花もはじらう初恋を

 

 冬の夜風は、肌を切りつけるような寒さだった。俺はブルゾンを着込んで香住との待ち合わせ場所に向かっていた。大した距離じゃないのに、白い息を短く吐きながら、俺は駅の改札口まで走った。

 走ってる間、色んなことを目まぐるしく考えた。将来のこととか、自分の気持ちとか。正しいとか正しくないとか。
余計なことをふるいにかけている内に、シンプルだが一番大切な気持ちがようやく見つかっていった。

 駅についた。居酒屋やレストランの多い通りには楽しそうな人々が行き交っている。そこに黒いコートに身を包んだ香住が一人、俯いていた。

「香住」

 俺が名前を呼ぶと、香住が顔をあげた。眼尻が赤く、痛々しい。少しやつれたような表情で香住がぎこちなく笑った。

「ごめんね、急に呼び出したりして」

「……いや、俺が電話したから」

「うん。すごく嬉しかった」

 香住は自分の両手に視線を落とした。

「葉月くんの声がどうしても聞きたかったから、すごく、嬉しかったよ」 

 掠れた香住の声が、涙で滲んだ。
 
「祖父がね、3日前に亡くなったんだ」

 俺は黙ったまま、香住の言葉を聞いている。蛍光灯の白々しい灯りが、無機質なコンクリートを照らしている。

「老衰だって。穏やかに亡くなったみたい」

 香住の声は淡々としていたが、その瞳から涙がぽろぽろとこぼれていく。

「子どもの頃から、『僕が長生きしてね』って言うとね。
『老いた者が先に死ぬのは当たり前なんだよ』なんて言うんだ。……やっぱり変わってるよね。
 そうやって僕にずっとさよならの練習をさせてたんだね、きっと」

 写真で見た、お茶目で優しそうな香住の祖父の姿を思い出した。溢れて止まらない涙を隠すように、香住が目元を強くこすった。

「お葬式の時に、祖父の庭を見て思ったんだ。祖父はいなくなってしまった。そしたらこの庭もきっと」

 主を亡くした冬の庭。香住が絶望したのは、草も木も枯れ果てた灰色の世界だった。

 肩を震わせて、迷子のように泣きじゃくりながら、香住は「葉月くんにね」と続けた。

「葉月くんに会うと、僕はどんどんワガママになる。意地悪になって、弱虫になってしまう。
 白川さんだってあんなにいい子で……葉月くんとお似合いなのに……僕……」

 香住はマフラーに顔を埋めるように呟くように言った。

「こんな僕じゃ嫌われるって……会っちゃだめだってずっと思ってた……なのに」

 なのに、と躊躇うように繰り返すと、涙でぐしゃぐしゃになった声で香住は続けた。

「永遠なんてものがこの世にないなら、葉月くんにどうしても会いたいって、思ったんだ」

 距離を置いていた間、香住も一生懸命、俺のことを考えてくれていた。そして、大切な人を喪って、今、俺を求めている。

「……こっちで泣けよ」

 俺の腕が、泣きじゃくる香住の身体を、ゆっくりと静かに引き寄せた。

 年末の駅前は深夜近くにもかかわらず人も多い。不思議そうに俺たちを見つめる視線に晒されても、どうでも良かった。香住にかける言葉の代わりに俺はその細い身体を強く抱きしめた。男の骨ばった身体だ。でもこいつを守りたい。今、そばにいたい。

 香住の腕も俺を拒まなかった。ゆっくりと俺の背中に細い腕が回り、ぎゅっと力を込めて抱き返してくれた。石鹸の匂いが甘く届く。それだけで、こんなに満ち足りてしまう。目を閉じて、腕の中の幸福をゆっくりと抱きしめる。

 その後、香住と2人、駅から北の方向へ歩いた。目的地などなかった。ただ真っ暗な国道沿いの道を、肩を並べて話し続けた。話題は何でもよかった。離れていた時を埋めるように、大切な人を失った悲しみを埋めるように、俺たちは言葉を紡いだ。

