花もはじらう初恋を

 

 学園祭当日は、穏やかな秋空が晴れ渡っていた。色とりどりの立て看板やポスター、着ぐるみやメイドの仮装をした生徒たち、活気づく屋台からはいい匂いがする。文字通りのお祭り騒ぎだ。俺のクラスの執事喫茶『2年C組 秘密の花園』にもかなりの客が来ており、多忙を極めていた。

「い、いらっしゃいませ、オジョウサマ……」

「葉月、ガチガチすぎるだろ!もっと明るく、声張っていこうぜ!」

「杉田、お前はお前で居酒屋バイトすぎるって」

 教室に設けられたスタッフルームで、俺や杉田たちは言い慣れない台詞を練習していた。まもなく俺たちのシフトなのだ。それなのに、台詞は棒読みだし、燕尾服も居心地が悪い。なんとかサイズを調整してもらったが腕や太腿が少々苦しいのだ。俺の姿を見て「マッチョすぎるだろ!」と杉田や他の男子が大笑いしてたのも頷ける。こんな執事からかけ離れた姿で接客していいのだろうか。

「せっかく香住が客集めてんのに、俺らのせいで売り上げ下がったらマジでヤバいよな」

 杉田がやれやれ、と言いながら、スタッフルームの黒いカーテンを開けた。

「紅茶とご一緒にマフィンはいかがでしょうか、お嬢様。当店では季節のジャムも用意しております」

 香住の甘やかな低音が心地よい。優雅な手つきでメニューをそっと見せている仕草はまさに執事そのものだ。店中の女子……いや、オジョウサマたちの視線が、香住に向けられている。
 香住の接客している女子生徒が「じゃ、じゃあそれで……」というと、

「畏まりました。とびきり、素敵なティータイムにしましょうね、お嬢様」

と柔らかい笑顔を向ける。途端にキャーッ!と華やいだ歓声があがり、スタッフルームから覗いていた俺たちは狼狽えた。

「なんであんな噛みそうな台詞、スラスラ言えるんだ、香住……怖ぇな、おい」

「いや、香住も頑張ってるんだ」

 俺は杉田に答えた。接客時のマニュアルを渡されたばかりの香住も、歯の浮くような台詞の数々を見て俺たちと同じように青ざめていたのだ。

「ど、どうしよう。葉月くん。これ、僕たちが言うんだよね?」

「……大丈夫だ、香住」

 香住を勇気づけたくて、根拠もなく俺は答えた。

「単語だ、香住。単語を暗唱すると思って乗り切ろう」

「単語……」

 俺の言葉に香住は打開策を見いだしたようだ。一緒に台詞を読み合わせた甲斐もあってか、今や、香住は優秀な執事として仕事をこなしている。

「ますます人気でるな、香住」

 羨ましそうに呟く杉田が、背後に立つ俺に声をかけた。

「葉月は羨ましいとか何とか思わねぇの?」

「いや、俺は別に……」

 そう言いながら俺は、香住にもう一度視線を向けた。女子たちを夢中にさせている香住に対して、羨ましいとか妬ましいという感情は芽生えなかった。しかし、いつも隣にいる香住が遠い存在のように感じる。寂しいような、つまらないような、いや、それとは違う。初めて感じる、この不思議な感情は何だろう。 

「香住くん、15分休憩入っていいよー!次、葉月くんたちのシフトね」

 マネージャー役の生徒から声をかけられて、俺はハッとした。さっきまで考えていた自分でもよくわからない感情はとりあえず置いといて、今は目の前の仕事に集中しなければいけない。

「よ、お疲れ。香住」

「葉月くん……」

 スタッフルームに逃げ込むように入ってきた香住は、俺を見つけるとふにゃふにゃと崩れた。綺麗にセットされた前髪をかきあげながら、香住は深くため息をついてペットボトルに唇をあてた。

「だいぶ疲れてるな、香住」

「うん、慣れないことすると、やっぱりだめだね……」

 いつもポジティブな香住が珍しく弱音を吐いた。元気がない、しおれた観葉植物みたいだ。
 机にもたれかかり、ため息をついている姿がかわいそうで、俺は香住の頭をポンポンと軽く叩いた。香住がそれが心地いいのか、うっとりと目を閉じている。

「頑張ったな。1時間やったら俺もフリーになるから一緒にまわろうぜ」
 
「ありがとう。葉月くんも頑張ってね」
 
 香住の声援を背に俺と杉田たちはいざフロアに立った。すると、華やかな声が俺の名を呼んだ。
 
「あ!葉月くん、いたいたー!」

 白川サキだった。大イチョウ掃除以来、妙に懐かれてしまい、校内でしょっちゅう、こんな風に声をかけてくるようになった。女子に怖がられることは多かったが、白川も香住同様、変な奴なのかも知れない。
今日は、ピンク色の派手な法被を着て、仲間達を引き連れている。普段は禁止されているメイクもしていて、一瞬わからなかったが、本当に遊びにきたのだ。

