一つ、今まで楽をしてきたことがある。自己紹介せずとも大抵は相手の方から「俺」とは何者かを勝手に推察してくれるのだ。
例えばこんな感じだ。
「葉月はさー、身体めっちやデカいし、鍛えてるよな?なんかスポーツやってんの?」
バレー部の杉田が興味津々に俺に話しかけてきた。子猿のように感情豊かな目と、大きく笑う口。根っからのムードメーカーなんだろう。コワモテの俺に対しても、臆さずに話しかけてくれる、気のいいやつだ。
杉田の問いかけは小さい頃から聞き慣れた質問だった。うまくいけば、俺が答える前に「スポーツ」も言い当てられることもあったが、ただ「野球部」とさえ答えれば良かった。その後の話題にもつながるし、好意的な目で向けられることも多かった。
しかし、今年は厄介だった。野球部に「元」がついてしまうのだ。それを告げると気まずそうに話題を逸らされたり、好奇心を潜ませた目で「えー!もったいない」と言われたりする。相手の反応は当然だが、なんて説明していいのか分からず、困惑する。
そして更に厄介なのは、今年の春から「元野球部」な上に、新たな所属が……デカい図体に不似合いな所属がついていることだ。杉田の、何かを期待するキラキラした目を前に俺が考え込んでいると、
「葉月くん、委員会行こう」
初めて会ったときの、あの無邪気な笑顔で香住が俺の名前を呼んだ。隣に立つとますます身体の線の違いがわかる。雑なラベリングをすれば「体育会系と優等生」、「クマとウサギ」ってとこだろう。
「美女と野獣だよな、香住と葉月って」
杉田が思わずといった口調で呟いた。香住は男だから美女はないだろ、とツッコもうとすると、
「どっちが美女なの?もちろん葉月くんだよね?」
なんて香住が返して、杉田をゲラゲラと笑わせている。冗談も言えるのだ、香住は。
感心しつつうまいこと1つも言えない俺は、ぶっきらぼうに「行くぞ、香住」とリュックを背負った。
「香住と葉月って何の委員会入ってるんだっけ?」
「緑化委員会だよ」
「緑化委員会ー?!」
香住の返事に、杉田が素っ頓狂な声をあげた。
「葉月、そのカラダで運動部入らないの、もったいねぇー!」
もったいない。
予想した、あるいは何度もかけられる悪意ない言葉に、ズキッと胸が痛くなる。だがやはりうまくいえず、「……別にもったいなくはねえよ」と返した。
俺と杉田の間で、香住も反論する。
「緑化委員会だって運動部と同じぐらい大事な活動だよ。僕が大抜擢したんだから。さ、行こう、葉月くん」
「お、おう……」
「んじゃぁ、俺も練習行くかー。2人とも委員会頑張れよー!」
香住が丁寧にフォローしてくれたおかげで杉田からの追及をのがれることができた。ブンブンと両手をふる杉田に見送られ、俺と香住は教室を出た。
窓から見える桜の木々はすっかり青々とした若葉になり、じんわりとした熱気を含む風が肌に触れた。部活動や帰宅を急ぐ生徒で混雑する廊下に、俺はそれとなく視線を向ける。今なら大丈夫だろうか。タイミングを見計らって教室を出ていく俺の後ろを、香住の足音が数歩遅れて続いた。
「今日からいよいよ活動だね。僕は去年も緑化委員会だったから何でも聞いてね、葉月くん」
香住がニコニコしながら俺に話しかけた。というか香住が不機嫌なところを俺は一度も見たことがない。特に緑化委員会に関することは楽しそうだ。
ひょんなことから、香住に勧められるまま、緑化委員会に俺も所属することになった。花への知識も興味も、香住と比べればまだまだだが、花瓶がなくて困り果てていた俺を救ってくれた香住に恩義を果たそうと思ったのだ。それにどうせ今年は時間が嫌というほど余っている。
「香住は花が好きなんだな。2年続けて緑化委員会なんて」
「うん。地味な活動だけど楽しいよ。あっ、でも今日は特に地味かな」
香住は少し申し訳なさそうな顔をした。
「今日は花壇の土作りが主だからね」
花壇。グラウンドから聞こえる運動部の掛け声が校舎まで響いてきた。鈍い痛みが右肘に走った。それに気取られないように、俺は香住に尋ねた。
「花壇ってどこにあるんだ」
「今日は中庭だよ。校舎を挟んで東側だね。グラウンドとは反対側にあるんだ。もしかして行くのは初めて?」
「あぁ」
香住に返事をする横でホッとする。それなら良かった、と情けない安堵を覚える俺に気づかず、香住は去年植えた花の話やら土替えの話を楽しそうに続けた。その横顔を見ながら、ふと、あることに気がついた。香住は一度も俺に「スポーツ」や「野球」の話を振ってこない。
土にスコップを軽く差し込むだけで、冬枯れした雑草が面白いほどとれる。小石や雑草を取り除きながら、土を柔らかくしていく。
「葉月くん、頑張ってるね」
香住がひょっこりと俺の手元を覗き込んだ。首にタオルを巻いた紺色のジャージ姿で、それこそ楽しそうに土いじりに勤しんでいる。
「……案外、楽しいな」
そんな風に答えると、香住は「よかった」と嬉しそうに笑った。5キロほどの肥料を幾つも運んだり、無心に土を掘ったりする作業は、体力には自信のある俺にあっていた。
「なんか、今日、人数少なくないか」
ふと顔をあげながら俺は香住に尋ねた。レンガで仕切られた花壇の中で、ミミズが出ただの、腐葉土の匂いが臭いだのと騒ぐ他の委員は10人ほど。委員会初日の顔合わせの時より随分少ない。「あぁ」と香住は残念そうな顔をしてため息をついた。
