太陽と狐は「 」をする

「あ、朝……」



 ぱちり、と灯の目が開く。
 カーテンを開けば外はまだ薄暗く、庭の草木には霜が降っていた。
 時間は午前四時。普段の起床時間が六時であるから、かなり早い時間だ。
 起きたのだから顔を洗わなければと思い、灯は部屋にある洗面台の前に立つ。
 鏡に映った自分の顔を眺めながら顔を洗い、髪を整える。
 目元にあった涙の跡も、綺麗さっぱり消えてしまった。



「……散歩でも、しようかしら」



 早く起きたものの特にすることはない。
 ただ、灯は朝が好きだ。朝日に輝く草木を庭から眺めるのが好きだった。
 庭の東側に広がる池と、側に置かれた一つの椅子。そこから眺める景色がとても美しく、早く目が覚めた時はそこに行って景色を眺めることが多かった。
 それは今日も同じである。

 長い髪の毛を小さくまとめて、裏口に隠しておいた靴を取り出す。
 バレないように静かに扉を開ければ、冬の始まりを感じる冷たい風が頬に触れた。
 いそいそとお気に入りの場所に向かう。床の砂利が心地の良い音を鳴らし、聴くたびに心が安らいだ。



「着いたっ……あれ?」



 目的地が見えた時、ふと言葉が止まった。
 それはその場所に先客がいたからに他ならない。客と言っていいのかはわからないが。

 ふわふわと輝く白銀の毛並み。
 体長は五十センチ程度だろうか。丸まっているから、さらに小さく見える。

 そこにいたのは——一匹の狐だった。



「……触っても、いいかしら?
 でも、なんでこんなところに……?」



 好奇心が疼いた。
 もともと灯はふわふわしたものや可愛いものが好きである。お気に入りのペンにもそういったストラップが付いているほどだ。
 だからこそ、目の前に素晴らしいふわふわがあるのに触らないなんてとても難しかった。
 ただ、それ以上に興味を持ったのは目の前の狐がどこからやってきたからについてだ。

 天照家は君主の家。だからこそ、こういった野生動物の侵入を防ぐために色々と工夫がされているはずだ。
 結界の歪みでもあったのかもしれないな、と考える。



「ンン……ングゥ」

「あら、うなされてる……のかしら?
 ちょっと失礼するわね……あら」



 眠っている狐が少しうなされているように感じた灯は、狐の足を持ち上げる。
 そこには、赤黒い切り傷があった。
 その部分だけ毛が赤く染まっており、内側まで怪我をしている。
 もしかしたら屋敷内の罠か何かで怪我をしてしまったのかもしれないと思った灯は、自分の着ていた上着を一枚脱いだ。

 冬の朝。上着の下は部屋着であり、薄い生地は冷たい空気をよく通し、ひんやりとした冷気が体にまとわりつく。
 ただ灯にとって大切なものは上着よりも目の前の小さな命。痛々しい火傷跡に触れないように上着で狐を包んで抱き抱え、灯は静かに部屋へと戻っていった。
 


「狐に人間用の傷薬って使っていいのかしら……?!
 えっと、ガーゼは確かここに……」



 今まで使ったこともなかった救急箱を取り出し、四苦八苦しながら狐の治療をする。
 途中で薬を溢したりガーゼを破いたり包帯を変に巻いたりとトラブルはあったものの、ある程度は処置できたのではないかと灯は胸を撫で下ろす。
 狐はすやすやと寝息を立てており、この調子ならもうすぐ目を覚ますだろう。



「よし、これでよし……って、もうこんな時間?!」



 時計を見れば、五時四十五分を回っている。
 あと十五分足らずで侍女が来てしまう。この子をどうやって隠そうかと灯は焦りながら考えた。



(可哀想だけれど……こうするしかないわよね)



 未だ眠っている狐をそっとベッドの下に隠す。
 人に見られたくないものはベッドの下だと、青春小説で読んだ気がしたからだ。
 そして救急箱を片付け、上着を戻し、自分が何をしていたか探られないようにする。



(そういえば、目を覚ましたら外に出ていく必要があるわよね……窓を開けておいた方がいいかしら)



 そんなことを思い立って、部屋の一番大きな窓を開く。
 その後と同時に、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。



「おはようございます、神子様……
 本日は随分とお早い起床ですね」

「え、ええ。なんだか早くに目が覚めてしまって」

「窓を開けてどうしたのですか?」

「それは……ちょっと、風を感じたくて」

「そうですか……
 落ちないようにお気をつけください」

「わかっているわ。ありがとう」



 神子として相応しい振る舞いを心がけ、美しい笑顔を向ける。
 侍女はいつもの通り頭を下げ、『もう洗顔が終わっていますので』と灯の髪を結う。
 おくびにも出さない心の内では、例の狐が勝手に出たり鳴いたりしないか気が気でなかった。



 その後、部屋着から普段着に着替え、朝餉をいただく。
 今日は親族のいない一人だけの食事だった。
 主菜は稲荷寿司。口でゆっくりと咀嚼していれば、灯はあることに気がついた。
 稲荷寿司といえば稲荷……つまり狐の好物だ。
 もしかしたらあの子も食べてくれるかもしれない。



(ばっ、バレないようにしなきゃよね……!)



 灯はこっそり袖の中に稲荷寿司を一つ隠す。
 指摘された様子もないから、おそらく気づかれていない。

 人に隠し事をするというのはかなり大変だし、こんなにも大きな秘密を持ったのは初めてかもしれない。
 外に散歩にいったり、狐を連れてきたり、ご飯をくすねたり。
 ただ、それも己が憧れた“普通”なのだとしたら——

 不思議と、悪い気はしなかった。