孤影の軍神の最愛



「また新しい着物を買ったそうだよ」
「まったく、妻としての勤めを果たさず離れに引きこもりっきりで、なにを考えているのかしら」
「百合音さんが優しいからって、つけあがっているのよ」
 庭を歩いていると、女中達の会話が耳に飛びこんできた。びくっと椿の足が止まる。
「先代が決めた結婚なんて、取りやめてしまえばいいのよ。そもそも敬神の能すらないのでしょう」
「ええ、やっぱり雪白様の妻には百合音さんのように気立てのよい方が相応しいわ」
「ねぇねぇ、あのおふたりが将来を誓い合った仲って本当なの?」
 すぐそこで椿が聞いているとは知らず、女中三人の話はどんどん盛り上がっていく。いたたまれずに離れに駆け込んだ椿は、畳んだ布団に顔を埋めた。
 この一ヶ月、女中達から感じる視線や会話から薄々思っていたが、やはり雪白の想い人は百合音だったのだ。ふたりが並んでいる姿を脳裏に描き、なんてお似合いなのだろうと思ってしまう。明るく優しい百合音に雪白が惹かれるのは当然で、それがさらに気持ちを重くさせる。
 自分なんかが間に割り込んでいいはずがない。この家において、椿は不純分子でしかないのだ。
 この一ヶ月、雪白とは距離を取るよう心掛けた。せめて見送りと出迎えだけはしようと思ったが、百合音にやんわりと止められてしまう。そんな椿は月雲家に馴染もうとしていないように見えるのだろう。
 傷んだ料理が運ばれてきたことも少なくない。それで残すと「我儘だ」と陰口を言われ、ちょっと出かけただけで「月雲の金を使って遊んでいる」と噂される。
「どうしたの?」
 声が聞こえ、椿は布団から顔をあげた。引き戸の向こうでは、困ったように秋人が立ちすくんでいる。
「なんでもないわ。昨日の続きの折り紙をしましょうか?」
 文机の中から折り紙を取り出す。数日前、街で買ってきたものだ。
(折り紙を買いに行っただけなのに、なぜか着物を買ったことになっていた)
 暗い気持ちに蓋をして折り紙を作り始めた椿だったが、いつもと違う秋人の様子に気づき手を止めた。
「どうしたの?」
「あのね、お母様が買ってくれた風鈴を壊しちゃったの」
 秋人はそう言うと、袂から布包みを取り出した。広げると、中には青と赤のガラスの破片がある。
「もう冬だから片付けなきゃいけないんだけれど、でも、お母様が最後に買ってくれたものだから、飾っていたんだ」
 掃除をしようとしてうっかり落としてしまったと秋人が泣きながら話す。椿は割れた破片を布ごと手で包んだ。
(暖かな想いが流れてくる)
 指先がじんわりとぬくもり、二十代半ばの女性の幸せそうな笑みが脳裏に浮かんだ。癒しの力がある葛野葉家に生まれたにもかかわらず、椿は傷ひとつ治せない。だけれどその代り、想いのこもった品を修復させる力があった。それは家族で唯一椿だけが持つ力で、父がたいそう褒めてくれたのを覚えている。
(こんな力があっても、なんの役にも立たないのに)
 そう言って落ち込む椿を父はいつも慰め、十八歳になったら素晴らしい使い方を教えると言ってくれた。だけれど父は椿になにも教えず亡くなってしまった。
 人を想う気持ちは物に宿る。壊れた風鈴にはしっかりと秋人の母親の想いが残っていた。ばらばらになったその想いをつなぎ合わせると、物が壊れる前の状態に戻るのだ。だから修復すべきは壊れた物ではなく、想いである。椿は破片に残る気持ちを読み取ると、それらの残滓をすこしずつ頭の中で繋ぎ合わせていく。
 時間にして数十秒だろう。椿が両手を広げると、風鈴は元の形を取り戻していた。
「すごい! すごい、すごい」
 秋人がその場で飛び上がり、椿の手から風鈴を受け取る。そうして嬉しそうに、音を鳴らした。
「椿さんはゆうしゅうだね」
 その言い方が可愛くて、椿が思わず吹き出す。褒められて喜んでいるのだと思ったのか、秋人が満足そうに鼻の下を擦った。
「あのね、他にも直して欲しいものがあるんだ。できる?」
「もちろんよ。案内してくれる?」
「うん、こっちだよ」
 秋人は渡り廊下の横の踏石にある下駄に足を入れると、そのまま勝手口から出て斜め前の民家に向かった。
 庭がよく見える場所にある縁側に、ひとりの老人が座っている。白い頭に曲がった背中、覇気がなく虚ろな瞳はなにも映っていないようだ。
「おじいちゃん、遊びに来たよ」
 秋人が膝に手を乗せると、老人はのっそりと顔をあげた。暫くぼんやりしたのち、やっと「おぉ、そうか」と答える。
「あのね、雪白様のお嫁さんを連れてきたよ!」
「雪白?」
「うん、忘れちゃった? まぁいいか。それで、あの包みを見せてほしいんだ」
 どうやら現世から少し離れた場所に、意識があるようだ。老人はまたしても考えたのち、「これか?」と言って懐から小さな巾着を取り出した。秋人はそれを受け取ると、椿に見せる。
「この中に、おじいちゃんの宝物が入っているんだ。それを直してほしい」
 どうやら秋人が直してほしいのは老人の宝物だったようだ。
「おじいさん、巾着を開けてもいいですか?」
「おや、新しいお手伝いさんかい? いいよ、どうぞ」
 ついさっきの会話も覚えていないようである。椿はにこにこと笑う老人に断りを入れると、巾着の紐を解いた。随分軽いと思っていたその中身は、焼けた紙だった。灰になる一歩手前の状態で、文字は判読できない。
「それ、おじいちゃんの大事なものなんだって。だけれど、なにが書いてあるか、誰からもらったのかも覚えていないんだ」
「そう。こうして今も持っているのだから、とても大切なものなんでしょうね」
 記憶を失くしても大事だということだけは覚えていて手元に置いていたのだろう。手のひらの巾着に意識を集中させると、想いの残滓を掴み取れた。ただ、紙と同様にもろく、今にも消えそうである。
「風鈴みたいになおせる?」
「……なおせると約束はできないけれど、今よりはいい状態に戻せると思う。ただ、すごく時間がかかるわ」
「おじいちゃん、紙をなおせるって! 時間がかかってもいいよね」
「あぁ。そうだな。おや、雪だ。今日は寒いと思った」
 老人は緩慢な様子で立ち上がると、椿の手にある巾着をひょいと摘まむ。そうして縁側から室内へと戻っていく。障子を閉めたあとは、きっと椿のことなんて忘れるだろう。
「椿さん、明日からいっしょにここへ来ようね」
 無邪気に微笑まれると断れない。勝手に親戚の家に出入りしたら怒られるかもしれないが、秋人も一緒だ。それに許可を取ろうにも、雪白には会うことさえできない。
「分かった。一緒に通うね」
 月雲邸にいても居心地が悪いばかりだ。少し、少しだけでいい。思いっきり息ができる場所が欲しかった。