「奨、教室に飾るお花、今日も持っていくー?」
翌朝、店先を掃除しながら、エプロン姿の母が声をかけてきた。泥でつま先が汚れたスニーカーに足を入れながら「何でもいい」と口を開きかけて、やめた。香住の笑顔が頭をよぎったのだ。
「フリージア、ある?評判、よかったから」
俺のぶっきらぼうな言葉に、母は一瞬驚いたように目を丸くした。だがすぐに「あるわよー!」と嬉しそうに笑って、あの時と同じ黄色いフリージアの花束を作ってくれた。
いってらっしゃい、という母の声を聞きながら、俺は店先の花たちを眺めた。朝日をあびながら咲き誇る花たちは、こうやって見ると、色も形も様々だ。筒状の花弁だったり、一重や八重のもの、凝った現代アートのような奇抜な花もある。
以前よりも売られている花に興味を抱いている自分がいた。
(これもあれか。変な魔法をかけられたのか、もしかして)
脳内で、青色の三角帽子を被った香住が「葉月くんよ、緑化委員会になれー!お花を好きになれー!」なんて変な呪文をかけてくる図が浮かんだ。
あったかくなってきたから、ずいぶんおとぎ話みたいな思考をしてしまった。「魔法使いの孫」の妄想を振り払いながら、俺は歩き出した。
初めてフリージアの花束を持って登校した朝よりも、ずいぶん気温が温かくなってきた。人通りの多い道で花束を持って歩いても、前のときほど気まずい気持ちはない。花束が傷まないようにそっと抱えながら俺は通学路を歩いていく。
駅の改札を抜け、ホームに向かうと色んな制服の学生たちが並んでいた。その中で静かに本を読む香住の姿が見えた。「香住」と名を呼ぼうとすると、近くの女子高生たちの囁きが聞こえた。
「……ねぇ、あの制服、k高校の人だよね。カッコよくない?」
「わかるわかる。イケメンだよね……」
彼女たちの言っている人物が香住だとすぐに分かった。校内でも香住は女子に人気だ。男の俺が見ても顔は綺麗だし、眼鏡は知的な印象を与える。それでいて誰にでも優しくて穏やかな性格は更に魅力的だ。植物のことになるとちょっとズレた言動になるのも、愛嬌がある。
普段隣にいる俺自身が一番、香住の良さを感じていたから、彼女たちのリアクションには同意見だ。しかし、熱い視線を集める香住に声をかけるのが急に気後れしてしまう。
中途半端にあげかけた手を所在なく持て余していると、気配を察知したのか香住が、ちらりと俺の方を見た。そして、女子がうっとりする綺麗な顔で、
「葉月くん、おはよ」
と微笑んできた。少女漫画ならば、背景に白い百合でも咲き乱れそうだ。
サッと、後ろの彼女たちの視線が俺に向けられた。香住が声をかけたのが、青年漫画か劇画のキャラみたいな男で、目を丸くしている。周囲の視線に気まずさを感じながら、咳払いをして、俺は香住の横に並んだ。
「肩、大丈夫か」
「うん、全然。葉月くんが守ってくれたからね」
肩を軽くまわしながら香住が笑った。そして俺の手元の花束に気づき、「あ、フリージア。持ってきてくれたんだ」と一層嬉しそうな声をあげた。周囲の好奇なまなざしにも気づかず、花に夢中になるなんて、本物の植物オタクだ。それにこうして見ると、香住自身、花がよく似合う男だ。
急に、自分が花束を持っているのが恥ずかしくなってきた。ゴツい俺が持っているより、香住が花を持ってるほうが百倍サマになる。
「これ、お前が持っててくんねぇか」
そう言って香住に渡すと、香住は「え?」と言いながらきょとんとした顔をした。
「俺が持ってると笑われる」
「そんなことないと思うけど」
「いいから。ほら」
些か乱暴に香住の顔に花束を突きつけると、フリージアの黄色い花弁がふわりと揺れた。花束を受け取りながら、香住は春がこぼれ落ちるように、ふわりと笑った。
「なんだか葉月くんから花束をもらったみたいで嬉しい」
「な……!?」
途端に自分でもわかるくらい、顔がかあっと熱くなった。きっと茹でダコみたいに真っ赤に染まっているはずだ。顔だけじゃない。香住の言葉や表情のせいで心臓がギューッと痛くなった。声にならないような微かな悲鳴を背後の女子高生たちもあげた。
周囲の人間をこんなに動揺させておきながら「フリージアきれいだねー」なんて香住は呑気に笑ってる。人の気も知らないで、と睨みつけるが、あまりにも香住が無邪気に笑っているので、なんだか可笑しくなって俺も小さく笑った。
やっぱり、香住は変な奴だ。でも嫌じゃない。いや、むしろ……。
熱を帯び始めた春の日差しの中、俺の隣で花束のように笑う香住を見て、ふとそんなことを思った。

