花もはじらう初恋を

 
 
 香住との距離が縮まらないまま、冬休みに入ってしまった。遊びの予定も部活もない俺は、途端に暇になった。受験に備えてと思って参考書を開くが、なんとなく手につかない。YouTubeや動画配信を見て無為に過ごすが、いつも頭の片隅には香住がいた。

 また、香住と仲直りして、友達として過ごしたいと思う反面、もうそれでは満足できないような気がした。
しかし、後ろめたいこの感情を抱えたまま、香住に会えそうにない。

 こんなんじゃダメだな、と我ながら思った。身体を動かさないからダメなんだ。そういう単純な思考になるのはやはり元野球部の性なのかもしれない。
 筋トレを一通りこなし、自宅周辺を何周もランニングをし、声をかけてきた小学生相手にキャッチボールもした。

 しかし、やはりだめだった。

 ため息をつき、一階に降りて、両親が営んでいる花屋に顔を出した。
父は商店街の寄り合いに行っているらしい。レジの準備をしている母に声をかけた。

「母さん。あのさ、休みの間、店、手伝ってもいいかな」

 母は目を丸くした。しかし、すぐに「お福さん」みたいなふくよかな顔に笑みをたたえて、

「いいに決まってるじゃない!助かるわ」

と快諾した。

 それからしばらく、俺は店の手伝いに没頭した。店先の掃除をしたり、生花農家から届いた苗木を荷卸したり、注文された花束の配達に出たり、仕事は多岐にわたった。不器用な仕事ぶりをコワモテの父に叱られたりしたが、それすらもありがたかった。香住のことを考えない時間を少しでも増やしたかった。

「奨、手伝い、楽しい?」

 配達から戻った俺に、湯飲みを差し出しながら、母が尋ねた。駅前は家路を急ぐ人々で混んでいた。クリスマスソングが流れ、どこもかしこもサンタが描かれたポスターが飾られている。ウチの店先もポインセチアの花が並び、クリスマスのプレゼントにと花束を予約する客も多かった。

「楽しい、というか、実際やると大変なんだな。もっと早く手伝えばよかった」

 俺は母の淹れてくれた緑茶をすすった。

「いいのよ、そんなこと。あんたは野球の練習で頑張ってたじゃない」

 母は、俺の後悔する言葉を明るく笑って否定した。

「あんたは野球で忙しかったし、あたしたちも店でバタバタしてたからね。寂しい思いをさせてるってあたしこそ思ってたよ」

 そんなことない、と俺は小さく答えた。レジの足元に置かれたストーブがジジジ……と音を立てている。

「奨、あんた、変わったね」

 母がぽつりと呟いた。

「昔から寂しくても辛くても我慢する子だった。でも、今はすごく表情が豊かになったよ」

 俺は店先から、商店街を歩く買い物客を眺めながら、母の言葉を静かに聞いた。母が嬉しそうに続ける。

「フリージアを持ってった日以来かしらね。あんた、優しい顔つきになったわ」

 忘れようとしていた、香住の笑顔が蘇った。

 笑顔だけじゃない。花壇の花を守ろうとする必死な顔も、ふてくされたような横顔も、執事役の台本に青ざめる顔も、涙をためながら俺を見つめる顔も、香住が俺に見せたすべての表情が思い出された。
 
 香住と出会ってから、俺の世界は少しずつ彩りが豊かになった。
 自分の道を選ぶ勇気をもてたし、誰かと知らない世界を分かち合う喜びを知った。

 俺が優しくなったように見えるのは、香住が俺の世界を変えてくれたからかもしれない。

 そう思うと、胸が痺れるように痛くなった。
 香住に会いたい。切実にそう思った。

 閉店時間を迎え、店先のシャッターを下ろすと、俺はすぐに自室に向かった。スマホをスクロールして香住の連絡先をさがす。
 指先で、電話マークを押すのに躊躇いはなかった。はやく香住の声を聞きたかった。
 コール音が続く間、心臓の音が煩かった。ずいぶん長く無機質な電子音が続くように思えた。

「もしもし……葉月くん……?」

 電話に出た香住の声は小さく、掠れていた。
 
「……よう、元気か?」
 
 場を取り繕うような口調で俺は声をかけた。香住は答えない。その沈黙に怯みそうになったが、俺は片手をぎゅっと握りしめて続けた。

「香住、会ってくれねぇか」

「え?」

「香住に会って話がしたい……嫌、かもしれねぇけど」

 自分の素直な気持ちをそのまま吐露した。しばらく沈黙があったが、香住が答えた。

「僕も会いたい」

 スマホから聞こえる香住の声がだんだんと心細く震えていくのが分かった。

「葉月くんが良ければ今すぐ会いたい。……会いたいけど、でも、きっと、僕……」

 香住の声が不安定に揺らいでいる。外にいるのか、町の雑踏らしき音にかき消されそうな声が、スマホから聞こえ続けていた。

「あのね、葉月くん。一昨日ね……」