太陽と狐は「 」をする

***



「ん、どーぞ」



 ぽん。と灯の手に缶が置かれる。それは今まで飲んだこともないような炭酸飲料だった。
 ここは何処だろうか。
 初めて来る公園のような場所。そこの人目につきにくい木陰の下に灯は座り込んでいた。



「アンタが好きなもん知らんから俺の好きなものにしたで。それでええよな?」

「ええ、別に構わないけど……」

「なんや言い淀んで」

「……ただ、危険を犯してまで私を連れ出す必要はあったのかと思って」



 やはり信じられない。
 神子を誘拐したとなれば極刑は避けられないだろうし、さらに妖と神の溝を深める結果となるだろう。
 助けてくれたとしても、そんな自己犠牲前提の救済なんてするくらいならやめておけばよかったというのに。



「……あのなぁ、これは俺の矜持やねん。
 恩を返すっていうプライド。
 それに、欲に負けて自分の願いを言ったのはアンタやろ。
 なら、諦めて何がしたいか考えとき」

「うっ……」



 そうだ。たった一つの可能性に賭けてその手を取ったのは灯なのだ。それを指摘されれば何も返せない。

 黙り込んで缶を開ける。プシュッと炭酸の弾ける音を聞いて喉に流し込めば、初めて体験する刺激が喉を通過した。
 痛くてピリピリするけれど、美味しくて何処かクセになる飲み物。そんなものは初めてで、ゆっくりだけれど止まらずに飲んでいた。



「お、気に入ってくれたんやな」

「美味しい……っ!」

「あっはは、そりゃ良かったわ」



 笑い声をあげながら男は灯を見つめる。先ほどから周りを物珍しく眺める灯を、まるで自らの子のような瞳で見つめてくるのだ。



「そんで、お嬢さんは何がしたいん?」

「えっ……」

「自由って言われてもようわからんわ。
 ノリと勢いで家出してきたけど、これでよかったん?」



 そう言われればそうだ。あまり考えたこともなかった。
 ただ、小説で見た人物達は寄り道をしたりお菓子を食べたりする生活を送っていたし、友人なんかもいた。そんなふうにしてみたい。
 そんな願望を拙くとも伝えていれば、少し顔を顰めて男は返答する。



「ん〜、アンタちょっと有名すぎるわこの国やと。
 多分既に行方不明とかで人相書きが出回っとるやろうし、秘匿っちゅうんは難しいわ」

「そう……ならしょうがないわね。
 難しいことを要求してごめんなさい」



 神子たる者が自由を求めるだなんて、やっぱり間違っているのかもしれない。自由をなくしてでも国のために一生を捧げるのが、灯の役目だったのかもしれない。
 そう思っていれば、目の前に一つの冊子が置かれた。



「ま、この国やったら、やけど?」

「え……?」



 置かれていたのは隣国、日ノ本の旅行用ガイドブック。どこから出したのかとか、なぜ持っているのだとか聞きたいことは色々とあったが、男の真意をなんとなく察してしまい、少し顔から血の気が引いた。



「あの、これ、もしかして」

「うん、国外逃亡やで」

「ひえっ……」



 やはり実際に突きつけられると驚いてしまう。当たり前だ、今まで国外どころか一人で家から出たことすらなかったのだから。



「俺がここまで色々考えてるんや、わかっとるよな?」



 返事は『はい』のみだと言外に示してくる瞳は、やはり恐ろしいほどに美しい。それでも、それを信用してここまで来てしまったのは灯なのだ。

 こくり、と小さくうなずく。それを見て男は灯と同じく地面に座り込んで満足そうに微笑んだ。



「俺の名前は魅狐葵。東の隠れ里に住む妖狐や。
 好きに呼んでくれて構わへんで」



 男は灯の名前を知っていたようだが、灯は男の名前を知らなかった。それが男の意図するところだったのかはわからないが、少なくともこの機会に彼が自分の名前を出したという事は、天照灯という女は、彼が名前を明かすのに相応しい存在だったのだろう。
 魅狐、葵。その美しい文字列を、灯は頭の中で何度も唱える。
 そして、柔らかく微笑んだ。



「私は天照灯。よろしく、葵さん」

「こちらこそよろしく頼むわ。
 あ〜……トモちゃん、でええ?」

「……ふふっ、ええ、勿論」



 葵の呼び方に少し驚く。トモちゃんなんてあだ名をつけられたのは初めてだったから。
 でも、決して不快ではない。
 それも、今まで灯が体験していなかったこと、体験できなかったこと、そのうちの1つなのだ。
 今の灯は、天照家の娘でも神子様でもない、彼の言うただ1人の『トモちゃん』でしかない。


「さ、行きましょう。早く!」

「はいはい。急に元気になるやん……
 足元気をつけや〜!」



 呆れたように笑って追いかける葵なんて、今の灯の目には入っていない。
 ただただ今からの日々が楽しみで楽しみで、仕方がないのだ。