花もはじらう初恋を



 夏の夜が提灯で彩られ、楽しげなお囃子が町中に響いていた。

「お!葉月!こっち、こっちー!」

 チョコバナナとリンゴ飴を両手に持ちながら、杉田が人混みの中から声をかけてきた。杉田や数人のクラスメイトに混じって、香住の顔も見えた。
 制服姿しか見たことないから、香住の私服姿が新鮮に見えた。
 藍色のワイシャツを羽織っていて、ほっそりとした首筋が覗いていた。いかにも涼しげでよく似合っている。

「香住、戻ってたんだな」

「うん、昨日ね。葉月君も元気だった?」

「はいはい!お二人さん!勝手に盛り上がらないで!花火会場まで行きますよー!」

 和やかに挨拶をしようとしたのに、杉田に背中をおされて、俺たちはぞろぞろと歩き出した。

 花火会場までの道は屋台も並び、山車も通るため、すごい人だ。
 ラムネの瓶が氷水の中で涼しげな音を立てている。赤や黒の金魚が水に遊び、香ばしいソースの匂いが食欲を刺激した。
 射的だボールすくいだと、俺たちのグループも分散していき、次第に距離が離れていく。
 夜店の数々に興味を抱きながらのんびり歩いていると、次第に杉田たちとはぐれてしまった。

 まぁ、スマホもあるからいいだろう。目的地はどうせ同じだ。

「す、すいませ……うわ、わ!ご、ごめんなさい…!」

 後ろで香住の声が聞こえた。混雑した人混みの中で、なかなかうまく前に進めないらしい。
 俺と言えば、体がゴツいし、人相も悪いからだろう。トーテムポールみたいに立っているだけで、時々、ギョッと見上げられて勝手に避けられていく。

 周囲の人間に軽く接触する度に謝りながら、なんとか香住は俺の元にやってきた。

「ご、ごめん。葉月君、もしかして、待っててくれた?」

「ん。大丈夫だ。どうせ杉田たちとはあっちで会える。……人酔い、とかか?」

「そうかも。あんまり、慣れてないから。で、でも大丈夫」

 そんな会話をしてる内から、もう香住は額を押さえてヨロヨロしている。都会で迷子になったウサギのようだ。それでも一生懸命俺の後についていこうとする。しばらくは振り返って、ぴょこぴょこ顔を見せる香住の様子を気にしていたが、考え抜いた末、俺は、その手をつかんだ。

 ぐいっと引き寄せると、香住が前のめりに俺の体にぶつかった。

「ほら、こい」

「うわ!?は、葉月くん?」

「とりあえずしばらくはコレな。どうせ人混みじゃ見えないし」

 香住の手は握るとひんやりと冷たかった。男同士で嫌だろうな、と一瞬思ったが、香住は俯いたまま、こくんと頷き、ぎゅっと強く握り返した。

 繋いだ手のひらが、予想以上に小さくて柔らかい。
 指の関節が細くて、骨の感触が伝わってくる。
人混みの中で、香住の肩が時々俺の腕に軽く触れるたび、妙な熱が胸の奥に広がった。

……これは、ただの友達として手を繋いでるだけ……だったはず、なのに……

 急に気恥ずかしくなって、俺は黙り込んだ。香住も気まずそうに、耳に髪をかけて、夜店の方ばかり見ている。いつもは「葉月くん、葉月くん」と嬉しそうに植物の話をふってくるのに、変におとなしい。

 提灯のオレンジ色の光が、香住の横顔を柔らかく照らしている。いつもより少し頰が赤い気がする。
 夜風が通り抜けるたび、香住のシャツの裾がふわりと揺れて、華奢な鎖骨がちらりと見えた。

(……なんか、俺、やばいな)

 心臓が、普段より少し速く鳴っている。

 ただ香住を迷子にさせないための行動のはずなのに、指先から伝わる体温が、妙に香住を意識させてしまう。

 花火会場に近づくにつれ、人混みはさらに増した。それでも、俺と手をつないで歩いているからなのか、スムーズに歩けるようになってきた。

 提灯の下で、楽しそうな笛や太鼓が響く中、俺たちはしばらく黙って歩いた。

「……夏休み、どうだった?」

 口を開いたのは香住だった。

「ん。まだ課題が残ってるな。数学とか一冊まるまる」

「あはは、僕もまだ残ってるよ。来週、新学期だからマズいね」

「だな」

 そう答えて、俺は少しだけ息を吸った。

「あのな、野球部の試合、見に行ったんだ」

「……そっか」

 香住はそう答えると黙った。繋いだ手をしっかりと握りながら、香住が俺の言葉を待っていてくれるのを感じる。
 迷子になる香住を守るはずの手が、なんだか、素直になれるおまじないのような気がした。

「俺、こんな見た目だけどさ。本当はすごく弱い人間なんだ。野球も、友達作りも、なんか、その、他人任せなところがあった」

 怪我で心が折れたから、野球をやめてしまった。
 人見知りだから、怖い顔だからと人を遠ざけていた。

 ぜんぶ俺が選んだ生き方だった。

「だけど、香住に会えて……その、よくわかんねぇけど、ちょっとは変われる気が……してる」

 俺は香住の顔を見た。

「ありがとな、香住」

 香住が俺の言葉に笑って、首を横に振った。

「違うよ、葉月くん。ぼくは何もしてない。ただ、大好きなスミレの話をしただけだよ」

 香住が微笑んだとき、俺の背後でヒュー……と夜空を切る音がした。パァンと大きな破裂音がして、花火が上がる。
 大輪の花が大空に咲く度に、人々の歓声が上がった。
 しかし、ここではビルの影でよく見えない。足早に人々が花火会場へと急いで行く。
 人混みに取り残されたように、俺と香住は立ち止まっていた。

「わぁ、きれい……!」

 思わず、香住が感嘆の声を上げた。

 ビルに邪魔されて半分しか見えない花火の光が、香住の頬に映る。赤や、緑、金、と様々な色に咲いては散る一瞬の花。
 薄茶色の瞳もその光にきらきらと光っている。

 きれいだ、と思った。男に、友達に、そんなこと思うはずがないのに、花火に照らされた香住があまりにきれいで、目が離せない。

 一瞬で終わる夏の夜なのに、俺はこの日をずっとずっと忘れないだろう。そんな風に思った。