きらめきを宿して




ささくれみたいな人生を送っているなと思う。

いつのまにか剥き出た皮は放っておけば治るけれど、私はいつも気になって剥いてしまう。どこまでが無痛で、どこまでいくとぷっつりと血が出てくるかも知っているくせに、結局いつも止まれないまま血が出るところまで剥いてしまう。だから、私の手はいつも絆創膏だらけだ。


一人暮らしで、恋人もおらず、いつも孤独な人間は、ご飯を作るのも洗濯をするのも洗い物をするのも自分だけだから、水に強い少し高い絆創膏を買っている。私が治りかけのささくれすら直ぐに剥いてしまうから絆創膏の消費は早くて、50枚で800円もするやたら良質な絆創膏を月に何回も買っている。

バカみたいだなと思う。ささくれさえ剥かなければこんなボロボロで醜い指先にはならないのに。

意思と反して剥けてしまったとしても、変に触らずにいたら直ぐに治るのに。わかりきっている痛みに自ら立ち合おうとしているのは、あまりにも頭が悪い。


「で、TikTokで見たんですけど……あ月野さんTikTokって知ってます?」
「知ってるよ流石に。入れてないけど」
「入れてないんだ。えでも推しさんTikTokやってませんでしたっけ」
「Safariで見てる」
「ヤバいって」


最近シフトがよく被るようになった西さんは23歳になったばかりで、年相応の若さをもっている。今年で26歳になる私とはたった三つしか違わないのに、三つも離れているだけで幼少期に通ってきた文化は違い、主流のSNSも違う。私はInstagramまでが精一杯で、情報は結局いつもTwitterで仕入れている。これはもはや年齢というより、過ごしてきた界隈の違い、ではあるんだろうけれど。


「びーりある撮ってもいーですかあ」
「はあ」


びーりある。それが何なのかはわからないまま、わかろうともせず、頭の中ではいつもひらがなで表記されてしまうくらいどうでもいい対象。西さんは若いと思う。年齢的にも、感覚的にも、まだ若い。私もまだ年齢的には若いけれど、TikTokもBeRealも今からアプリを入れるには億劫で、なくてもいきていけるような存在になるくらいには、若々しさというものがない。


変わらない日々から、煌めきだけが消えてゆく。
それに半分悲しさを感じながら、もう半分は、しょうがないと諦めている。思い描いていた大人は、こんなに寂しい生き物ではなかったはずだ。


「最近退勤時間同じこと多くて嬉しいです。仲良くなった気分」
「閑散期で残業も減ったしね」
「まあ。でも残業って本当キモくないですか。なのに残業代ってバカにならんくらい高いから定時で帰れば帰るだけ給料減った気持ちになるし。なんなんですかねこれ。嫌な世の中。定時で帰るとうだうだ言われるし。あたし多分もうすぐやめますよこの会社」


西さんが淡々と話す。私は絆創膏だらけの指先を見つめながら、思ったことをそのまま言葉にした。


「強いね」
「……え。いや、逆じゃないですか? 弱いから辞めるんです。続けていけないから。耐えるほどの気力がないから。鬱って治んないらしいじゃないですか。完治じゃなくて寛解って、そんなの、人生一回切りなのにひどくないですか」
「そうだけど。私は辞めますって上司に言うのが面倒だから続けてるだけだから。仮に今後どっかのタイミングでぶっ倒れたとして自分のせいだよ」


仕事をしていると、不安定になることが多々ある。積もっていく疲労や息詰まるような生活は、休日に多少回復はしても、全てが完全に元に戻るわけじゃない。自分のことを元気だと正しく認識できていたのはいつまでなのか、もう思い出すことができない。

ささくれみたいだ。どこまでが平気で、どこまでいくと自分が壊れていくか、なんとなくは知っているくせに、結局いつも止まれないままの日々を送っている。


西さんは強い。定時で帰る度胸もある。辞めることも決め切れる。精神が壊れないために逃げることもできる。私とは違う。私は、うっすら気付いていることにいつも目をつぶって、全てをなあなあにして生きている。だから人生がどういう結果になっても、それはささくれを剥いて血を出してしまうのと同じくらい自己責任で──。


