫁いできたのは2ヶ月前。
 元々、この縁談は「薔薇の妖精」と謳われるほど美しい姉・麗華に持ち込まれたものだった。
 
 事業に失敗した間宮家にとって、名門・嵯峨家との縁組みは唯一の救い。
 当主である征一郎は、結婚の条件として間宮家が抱えていた莫大な負債の肩代わりと、事業再建のための多額の資金援助を約束してくれた。

 それなのに。

「お姉様が逃げなければ……」
 そうすれば姉の代わりに嫁ぐことも、別邸に閉じ込められることも、女中たちから嫌がらせされることもなく、今もまだ実家で空気のような存在で過ごしていたはずだ。
 よりにもよって、結婚式の当日に姿を消すなんて。
 絶望した両親が姉の身代わりに差し出したのが、地味で美しくもない妹の私だった。

「冷たくて、味もないわね」
 静香は震える手で、冷めきったスープを口に運ぶ。
 パンはとても固く、まるで数日経ったパンのようだった。

『死なない程度にひっそりと暮らせ』
 初夜はもちろんなかった。
 結婚式で告げられた言葉と、征一郎の冷徹な瞳は今でも忘れられない。

「私だって好きでここに来たんじゃないわ」
 今の自分にとって、命を削って生み出した特殊真珠だけが唯一の希望。
 これを売り、自由を買えるだけのお金を手にするまでは、どんなに惨めな食事でも食べて生き延びなければならない。
 静香は固くなったパンを小さくちぎり、必死に喉の奥へと押し込んだ。