「白か……オカエリナサイマセ、オジョウサマ……」

「喋り方、硬すぎるよー。え、カッコいいじゃん、この服!すごい似合ってるよ!」

「……分かったから、なんか注文しろよ」

「じゃあ紅茶とマフィン、3つずつ! あと、記念写真もね!」

 せっかく人が一生懸命覚えた台詞を一蹴して、白川はスマホを取り出した。白川の隣にいるショートカットの女子が不服そうに、口を開く。

「サキ、香住くんとも撮ろうよー!」

「あ、そっか。ねぇ、葉月くん、大丈夫かな。香住くんも一緒に撮ってもらっても」

「お、おう。たぶん……ちょっと呼んでくる」

 疲労困憊気味の香住の顔がよぎったが、少しぐらいならいいだろう。

 俺はスタッフルームのカーテンを開けた。香住は眠たそうに机につっぷしていたが、おもむろに顔を上げた。

「香住、わりい。ちょっといいか」

「うん?いいよ、大丈夫」

 香住が出てくると、案の定、黄色い歓声が上がった。隣を取り合うように、女子達が香住を囲んでシャッター音が飛び交う。

「おい……!香住!」

「葉月くんはこっちね」

 香住を助けようとすると、ぐいっと腕を白川に捕まれた。そのまま俺に肩を寄せてくると、ウェーブがかかった髪からふわりと甘い匂いがした。こんな近くまで異性と接近したことなんて皆無だったので、体がガチンと硬直する。白川はそんな俺がおかしいみたいで、無理難題を言ってはケラケラと笑っている。自撮り棒をふりまわし、右へ左へといろんなポーズを撮らされた。

 さらには俺の腕に自分の腕を絡め、ぎゅっと抱きつくように身を寄せてきた。

「んじゃ、今度はハートポーズでお願いしまーす。今度こそ、葉月くん笑ってよー!」

「お、おい……いい加減に」
 
 もう一度、シャッターが切られたとき、ふと視線を外した。

 少し離れた場所に香住がいた。香住の周りはあんなに人がいるのに、寂しそうな顔で俺を見つめている。悲しみを秘めた瞳から、俺は視線をそらせない。

「サキ、やるじゃん!」

 香住と写真を撮りたがっていたショートカットの女子が、俺と白川を指さして「香住くん、うちらともあのポーズ、いい?」と尋ねた。

「うん。いいよ。僕で良ければ」

 すっと、香住は俺から顔をそらした。そして、いつもみたいに花が咲き誇るような微笑みで写真撮影に応じている。その笑顔に女子達がまた黄色い歓声をあげた。

(……なんだよ)

 その様子を見て、少しイラッとした。さっきまであんな顔してこっちを見てたのに、お前もヘラヘラ撮ってんじゃねぇか。

「葉月くん、ほら、次ラスト!」

 白川に肩を軽く叩かれて、俺も視線を戻した。

 こんなに近くにいるのに、香住との間には声をかけるのさえ躊躇うような距離を感じた。

(一組目からどっと疲れるな……)

 ひとしきり撮影会が終わると、客達はそれぞれのテーブルに戻っていった。白川にもみくちゃにされて、俺はすっかり疲れていた。複数のテーブルで営業スマイルを振りまいていた香住の凄さがようやく理解できる。
ため息をつきながら、俺は紅茶とマフィンを白川のテーブルまで運んだ。

「おまたせしました。熱いのでお気をつけてお召し上がりくださいませ……」

 白川は友達とスマホを見ながら、俺の口調や服装にまだキャーキャーと盛り上がってる。

「葉月くんって、執事よりボディガードっぽいよね。カッコいい〜!」

「サキ、ほんと、葉月くんのファンだね」

「……お前ら、茶、飲んだら帰れよ」

「はーい!うわっ、このお茶、めっちゃいい匂いするねー!ありがと、葉月くん!」

 ぶっきらぼうな俺の口調も白川たちは意に介さず、淹れたてのオレンジ・ペコとマフィンに夢中になっている。

「そうだ!葉月くん葉月くん!」

 しばらくして、別テーブルを接客していた俺を、白川が手招きした。チケットらしき紙を2枚取り出した。

「このあと後夜祭あるでしょ?ウチらバンドやるんだ!ほら、さっきの写真のお礼!香住くんと来てよ!」

 俺は一瞬言葉に詰まった。そういえば、白川と写真を撮り終わってから、香住の姿を見ていない。

「お、おぅ……ありがとな」

「じゃ、またね!執事、似合ってたよ!」

 白川は手を振って、店を出て行った。嵐のような奴だった。ふぅ、とため息をついて、空いたカップを片付けながら、フロアを見渡した。
 香住の姿を探したが、どこにも見当たらない。スタッフルームものぞき込んだが、そこにも姿はなかった。

「香住は?」

 俺が何気なく聞くと、接客を終えた杉田がやれやれといった顔をした。

「出てったよ。さっき」

「買い出しか?」

 杉田が俺をじっと見て、ため息をついた。

「……葉月、お前、もしかしてめちゃくちゃ鈍い?」

「……は?」

「俺は2人の友達だから、うまいことやれよとしか言えねぇけどさ」

 杉田はそれだけ言うと、肩をすくめてスタッフルームの奥に引っ込んでいった。

 俺はしばらくその場に立ち尽くした。

 訳が分からなかった。急になぜか「葉月くん、ってさ。誰にでも優しいんだね」と言ってた言葉を思い出した。寂しそうなあの横顔が、香住の不在が、妙に心をざわつかせた。

「どこ行ったんだよ……香住……」

 俺はネクタイを直して、フロアに戻った。