◇ 数日後◇
「美弥子さん、どこに行くんだ?」
「少し冷えてきたので膝掛けを取りに行こうかと」
「ダメだ。寒かったなら俺と離れずくっついていればいいだろう」
「えぇ……? もしや直義様、私から片時も離れないおつもりですか?」
「あぁ。家にいる間はもう絶対に離れないからな」
そう言って直義は美弥子を自分の膝の上に座らせ掻き抱くように抱きしめる。
まさに密着。
熱いくらいに直義に包まれて、今まで離れていたぶんを補うかのような接触に、美弥子はなんとも居た堪れなくなった。
「いくら離れないとおっしゃっても密着しすぎでは? これでは身動きが取れません」
「要望があれば、俺が美弥子さんの手となり足となろう。だから離れずともいいだろう?」
そう言って耳元で囁かれると、羞恥で顔が真っ赤に染まる。顔だけでなく声までよいのも困りものだと美弥子が俯いて直義の顔を見れずにいると、そんなことは許さないとでも言うように上向かせられて覗き込むように間近に顔を近づけられてしまった。
「直義様、近いです」
「恥じらう美弥子さんも素敵だ。その顔をよく見せて」
「直義様……ん」
直義の名を呼べば、そのままゆっくりと重なる唇。啄むように何度も唇を合わせられ、慣れない口づけにますます美弥子の羞恥心は募った。
「はぁ、可愛い美弥子さん。食べてしまいたいくらい可愛くて愛おしい」
「大袈裟です」
「大袈裟なものか。ずっとあの不届者に美弥子さんの体調が悪いと聞かされたせいで、半年ぶりの逢瀬なのだ。だから今はたっぷりと美弥子さんを感じたい」
「直義様……」
恨み節混じりに訴える直義に苦笑しながら彼の背に手を回して、撫でる。
すると甘えるように直義が美弥子の身体に擦り寄り、その姿はまるで大きな猫のようでちょっと微笑ましかった。
「ところで、本当に身籠ってはしていないのだな? 体調もどこも問題はないのだな?」
「えぇ。まだ身籠ってはおりませんし、この通りぴんぴんしております」
「そうか。ちょっとだけ残念だったな」
そう言って少しだけ眉を下げる直義。
なぜ直義が美弥子が懐妊していないことを残念がっているかといえば、先日の一件である。
そもそもなぜ半年もの間、美弥子が直義に会えなかったかと言えば全て侍従長の仕業であった。
侍従長は、美弥子が華族令嬢の中でも地位が低い男爵家出身であること。冷遇時にあまり主張をせずに我慢する態度。そして、美弥子のはっきりとした顔立ちなどを総合的に判断して、これなら自分の娘である小夜のほうが直義に相応しいと美弥子を離縁させ、新たに小夜を妻にしてもらうよう策略した。
そのため、祝言を挙げた夜の初夜が済んだあと直義には美弥子の体調が悪いと言って遠ざけ、日中含めて美弥子は病床で伏せっていると嘯き、その後も懐妊したのかもしれないなどと手を変え品を変え直義と接触しないようにしていた。
また、直義が美弥子への手紙や南蛮菓子や花などの見舞いの品、手土産として買ってきた簪や香油などはいずれも侍従長が受け取り、手紙はすぐさま燃やして破棄。菓子は使用人達へ直義からではなく侍従長からの気遣いという形で振る舞い、それ以外の価値ある品は小夜に渡したり質屋に入れたりと全て侍従長がくすねていたらしい。
あるとき直義が美弥子にあげたはずの簪などを小夜が持っていることに気づいて指摘した際は、美弥子が病床の自分ではつける機会がないからと小夜に譲ったのだと嘘八百を言って難を逃れていたそうだ。
もちろん、美弥子が頼んだ手紙や贈答品も直義に渡すことなく全て捨てられていたとのことだった。
そして、美弥子の悪い評判を立て使用人達からの評価を下げ、美弥子の心身が疲弊してきたのを見計らって、偽造した離縁状を直義からというていにして美弥子に渡してきたというのが今回の顛末だ。
本来の計画ではそのまま美弥子が大人しく離縁し、侍従長は直義へ適当な言い訳をして美弥子が出て行ったということにして小夜を新たな妻にさせようとしたのだが、侍従長の誤算は直義には小夜を妻にする気など全くなく、直義のほうが痺れを切らして美弥子に会いにきたことだった。
それから、もっと早く美弥子が音を上げるかと思いきや、思いのほか美弥子がすぐに離縁を言い出さず粘ったこと。さらに、美弥子が一定の我慢はするものの言いたいことははっきり言う性格なのが災いして、侍従長の思った通りにことが進まなかったことが功を奏したのだった。
結局、侍従長は横領で逮捕。小夜は解雇され実家へと引き取られていき、美弥子への冷遇や悪口に加担した者も居づらくなったようでみんなそれぞれ自主的に辞めていった。
これらの顛末は、巡査の事情聴取によりわかった次第である。
