新学期が始まって数日経とうとしていた。
クラスメイトの顔も少しずつ覚えてきたが、仲のよい友人はまだ出来ていない。 図体ばかりデカくて口数の少ない俺は少し怖く見えるのだろう。そんな扱いも昔からで、今更どうとも思わない。遠巻きにチラチラと見られているのも分かっていたが、こちらから話しかける気は別に起きなかった。
春の陽だまりが差し込む窓際の席は一人でいるにはちょうどいい席だ。桜はもう散り始めていて、地面に淡いピンク色の絨毯ができている。
去年の今頃は、桜並木を横目にグラウンドで汗を流していた。今年はもう、そこに立つことはない。 右手を無意識にさすりながら、散り急ぐ桜を俺は見つめた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。生徒たちがそれぞれの席に着く。しばらくして、担任の吉沢先生が、ゆったりとした足取りで入ってきた。好々爺といった雰囲気の吉沢先生は壇上に上がり、のんびりとした口調で話し始めた。
「えー、皆さん。今日はクラスで委員会を決めていきましょうねぇ。ではぁ、学級委員のお二人、お願いします」
「はい」
ぷくぷくとした身体を揺らしながら、吉沢先生は学級委員に告げると、椅子に深く腰を落とした。黒板に「委員会希望調査」の文字が書かれる。
「学園祭もありますし、クラスの皆さんで協力して盛り上げていきたいですねぇ」
先生のおっとりとした声を皮切りに、クラスメイトたちが顔を見合わせてしゃべり始めた。
一緒にやろうよ、とか、何があんの、とかそういったお喋りを聞きながら、俺は腕を組んでその様子をぼんやりと見ていた。
委員会活動は全員強制ではない。部活や塾などの理由がある生徒は免除される。去年の俺もその一人だった。今でも別にやりたいものはない。
よっぽどの暇人か、内申書に何か加えたい生徒が、楽な委員会で済ませるために早めに立候補する。残った不人気なやつはジャンケンだ。
賑わうクラスメイトの中、学級委員が黒板に委員会の名前を羅列していく。
文化委員、放送委員、図書委員、緑化委員……。
定番のものから、少し変わったものまで並ぶ。
「ではここから早いもの順で決めていきたいと思います。意見のある人はいますか」
興味のないまま、俺はぼんやりと頬杖をついていた。すると、隣の席の男がすっと手を挙げた。
「緑化委員会、希望します」
教室が少し静かになった。
その生徒は眼鏡を軽く押し上げて、穏やかに続けた。
「去年も緑化委員会だったんですけど、今年も続けたいです。地味な仕事だけど、すごく楽しいので……。
えっと、もし一緒にやってくれる人がいたら、嬉しいです」
クラスメイトのささやき声が後ろから聞こえてきた。
「香住くんがやるならいいかも」
「ねー。優しそうだし、かっこいいよね」
かっこいい。俺はその言葉に「半分」同意する。切れ長の瞳が、眼鏡をかけていても分かる。さっきの立候補した際の言い方も、爽やかな低音で耳に心地よかった。
だが数日前、体中泥だらけのコイツからどんぐりを至近距離で自慢されたショックを忘れられずにいた。あれからもしょっちゅう頭に葉っぱつけて登校してくるし。
(香住……なんだっけ、名前……)
俺は隣の席から、香住の横顔をじっと見た。 香住は穏やかな、でも少し緊張したような表情で前を見ている。
栗毛色の髪が、窓から入る春の光に透けて柔らかく光っていた。細くて白い指が、机の上で軽く組まれている。
優しそうだし、という後ろの席から聞こえた言葉をもう一度反芻する。
確かに「あの時」もそうだった。 ロッカーの上で、今日もフリージアが黄色の花びらを揺らしている。
「フリージア、きれいだね」
そう言って、香住は右往左往している俺のために水を入れた花瓶を持ってきて、花を挿してくれた。
花屋の息子である俺より、よっぽど花に詳しくて、花が好きなんだと分かった。そうだ、そしてそのあと香住はこう言っていた。
「緑化委員会に入るつもりなんだけれど、葉月くんも、もしよかったらどうかな」
変な奴、と改めて思った。 たかが学校の委員会で、そんなに熱望する奴がいるだろうか。
たぶん植物が好きで、眼鏡で、ハスキーボイスで、誰にでも優しくて。でも、どこか掴みどころがない。
すごく、変な奴だ。
そう思いながら香住の横顔を眺めていると、ちらりと香住が俺の方を向いた。
その瞬間、目が合った。
香住の瞳がぱっと明るくなった。
嫌な予感がした。
「もしも」
香住の声にクラスメイトの視線が一気に集まる。
「もしも他に候補者がいないなら、『推薦』してもいいですか。僕、葉月くんと組みたいです」
「な……!!?おい……!」
拒否の言葉を口にしかけたが、ハッと俺は口をつぐんだ。「かっこよくて優しい」香住は、一応、俺の窮地を救ってくれた「恩人」でもあるのだ。
それに、フリージアの花を持ってきたのが誰なのか、知っているのは香住だけだ。人畜無害そうな香住だが、ここで申し出を断ったら、その秘密を暴露するかもしれない。悪意がなくとも、だ。
嬉々としてクラスメイトに語る、香住の顔が浮かんだ。
「葉月くんがこのフリージア、持ってきてくれたんだよ!きれいだよね!」
「うわぁ、アイツが花とか似合わねぇ……」
「金属バットならまだしも花束とか、逆に怖い」
一瞬よぎったおかしな妄想に、俺は反論する術を奪われた。
反応できずに固まる俺とニコニコしている香住。
正反対の俺たちを見て、露骨に驚いた表情を浮かべている奴もいた。
吉沢先生だけは「いいじゃないですかぁ」なんて、俺たち2人を微笑ましく眺めている。 学級委員の声が教室に響いた。
「葉月くんも希望ですか? 他に希望する人はいませんか」
反応は無かった。
「では、緑化委員会は香住くんと葉月くんにお願いします」
軽い拍手が起こった。俺が躊躇ったばっかりに、あっけなく決まってしまった。もう一度、隣の席に目をやると無邪気な笑顔で俺に微笑んでいる。
「よろしくね、葉月くん」
「……おう」
香住のせいで変に注目されて、顔が熱い。
俺に悪意は無く、ただ、俺に緑化委員会に入ってほしいだけの香住は、俺の気も知らないで笑っている。
たかが委員会活動なのに、あんな風に喜んだりして、やっぱり変な奴だ。
香住にふりまわされたせいか、心臓が妙にうるさい。
黒板に白いチョークで「緑化委員会 香住朔・葉月奨」と書かれていく。
「朔」……「さく」と読むんだよな、きっと。何かの本で見たことがある字だ。意味までは分からないが。
他の委員会決めがジャンケンで盛り上がる中、香住が俺に近づいてきた。
「葉月くん、委員会、入ってくれてありがとね」
そう言って、ニコッと笑って手を出してきた。わざわざ握手なんか、とも思ったが、笑顔の香住を拒むのはなんだか気が引けた。フリージアの件で救ってくれた恩義を、俺はこいつに返さねばいけないのだ。
俺は「……おう」とだけ返して、その指先をそっと掴んだ。

