太陽と狐は「 」をする


「あっ……!」



 机の上に置かれた学習用具が、音を立てて崩れ落ちる。
 崩れ落ちた原因は、(トモリ)の腕が当たったから。
 周りを注意していなかった故の失態だ。



「お拾いいたします」

「大丈夫よ。すぐ拾うわ」



 拾おうとする使用人を止め、慌てて椅子から降りようとしたその時。



「そんなことはしなくて宜しい」



 後ろから聞こえたのは凛とした冷たい声だった。



「叔母様……」



 立っていたのは灯の叔母。
 幼い頃に両親を亡くした灯を引き取り、本家の娘として厳しく育ててくれた、いわゆる育ての親である。



神子(ミコ)様、貴方自分の立場をわかっているの?
 神子である貴方が自分から汚すような事をすれば、
 周りから舐められるのは当たり前。
 貴方は選ばれた神なの。それを弁えなさい」

「……」



 叔母の話に、反論も説明もせずに黙り込む。
 義理の娘として灯も叔母に感謝はしているし、嫌っているわけではない。
 ただ、叔母が発した“神子様”という単語を聞いて、もう嫌だと思ってしまったのだ。

 神子様。それは灯の名前ではない。
 この天泉之国において、いずれ一族を象徴する神の名を引き継ぐ者の総合的な呼び名。

 さらりと切り揃えられた長髪は控えめでありながらも決して地味とは言い難く、太陽の光を浴びればまるで夜明けのような色味を映し出す濡羽色。
 太陽を埋め込んだような黄金色の瞳は全てを許容する女王たる美しさを持ち、髪と合わせることにより一層際立つ。

 少女の本名は天照(アマテラ)(トモリ)
 由緒正しき神々を取り纏めこの国を治める最上の神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)を受け継ぐ“天照家”の娘であり、次期【天照大御神】でもある少女だ。


 一般的に一族を象徴し始祖とされる神の名を受け継ぐ神は家ごとに独自の掟があり、その中で一族の子が競う。
 舞踊であったり、頭脳であったり、武道であったり。
 それぞれの神に最も相応しい能力を持つ者が、己の始祖とされる神、原初の神の名を継ぐことが許されている。


 ただ、天照家で絶対的な判断基準とされているものはたった二つ。


【天照家本家・分家を含む全ての血筋の内、
 最も“神力(シンリキ)が強い” “女子”であること】


 女子である理由。これは言うまでもないが、天照大御神が女神であったからである。

 では神力とはなんなのか。

 神力とは神の権威。
 神力が強い神には逆らえず、また神力の強さによって使える神術(シンジュツ)の効果が変わる。それは世界の始まりに生まれたとされる神々の血が濃ければ濃いほど強まるとされており、神力が強い神は位の高い神であるという証明にもなる。

 故に、この国において神力は圧倒的なステータスなのだ。

 それを優先に考えているのだから、神々を纏める天照家としては間違っていないし、実際に二千年以上の間、この決まりによって選ばれた数多の天照大御神が国や周辺国家と関わってきた。

 これは天照家の絶対事項であり、何人たりとも破ることは許されない。

 そして、その掟に則って選ばれた次の天照大御神こそ、天照灯その人だったのである。



「誠に申し訳ありません、叔母様」

「謝らない! 謝れば舐められてしまうわ」

「はい、承知致しました」



 指導者たる者、謝ってはならず、頼ってはならず、弱音を吐いてはならない。
 しかし、奢ってもならず、差別をすることも許されない。
 神であるなら、指導者であるなら、そうあらなければならない。

 それは、灯が神子になってから常に言われ続けてきた言葉だった。



(わかっているけれど……)



 叔母が灯のことを思って発言しているのは百も承知だ。
 これでも十数年を共にしてきているのだし、真意なんて手に取るようにわかる。
 姪が天照大御神として大成できるように、侮られたり苦しんだりすることのないように。決して恨みつらみではなく、思いやりと愛を持って話しているのだ。

 それはわかる。わかっている。
 それでも、その愛と期待が息苦しかった。



「……時間を裂かせてしまって悪かったわ。
 勉学に励みなさい」

「わかりました、叔母様」



 叔母が消えて、静寂が戻る。
 灯は小さく溜息をついてから、後ろに控えている己の侍女の元へ振り向き、伝えた。



「……学習用具を落としてしまったの。
 拾っていただける?」

「はい、承知いたしました」



 動いたのは、灯が神子に選ばれた時からそばにいる灯専用の侍女。

 神子に選ばれたのが灯が十の時のはずで、もうすぐ灯が十六を迎えることを考えればもう五年以上の付き合いにはなるだろうか。
 だというのに、灯は彼女の名前を聞いたことがない。それだけではない。好物も趣味も出身も年齢も、なんの神かすら灯は知らない。

 常に側に立ち、灯が何か願えばそれを叶える。必要以上の会話や雑談はしない。
 叔母は『神子への忠誠心に溢れた素晴らしい従者よ』と言っていたが、灯にとってそれは、“余計なお世話”というものなのだ。

 願わくば、歳が近いのだから話してみたい。名前を知りたい。心を許せる友人になってみたい。

 生まれてこの方、灯には友人らしい友人がいなかった。
 神子同士の交流会は時折開かれるものの、皆が誰かのスキャンダルや噂話、陰口で盛り上がっている。灯はそういったものは疎いし苦手だ。
 それに加え、天照家の次期神子の気を損ねれば家が取り潰しになるなどと言う、根も葉もない噂が飛び交っているせいで、話しかけてくる人もいない。

 灯は孤独だった。
 “孤高”だなんて言わないでほしい。ただ、寂しい。

 そんな寂しい過去と現在に思いを馳せていれば、気づいたころには机の上に道具が丁寧に戻されていた。



「……とりあえず、これだけやっちゃいましょ」



 精神を集中させるように、一つ深呼吸。
 お気に入りの白いふわふわのついたペンを取って、灯は再び教科書に向かった。