「それにしても、もっと早く気づいていればこんなことにはならなかったはず。美弥子さんにはつらい想いをさせてしまってすまなかった」
「いえ、直義様があのとき来てくれたおかげで元侍従長の謀略が露見したのですから、直義様のせいではありません。どうか謝らないでください」
「それこそ、美弥子さんが粘ってくれたからこそだ。さっさと俺を見捨てて離縁することもできたはずなのに」
「せっかくご縁があって夫婦になったからには、直義様と共に添い遂げたいと思っておりましたので」
「美弥子さん……っ」
美弥子の言葉に直義が感動し、美弥子を強く抱きしめる。
直義は人前では淡白で無愛想に見えるが、二人きりのときは意外に情に厚い人なのだとここ数日美弥子は実感していた。
「美弥子さんと離縁せずに済んで本当によかった」
「ですから、大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか。美弥子さんと離縁だなんて考えるだけでも恐ろしいというのに」
「それは言い過ぎでは?」
「言い過ぎなものか! 美弥子さんは俺にとって初恋の相手なのだから」
「えぇ? それは初耳なのですが」
美弥子が驚くと、直義は言うつもりがなかったのか耳を赤く染めていた。
その様子がなんだか可愛らしくて美弥子が「直義様、照れてます?」と微笑むと、直義はさらに恥じ入るように顔を赤く染める。
「照れていない」
「ふふ。直義様って可愛らしい方なのですね」
「美弥子さんのほうが可愛い」
「はいはい。それで? 直義様の初恋についてお聞きしても?」
「美弥子さんは意地悪だな」
「だって気になりますもの。祝言以前に私達お会いしてましたっけ?」
美弥子としては祝言のときに初顔合わせのつもりであったが、どうもそうではないらしい。
こんな整った顔立ちの殿方と会ったら絶対に覚えているはずなのに、美弥子にはてんで心当たりがなかった。
「あぁ、一度。美弥子さんの女学校時代に」
「女学校時代? いつでしょう」
「二年ほど前に学内案内をしてもらった」
「学内案内……え!? もしや、あのときの軍人さん!?」
そういえばかつて女学校時代に何かの理由で先生に頼まれ、複数名の帝国軍の人を学校案内したことを思い出す。
当時軍の人は目深に帽子を被って顔があまり見えていなかったので、美弥子は全く覚えていなかったのだ。
「あの中に直義様がいらっしゃったなんて」
「覚えていないのも無理はない。当時は仕事だったからあまり私語はできなかったからな」
「でも、私あのときただ案内してただけですし、直義様から好かれる理由に心当たりがありません」
「俺の一目惚れだからな。初めて見たときなんと美しい人がいるのかと見惚れてしまって……それで階段を踏み外してしまったのだが、そのとき美弥子さんは咄嗟に手を差し伸べてくれただろう?」
「あぁ! あのときの!」
当時のことを思い出す。
足下の段差に気をつけてと言おうとした瞬間に足を踏み外した軍人に美弥子は慌てて「大丈夫ですか!?」と慌てて手を差し伸べたのだが、まさかあのときの人物が直義だとは今の今まで気づかなかった。
「あのときは本当に何も考えず行動してしまって。あとになって軍人さんに対して失礼な振る舞いだったのではと自分の行いを恥じたのですが」
「とんでもない。自分の背丈よりも大きな軍人に咄嗟に手を差し出すなど、女性でなかなかできることではない。その後も軍人相手に堂々と説明をしていて、なんと立派で素敵な淑女なんだと感心したのだ」
「私はただお役目を果たしただけなのですが、そうおっしゃられると照れますね」
まさかそんなときから自分のことを知られていただなんてと、なんだかまた羞恥心が込み上げてくる。
「それ以来ずっと美弥子さんを忘れられず、恋焦がれ、とうとう結婚までこぎつけたというのに今回のこのていたらく。だが、もう離さない。ずっと一緒にいるつもりだから覚悟してくれ」
再び抱きしめられて、胸が熱くなる。
半年分の寂しさを埋めるように美弥子が直義の背に腕を回すとさらにギュッと密着した。
「美弥子さん。半年分の埋め合わせをさせてもらってもいいだろうか?」
「……はい」
美弥子が頷くと、そのまま抱き上げられて寝室へと連れて行かれる。
そして、今まで離れていたぶんを埋め合わせるかのように美弥子は直義に情熱的に愛されるのだった。
その後二人は帝国内で一、二を争うおしどり夫婦となり、子をたくさんもうけ、直義はさらに出世し大将まで上りつめ、九鬼家の地位はますます盤石となるのであった。
終
「美弥子さん、どこに行くんだ?」
