放置されたお飾り妻の矜持

「旦那様はつくづく私のことがどうでもいいようね」

 美弥子は、項垂れるように誰もいない部屋で一人ごちる。

 かれこれ、祝言からもう三か月が過ぎようとしていた。
 それなのに直義からは未だに何も音沙汰なく、相変わらず美弥子は放っておかれたままだ。

「手紙もダメ、贈り物もダメ、もう全ての手は尽くしたもの。仕方ないわね」

 美弥子としても何とか現状を打破できないかといくつも手紙を書いては侍従長に渡すも、一向に直義からの返事はない。
 また、手仕事が得意なのを生かして自ら刺繍を施したハンカチを用意したりまだ肌寒い日が続くからと首巻きを編んだりしていずれも小夜に直義様へと渡してもらうようお願いするも、そのお返しはおろか感謝の言葉さえなく、文字通り音沙汰ない状態だった。

「直義様はどうして私と結婚なさったのかしら。こんなことなら結婚する必要なんてなかったのではないのかしら」

 会うことも話すこともない。
 ともなれば、子ができるはずもなく、かと言って九鬼家のお手伝いもさせれもらえず、現状美弥子はただの穀潰しの状態だ。
 正直言って、美弥子の九鬼家での自分の存在意義は皆無であると言える。

 家の結びつきのためだと言われればそれまでだが、美弥子の実家である佐伯家は男爵の爵位があるのみで特別に資産家なわけでもなければ、家格で言えば九鬼家よりも多少劣るほどである。
 なので、わざわざ直義と美弥子をくっつけさせる理由もなかった。

「直義様……どうして私と結婚したの……?」

 資産家で侯爵家でもある九鬼家の長男。帝国軍将校という肩書き。巷を歩いているとき活動写真の俳優にならないかと誘われるほどの端正な顔立ち。
 一方、美弥子は華族の中でも最も爵位の低い男爵家。資産もそこそこ。年も十九と若いわけでもなければ顔立ちは人気のおっとりした和顔とは無縁のはっきりとしたキツい面持ち。

 直義を構成するどの要素も、美弥子でなければいけない理由は何もなかった。
 むしろ直義からしたら縁談はきっと引くて数多。どんな淑女も選び放題だったはずだ。
 こんなにも夫婦としての役割を放棄するのであれば、そもそも美弥子と結婚しなければよかったのにと美弥子が考えるのも無理はなかった。

 さらに言えば、

「聞いた聞いた? 旦那様と小夜さん、結構いい仲みたいよ」
「知ってるわ。深夜に二人きりで話しているのを見たもの」
「どうも噂だと、小夜さんをお妾さんにするつもりだとか」
「そうなの? ならいっそ、奥様と離縁されて正妻になってしまえばいいのに」

 たまに本館に顔を出すと、聞こえてくる会話。
 どれもこれも直義と小夜が仲睦まじくしているという話題で、最もよく聞くのが美弥子ではなく小夜が本命であり、美弥子は形ばかりの結婚相手だという話である。

 実際、ここのところ小夜はよそよそしいことが多く、美弥子のお側付きなはずなのにほとんど側におらず、食事のときくらいしか顔を合わせていない。
 今もそうだ。
 編み物用の毛糸が足らなくなったので小夜に頼もうとしたが、いつまで経っても美弥子の元へと来る気配がない。
 なので、美弥子が自ら本館に出向いて毛糸を取りに来たのだが、その帰り際たまたま小夜の姿が見たと思えば、小夜は美弥子を見つけるなり慌てた様子で美弥子のところへ駆け寄ってきた。

「美弥子様、どうして本館にいらっしゃるのですか? ご用の際は私にお申しつけくださいと申し上げておりますのに」
「ごめんなさいね。忙しそうな小夜の手を煩わせたくはなくて」
「そんなお気遣いは無用です。私は美弥子様のためならなんなりと致しますのに」
「そう? でも、今日は朝食のとき以外一度も私のところへ来ないから、わざわざ呼び出しするのも悪いかと思って」
「それは……申し訳ありません。私が至らぬばかりに美弥子様にご迷惑をおかけして、美弥子様にはなんとお詫びしたらよいか……!」

 小夜が目を潤ませ赦しを乞う姿になぜか罪悪感を覚える。
 美弥子は正当な主張をしたはずなのに、大袈裟に振る舞う小夜に自分が不当な主張をしているような気分になってくる。

 実際、周りで遠巻きに見ていた使用人達は口々に「懸命に奥様に仕えているというのに、小夜さんが可哀想」「あんなに嫌味ったらしく言わなくてもいいのに」「旦那様から愛されてないからって小夜さんに嫉妬するなんて醜いわ」「だから旦那様に愛想尽かされるのよ」などと言っているのが聞こえてきた。
 その陰口が刃のように美弥子の心を切り刻んだ。

「別にお詫びなどを求めているわけではないから大丈夫。とりあえず、離れへと戻るわ。用も済んだし」
「でしたら、私もご一緒に」
「帰るだけだもの。小夜には色々とお仕事があるのでしょう? だから、それが終わったら来てちょうだい」
「かしこまりました」

 踵を返したところで、また「やっぱり奥様って冷たい方よね」「前々から思ってたけど、奥様ってキツいわよね」「お顔立ちもハッキリされてるし」「えぇ、気が強いのがお顔に出ていらっしゃるわ」と聞こえてくるのを、美弥子はあえて気づかないフリをして自分の居場所である離れへと戻って行くのだった。