 人もまばらになり、華やかなクリスマスソングも途絶えた。月の無い、真っ暗な夜を2人で歩いていく。

「僕、嫌な奴だったよね」

 香住が目を伏せて呟くように言った。

「葉月くんが白川さんと楽しそうにしてるのが嫌で、自分勝手なことばっかり言ってた。……本当はもっと、ちがうことを言いたかったのに」

 香住の小さな声を聞きながら、俺は長く息を吐いた。耳や鼻が痛くなるほど寒いが、心はあたたかく満ち足りていた。

「冬は花がないって言うけど、そんなことないよな」

 時折通り過ぎる車のライトに目を細めながら、俺は続けた。

「ポインセチアも椿もシクラメンも冬の花だろ。案外、いっぱいあるよな」

「葉月くん、詳しいね」

「親父の受け売り。徹底的に叩き込まれたよ」

「そうなんだ。お店のお手伝いかぁ。楽しそう」

 道路を走り去る車のエンジン音にかき消されないよう、俺は少し声を張って続けた。

「香住に会えない間、気でも紛れるかとおもって手伝ってたんだ。でも、だめだった」

 花を買いにくる客の笑顔を見るたびに余計寂しくなった。店先に並んだ花のことをスマホで調べるたびに虚しい気持ちになった。
 
 緊張して震える喉に力を込めて、俺は言った。

「お前が好きだ」

 会いたかった、じゃ足りない気持ち。うまく言えそうにないからこそ、思ったままをそのまま口にする。

「お前が怖がることは、もう、絶対しない。
 でも、俺の気持ちは、一緒にいたいとか、抱きしめたいとか、たぶん、そういう種類の好きだ。……それは、どうしても伝えたくて」

 香住が白川に抱いた嫉妬を「意地悪」だというなら、友情を壊すような俺の気持ちもきっと「エゴ」だ。

 それを知った上で、香住に選んでほしかった。

「葉月くん」

 香住の足が止まった。涙で潤んだ瞳が、冬の星のように瞬いていた。

「僕は……」

 ぐー! 漫画の擬音みたいな音が、俺の腹から盛大に鳴った。

 沈黙のまま、俺と香住は、示し合わしたように反対車線にある牛丼屋をちらりと見た。見慣れた全国チェーンの看板が、さっきまでのロマンチックな空気を一瞬でぶち壊す。そもそもこんな国道沿いで一世一代の告白をすべきじゃなかった。

「……はは、あははははっ!」

 香住が、堪えきれずに噴き出した。
 相当ツボに入ったらしい。肩を震わせて、崩れ落ちるように笑ってる。

「葉月くん、お腹……! すっごいタイミング……あははは!」

 俺は眉を寄せて、顔を背けた。

「うるせぇ。そんなに笑うな」

「だって、ふふ……今、僕も『好き』って言おうとしたのに……おかしくて……」

 香住の笑い声が、少しずつ落ち着いていく。 香住の不意打ちの「好き」に動揺しすぎて、俺は空腹の言い訳を並べ立てた。

「は、腹減ってんだよ。お前が泣いてるから……何も食わずに飛び出してきたんだからな!」

「ごめんごめん。あー、そう言えば、僕も何も食べてなかったな」

 目尻の涙を拭いながら笑う香住が、俺に手を差し伸べた。

「じゃあ、行っちゃおうか」

 香住が俺に手を差し伸べた。

 俺は自然とその手を握り返して、横断歩道に向かった。

 店内は仕事帰りの男性客が数人いるだけで、場違いなほど明るいクリスマスソングが流れていた。
 音のうるさいエアコン、セルフサービスの水、情報量の多いメニューが、現実を一気に引き戻す。いつぞやのカフェとはえらい落差だ。
 牛丼の大盛りと並を注文して、テーブルに隣り合って座ると、俺ははぁーっとデカいため息をついた。

「ダッサいよな、俺」

 香住が箸を俺に渡しながら、にこっと笑った。

「ダサいね」

 届いた牛丼にこれでもかと七味をかけて、香住は箸を動かした。

「でも、そんな葉月くんが大好きだから仕方ないか」

 香住は黙々と牛丼を食べている。綺麗な顔で頬張ってるのがおかしくて、でも、いつになく耳が赤いのは、寒さのせいだけじゃないはずだ。

 俺の視線に気づいたのか、香住がふっと顔を上げて、「……僕は本気だよ?」と真剣な顔で小さく付け加えた。

 俺はゆっくりと箸を掴んだ。

「俺も冗談であんなこと言わねぇよ」

「そっか。葉月くんはそうだよね」

 香住が、ふっと表情をほころばせた。

 その後、俺たちはただ黙って、牛丼を口に運んだ。
 甘じょっぱい味が喉を通るたび、心臓が少しずつ落ち着いていく。

「色んな気持ちで胸がいっぱいなのに、お腹って減るんだね」

「だな。すげぇ、うまかった」

 カラになった食器を見て、二人で満足げに笑った。明るく笑う香住を見て、「魔法使い」も雲の向こうで安心してることを願う。

 香住が隣にいるのを感じながら、冷え切った心が溶けるほどの熱が、胸の奥からじわじわと広がっていった。