「ダメですよ月野さん。他責できるところはしないと」
「えー……」
「働きたくて働いてんじゃないですもん。気持ちよく生きてくためにやりたいことが多すぎてお金が必要だから働いてるんです。会社のためじゃないですよ。月野さんは違うんですか? 働いてやるぜ!って気持ちで働いてるようには見えないです。あこれはアンチとかではなくですね」
「はは、うん」
「三代義務がある時点でもう働くことにこっちの意思とかなくないですか。なんだよ納税って。だいたい生活ってお金かかりすぎなんですよ。光熱費も高いしガソリンも値上げ。ネイルもたけえし。なんなんだよ」
「はははははバチギレじゃん」


あまりにも息するように不満が出てくるものだから、つい笑ってしまった。やっぱり西さんは強い。弱さを打ち消すような強さを持っている。


「あたしー、ささくれすぐ剥いちゃうんですよ」


西さんはよく喋る。それも唐突に、次から次へと、たった今見つけたかのような話題で。私は絆創膏だらけの指先を隠すように服の裾を伸ばした。


「ささくれ?」
「はい。なんか気になっちゃって。それで、手綺麗になりたいと思ってネイル始めたんですけど。ネイルやってから出来にくくなったんです。オイルやったりしてケアするからですかね? 自爪は弱りますけど、今のところネイルやめる気ないんでそこはどうでもよくて。前の職場は派手な色ダメみたいなのあったんですけど、ここはなかったから。爪って可愛いし見てるだけでテンション上がりません?」
「まあ、そうだね。昔やってたからわかるよ」
「でしょ。でもネイルって高いじゃないですか。バカみたいに。だからあたしはネイル一生続けるために働いてます。会社のことなんかどうでもいい」


私だってそうだ。会社のことなんかどうでもいい。

私がいなくても成り立つ仕事。私が残業しなくても誰かがどうにかする業務。私が背負いすぎるほどのことじゃない。そんなことはわかっているのに、無駄に持ち合わせている責任感が邪魔をする。


「でもあたし、月野さんのことはどうでもよくないですよ」


朝が来るのが怖い。眠いのに眠れなくて、そうしている間にいつも気絶している。


「ただの職場の先輩ですけど。あたしのこと気にかけてくれるし、喋るとおもしろいし。ちょっと好きだなって思っちゃったから、もうどうでもよくないんです。見てて不憫です。何でもかんでも、周りは月野さんの真面目さと人となりに便乗してる。むかつきます」
「えー、ありがとう」
「ありがとうじゃないですよ。もういっそ、2人で辞めて一緒にお花屋さんになりましょうよ。占い師とか。占いって勉強したら私らでもいけるらしいですよ」



半分適当で半分本気みたいな言葉がとても優しく聞こえる。占い師。幼稚園の頃、私は水晶玉の美しさに眩んで占い師になりたいと思っていた時期が本当にあった。


「ネイル、もうやらないんですか」

西さんが自分の爪を眺めながら問う。長くて細くて、か弱い女の子みたいで、それなのにとても派手で、可愛い。


「うーん、現実的に高いんだよねぇ。一応代わりに家でできるキット買ったんだけど面倒で」
「じゃああたしがやりますんで。いつでも呼んでください。あたし昔ネイリストになりたかったんです」
「えー本当?」
「嘘です」
「嘘かぁ」
「でも人の爪やるの好きなんで、月野さんが嫌じゃなかったら変に遠慮しないでください」



西さん。あなたはとても可愛らしい人だ。

西さんがいるから、私はまだこの職場でもなんとかやっていけている。辞めたら寂しい。西さんが辞めるなら私もそのときに辞めたいなと、どうせ辞めないくせに思ってしまうくらいには。


「こないだTikTokで可愛いの見つけたんで共有しま……あ。TikTok入れてもらえますか?」
「Safariで見るよ」
「あはははははヤバいってえ」


西さんが笑う。つられて私も笑った。

いつか一緒に、占いができるお花屋さんを開こう。

変わらない日々に、ほんの少しのきらめきが宿った。