太陽と狐は「 」をする

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「おやすみなさいませ、神子様」

「おやすみなさい」



 勉強やその他一日で必要なことを終わらせて時計を見れば、時間は夜9時を回っている。
 就寝として侍女もいなくなり、部屋には灯一人が残った。



「今日は……やっぱりこれよね」



 そろりそろりとベットから降りて、側にある本棚に向かう。
 いそいそと本棚の裏側にある隠された隙間から出したのは、舶来品である小説。数ヶ月前に商人から自費で買ったもので、叔母はこれを灯が所持していると言うことは知らない。

 天泉之国が開国して以来、以前に増して海外から小説や文学が輸入されるようになった。
 その中で灯が持っているのは、世間でも評判な青春小説。
 同じ学校に通う三人の少女が、様々な経験を通して友情や恋を紡いでいく物語だ。
 続きがあるというのに一巻しか持っていないからキリが悪いし、自作のブックカバーの一部がほつれてしまうほどに読み返している本だが、全く飽きがこない。

 様々な文明や制度が輝くと言われる外国に対して、この国では未だに年功序列や立場による差別があり、それに逆らえずに生きている。無論、灯もだ。

 でも、この小説の中に出てくる少女達は、それぞれ自分の思いを持ち、それを誰かに伝えることができる。自分の思いのために、自ら動くことができる。



「……いいなぁ」



 それが、ただただ羨ましく、憧れだった。

 世間一般的に見て、灯はかなり裕福な立場にいると言えるだろう。
 栄養バランスが整い、毒味も済まされ、旬の食材もふんだんに使われた食事。
 広々としている大浴場だけでなく、最高級のケア製品やスキンケア用品をたった一人で扱うことのできる入浴。
 ふわふわで、どんなに疲れていてもすぐに寝られる寝具。
 最高級の家庭教師をつけられ、家から出ずとも最高峰の授業を、それもマンツーマンで教えてもらえる。

 普通の人だったら、正に憧れだろう。ただ、灯はそうは思わない。

 常に親族からマナーに関する厳しい視線に晒され、まともに味を味わうことすらできない食事。
 大勢の使用人に見られ、途方もないほど大量のスキンケアを正しい順序で使わなければならない、一切休まらない入浴。
 起床から就寝まで時間を指定され、時間通りに生きればプライベートな時間などありもしない生活。
 学校に行くこともなく、必要な学のみを入れることに専念された教育。

 それから感じ取られるのは、正に周りからの期待と願望。それを完璧に遂行しなければならなかった。

 でも優秀な成績を収めても周りの人が言うのは『流石神子様!』

 これは神子だからなんかじゃないのに。
 努力をした結果なのに。



『私を見て。
 神子なんかじゃない、ただの天照灯を』



 誰も知らないし知ることのないだろうその本音は、口に出さないまま心の中に押し込める。

 神子なんて立場はいらない。
 貧しくてもいい、無能でもいい。
 それでいいから、
 小説に出てくる少女達のように放課後に寄り道をしてみたい。友人だけで遊びに行ってみたい。お泊まり会なんかもしてみたい。文化祭のようなイベントで一致団結してみたり、一緒に回ってみたりしたい。
 叶わなくてもいいから、儚い恋だってしてみたい。

 今の灯では決して叶わないそれを、できるなら全部やってみたい。



「自由に、なりたい……」



 心からの願い。願望。それが灯の口から漏れ出した。
 出てきた言葉を理解して、咄嗟に口を押さえる。

 嗚呼、なんて酷い女なんだろう。将来この国を背負わなければいけない女が、この立場に負担を感じるだなんて。自分に今までかけられてきた愛。期待。それを全部無碍にする、何よりも酷いことじゃないか。

 そんな自己嫌悪が頭を駆け巡る。

 期待が息苦しい。
 愛してもらったお返しをしなければ。
 役割なんて散々だ。
 それが私の人生じゃないか。
 なら私の人生って一体何?

 自問自答を繰り返す。
 繰り返すたびに、代わりのきくこの人生、この役割が嫌になる。



「……もう、寝よう」



 これ以上考えるのは良くない。そう感じた灯は電気を消して布団に潜り込む。
 顔を触れば、指に冷たいものが触れる。涙だった。



(いつのまに泣いていたんだろう……)



 心当たりは沢山ある。でも、目を逸らして瞳を閉じた。

 本棚に雑に仕舞い込んだ文庫本。毎日飽きずに読んでいたその本を、その日灯は初めて読まなかった。