「少し冷えてきたので膝掛けを取りに行こうかと」
「ダメだ。寒かったなら俺と離れずくっついていればいいだろう」
「えぇ……? もしや直義様、私から片時も離れないおつもりですか?」
「あぁ。家にいる間はもう絶対に離れないからな」
そう言って直義は美弥子を自分の膝の上に座らせ掻き抱くように抱きしめる。
まさに密着。
熱いくらいに直義に包まれて、今まで離れていたぶんを補うかのような接触に、美弥子はなんとも居た堪れなくなった。
「いくら離れないとおっしゃっても密着しすぎでは? これでは身動きが取れません」
「要望があれば、俺が美弥子さんの手となり足となろう。だから離れずともいいだろう?」
そう言って耳元で囁かれると、羞恥で顔が真っ赤に染まる。顔だけでなく声までよいのも困りものだと美弥子が俯いて直義の顔を見れずにいると、そんなことは許さないとでも言うように上向かせられて覗き込むように間近に顔を近づけられてしまった。
「直義様、近いです」
「恥じらう美弥子さんも素敵だ。その顔をよく見せて」
「直義様……ん」
直義の名を呼べば、そのままゆっくりと重なる唇。啄むように何度も唇を合わせられ、慣れない口づけにますます美弥子の羞恥心は募った。
「はぁ、可愛い美弥子さん。食べてしまいたいくらい可愛くて愛おしい」
「大袈裟です」
「大袈裟なものか。ずっとあの不届者に美弥子さんの体調が悪いと聞かされたせいで、半年ぶりの逢瀬なのだ。だから今はたっぷりと美弥子さんを感じたい」
「直義様……」
恨み節混じりに訴える直義に苦笑しながら彼の背に手を回して、撫でる。
すると甘えるように直義が美弥子の身体に擦り寄り、その姿はまるで大きな猫のようでちょっと微笑ましかった。
「ところで、本当に身籠ってはしていないのだな? 体調もどこも問題はないのだな?」
「えぇ。まだ身籠ってはおりませんし、この通りぴんぴんしております」
「そうか。ちょっとだけ残念だったな」
そう言って少しだけ眉を下げる直義。
なぜ直義が美弥子が懐妊していないことを残念がっているかといえば、先日の一件である。
そもそもなぜ半年もの間、美弥子が直義に会えなかったかと言えば全て侍従長の仕業であった。
侍従長は、美弥子が華族令嬢の中でも地位が低い男爵家出身であること。冷遇時にあまり主張をせずに我慢する態度。そして、美弥子のはっきりとした顔立ちなどを総合的に判断して、これなら自分の娘である小夜のほうが直義に相応しいと美弥子を離縁させ、新たに小夜を妻にしてもらうよう策略した。
そのため、祝言を挙げた夜の初夜が済んだあと直義には美弥子の体調が悪いと言って遠ざけ、日中含めて美弥子は病床で伏せっていると嘯き、その後も懐妊したのかもしれないなどと手を変え品を変え直義と接触しないようにしていた。
また、直義が美弥子への手紙や南蛮菓子や花などの見舞いの品、手土産として買ってきた簪や香油などはいずれも侍従長が受け取り、手紙はすぐさま燃やして破棄。菓子は使用人達へ直義からではなく侍従長からの気遣いという形で振る舞い、それ以外の価値ある品は小夜に渡したり質屋に入れたりと全て侍従長がくすねていたらしい。
あるとき直義が美弥子にあげたはずの簪などを小夜が持っていることに気づいて指摘した際は、美弥子が病床の自分ではつける機会がないからと小夜に譲ったのだと嘘八百を言って難を逃れていたそうだ。
もちろん、美弥子が頼んだ手紙や贈答品も直義に渡すことなく全て捨てられていたとのことだった。
そして、美弥子の悪い評判を立て使用人達からの評価を下げ、美弥子の心身が疲弊してきたのを見計らって、偽造した離縁状を直義からというていにして美弥子に渡してきたというのが今回の顛末だ。
本来の計画ではそのまま美弥子が大人しく離縁し、侍従長は直義へ適当な言い訳をして美弥子が出て行ったということにして小夜を新たな妻にさせようとしたのだが、侍従長の誤算は直義には小夜を妻にする気など全くなく、直義のほうが痺れを切らして美弥子に会いにきたことだった。
それから、もっと早く美弥子が音を上げるかと思いきや、思いのほか美弥子がすぐに離縁を言い出さず粘ったこと。さらに、美弥子が一定の我慢はするものの言いたいことははっきり言う性格なのが災いして、侍従長の思った通りにことが進まなかったことが功を奏したのだった。
結局、侍従長は横領で逮捕。小夜は解雇され実家へと引き取られていき、美弥子への冷遇や悪口に加担した者も居づらくなったようでみんなそれぞれ自主的に辞めていった。
これらの顛末は、巡査の事情聴取によりわかった次第である。