「結局名前だけの委員会っていうか……面倒なことはやらずに部活に行っちゃうんだよね。『幽霊委員』ってのが多くて」
「そっか」
「だから葉月くんが楽しいって言ってくれて安心した。……委員に誘ったのもちょっと無理矢理だったかなって心配してたから」
「まぁ、力仕事は得意だしな」
あらかた土や雑草を取り除いた花壇に、今度は30センチほど穴を掘り、全体的に耕していく。ザクッという乾いた音が耳に心地よかった。
「土がふかふかになるぐらい柔らかくするのがコツだよ」
華奢な見た目の香住だが、手慣れた様子でスコップをふっている。腕まくりをすると、日焼けしてない白い肌が覗くが、力強い動きだ。
柔らかくなった土に穴をいくつかあけ、そこに腐葉土や肥料をまぜ、花が育つ土作りが完成する。
そんな作業をしている内に、緑化委員会に誘われた、あの日のことを思い出した。
「もしかして、花屋の息子だから、俺を誘ったのか?」
「え?」
香住は額の汗を拭いながら唐突な質問に顔をあげた。前髪があがった香住の顔はすこし幼く見える。肥料を土の中に混ぜ合わせながら、俺は続けた。
「俺は店の手伝いとかしてねぇから全然戦力にならねぇぞ。体力はあっても知識はないし」
「あはは。そんな戦力とか知識とか大袈裟だよ、葉月くん」
香住が噴き出した。それから「そうだなぁ」と少し考える素振りをして、答えた。
「……しいて言うなら、フリージアかな」
他の緑化委員のおしゃべりの声に交じって、運動部のかけ声や吹奏楽部の合奏が春風に混じって聞こえていた。色んな音に紛れて、思わぬ答えが返ってきた。
「フリージアの花言葉にね、『友情』ってのがあるんだけど」
花の苗を入れる黒いポットを用意しながら、香住が穏やかな口調で続ける。
「フリージアの名前は、フリージアを発見した植物学者が親友の名前からつけたんだ。だから花言葉は『友情』」
香住が眼鏡をかけ直しながら、微笑んだ。
「あの日、フリージアを持ってた葉月くんと仲良くなれたら、って思ったんだ。なにかの縁かなって」
香住の言葉は照れくさくなるほどストレートだ。それを造作もなく言ってのける。
だからかもしれない。土に水が染み込むように、葉が光を受け止めるように、香住の言葉は素直に俺の心に入っていく。
「フリージアにそんな花言葉があるんだな」
「ね、面白いでしょ」
「香住の話が面白いよ」
香住はふふ、と日だまりで眠る猫のように目を細めた。
やがて花壇づくりも大詰めを迎えていた。ポットを数cmずつの間隔で仮置きしながら、上級生たちがどの苗を配置するかを指示していく。見慣れた花もあれば、名も知らぬ花もある。赤や黄色、白や青紫のカラフルな花々。面倒くさがってた他の生徒たちも、主役の登場に思わず顔を綻ばせている。
「これとこれの違いがわかんねぇ」
「こっちはパンジーで、こっちはビオラ」
「チューリップの球根は花壇の中央に埋まってるので踏まないようにー!」
「マリーゴールドの間隔はもっと空けて……」
花々の名前とともに指示が飛び交う。
俺もビオラの苗を香住から受け取った。渋みのある紫色の花だが、中央部分は黄色で縁取られ、目にも鮮やかだ。
10センチメートルほどの小さな花の感触に、なんだか、壊してしまいそうで不安になる。慎重に黒いポットに花を入れ、土をかけていく。香住の細い指が花の周囲の土を優しく押さえる横で、俺もゴツい手でゆっくりと土をかけた。自分で植えた花の一株に、ささやかだか、愛着みたいなものが芽生えていく。
「友情」を記念したフリージアのように、この花にも名前があって、香住が語ったような由来やエピソードがある。それを知っただけでなんだかくすぐったいような気持ちになった。
「水、渡すよー!」
女子生徒の声があがり、いくつかのじょうろが手に渡されていく。
「葉にかけないで、根元にかかるようにね」
香住のアドバイスを聞きながら、おそるおそる水をかける。線を描くように溢れる水が土にかかり、黒く染み込んでいく。
「香住はさ」
俺は呟くように尋ねた。
「香住はなんで植物が好きなんだ?」
「うーん……そうだなぁ。理由はたくさんあるけど……」
香住は考えるように視線を落とした。それから、顔を上げて花壇を指さした。まるで答えがそこにあるかのように。
「秋に植えたチューリップの球根がもう少ししたら咲きだして、もっと綺麗な花壇になるよ」
水を喜ぶように花弁を揺らすビオラを見ながら、香住は穏やかに話し続けた。
「季節ごとに違う花が咲いたりしてさ。それだけで世界が少し変わる気がするんだ」
世界が変わる。
俺は香住の言葉を胸の中で繰り返した。石や土塊が転がっていた花壇も、1時間ほどでささやかだが美しい花壇になっていた。カラフルなチューリップの花が開いたら、更に花壇は華やかなものになるだろう。
昨日までの世界が、案外簡単に違う世界に見える。なんだか、まるで魔法みたいだ。
「楽しいかもな、そういうのも」
「僕の話が?」
「ん。……まぁな」
西日が当たった香住の髪がほんのりと栗毛色に光っている。楽しげに花壇を見つめる香住の横顔を俺は不思議な気持ちで見つめていた。