「それにしても、もっと早く気づいていればこんなことにはならなかったはず。美弥子さんにはつらい想いをさせてしまってすまなかった」
「いえ、直義様があのとき来てくれたおかげで元侍従長の謀略が露見したのですから、直義様のせいではありません。どうか謝らないでください」
「それこそ、美弥子さんが粘ってくれたからこそだ。さっさと俺を見捨てて離縁することもできたはずなのに」
「せっかくご縁があって夫婦になったからには、直義様と共に添い遂げたいと思っておりましたので」
「美弥子さん……っ」
美弥子の言葉に直義が感動し、美弥子を強く抱きしめる。
直義は人前では淡白で無愛想に見えるが、二人きりのときは意外に情に厚い人なのだとここ数日美弥子は実感していた。
「美弥子さんと離縁せずに済んで本当によかった」
「ですから、大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか。美弥子さんと離縁だなんて考えるだけでも恐ろしいというのに」
「それは言い過ぎでは?」
「言い過ぎなものか! 美弥子さんは俺にとって初恋の相手なのだから」
「えぇ? それは初耳なのですが」
美弥子が驚くと、直義は言うつもりがなかったのか耳を赤く染めていた。
その様子がなんだか可愛らしくて美弥子が「直義様、照れてます?」と微笑むと、直義はさらに恥じ入るように顔を赤く染める。
「照れていない」
「ふふ。直義様って可愛らしい方なのですね」
「美弥子さんのほうが可愛い」
「はいはい。それで? 直義様の初恋についてお聞きしても?」
「美弥子さんは意地悪だな」
「だって気になりますもの。祝言以前に私達お会いしてましたっけ?」
美弥子としては祝言のときに初顔合わせのつもりであったが、どうもそうではないらしい。
こんな整った顔立ちの殿方と会ったら絶対に覚えているはずなのに、美弥子にはてんで心当たりがなかった。
「あぁ、一度。美弥子さんの女学校時代に」
「女学校時代? いつでしょう」
「二年ほど前に学内案内をしてもらった」
「学内案内……え!? もしや、あのときの軍人さん!?」
そういえばかつて女学校時代に何かの理由で先生に頼まれ、複数名の帝国軍の人を学校案内したことを思い出す。
当時軍の人は目深に帽子を被って顔があまり見えていなかったので、美弥子は全く覚えていなかったのだ。
「あの中に直義様がいらっしゃったなんて」
「覚えていないのも無理はない。当時は仕事だったからあまり私語はできなかったからな」
「でも、私あのときただ案内してただけですし、直義様から好かれる理由に心当たりがありません」
「俺の一目惚れだからな。初めて見たときなんと美しい人がいるのかと見惚れてしまって……それで階段を踏み外してしまったのだが、そのとき美弥子さんは咄嗟に手を差し伸べてくれただろう?」
「あぁ! あのときの!」
当時のことを思い出す。
足下の段差に気をつけてと言おうとした瞬間に足を踏み外した軍人に美弥子は慌てて「大丈夫ですか!?」と慌てて手を差し伸べたのだが、まさかあのときの人物が直義だとは今の今まで気づかなかった。
「あのときは本当に何も考えず行動してしまって。あとになって軍人さんに対して失礼な振る舞いだったのではと自分の行いを恥じたのですが」
「とんでもない。自分の背丈よりも大きな軍人に咄嗟に手を差し出すなど、女性でなかなかできることではない。その後も軍人相手に堂々と説明をしていて、なんと立派で素敵な淑女なんだと感心したのだ」
「私はただお役目を果たしただけなのですが、そうおっしゃられると照れますね」
まさかそんなときから自分のことを知られていただなんてと、なんだかまた羞恥心が込み上げてくる。
「それ以来ずっと美弥子さんを忘れられず、恋焦がれ、とうとう結婚までこぎつけたというのに今回のこのていたらく。だが、もう離さない。ずっと一緒にいるつもりだから覚悟してくれ」
再び抱きしめられて、胸が熱くなる。
半年分の寂しさを埋めるように美弥子が直義の背に腕を回すとさらにギュッと密着した。
「美弥子さん。半年分の埋め合わせをさせてもらってもいいだろうか?」
「……はい」
美弥子が頷くと、そのまま抱き上げられて寝室へと連れて行かれる。
そして、今まで離れていたぶんを埋め合わせるかのように美弥子は直義に情熱的に愛されるのだった。
その後二人は帝国内で一、二を争うおしどり夫婦となり、子をたくさんもうけ、直義はさらに出世し大将まで上りつめ、九鬼家の地位はますます盤石となるのであった。
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