***
「体、本当に大丈夫? 変わるって言ったのに……」
「大丈夫やから。てか、女の子に床で寝させるのは俺が嫌や! 同じ部屋ってだけで申し訳ないっちゅうに……」
「そういうもの……?」
日ノ本某所、宿屋。朝、バキバキに固まった身体をほぐしている葵と、朝飯を食べながら彼と話す灯。
なぜこのような会話が繰り広げられているのか。それは前日、二人が夕日を見た後に遡る——
***
「やっべ、トモちゃんの分宿取ってへんかったわ……」
何やら顔を青くした葵がそう言ってきたのは、日もしっかり沈み、さあどこで寝ようかという時のことだった。
「この時間から別の宿は取れへんやろし、野宿はようない……やってしもたわ……」
「葵さんが取ってる宿はあるの?」
ずーんと項垂れる葵に対して、灯はこてりと首を傾げて返す。
「あるけど、狭い一人部屋やから。流石に嫌やろそんなん」
「そう? 私は別に床でもいいけれど……雨風が凌げるだけ御の字だし」
「えっ」
マジかこいつ……と言わんばかりの視線でこちらを見つめる葵に対して、灯は少し頬を膨らす。
灯はあくまで葵の旅に着いてきているお荷物だと自認しているのだが、対する葵は恩返しの旅であると思っている上に、相手が年頃の少女と思って接しているのだ。
認識の根本が違うのだから、意見が食い違うこともあるだろう。
かなり灯が図太い性格であるということも関係しているかもしれないが。
「それか葵さんだけでも部屋で……私は適当な場所で野宿でいいから」
「いやいやいや、アンタ阿保か! どこに自分がだけぬくぬくして恩人を、しかも娘を外に放り出す奴がおんねん!! アンタもそうや、そう自分を安売りしちゃあかん!」
「いや、でも迷惑を」
「迷惑な訳ない! ええからハイかYESと言う!」
「い、いえす……?」
目を吊り上げて叱ってくる葵の気迫に押され、あまり理解しないまま了承の声を出す。
その空返事を聞いた上で、うん、と満足そうに葵は笑った。
「ただ俺が床で寝ればええやんな。成る程……トモちゃん俺と同じ部屋でええの? ほんまに?」
「も、勿論……本当に、私に寝具を譲っていいの?」
「いいに決まっとる! トモちゃんはもうちょい我儘言うのを覚えな!」
呆れ半分、怒り半分といったところだろうか。それでも本心では灯のことを思っているようで、その翡翠の瞳の中には暖かな慈しみを感じた。
何処かで、この瞳を見たことがある気がする。
(あ、叔母様だ……)
ふと脳裏に浮かぶ顔。彼の声や態度に感じていた既視感が、記憶の中で繋がった。
自分を厳しくも神子という立場へ導いてくれた親族。叔母は神力が強く成長してすぐ本家に引き抜かれたと聞いたから、灯の母との関係はあまりなかったのだろう。
だと言うのに彼女は灯を育ててくれた。
そうだ。彼の瞳は、時折気づかれないように遠くから向けてきた、叔母の包み込むような瞳と同じだった。
その暖かさを、すっかり忘れていたのかもしれない。
「……なんや、まじまじと見て。拝観料徴収すんで」
「ううん。い、行きましょう!」
「あいよ! あと、布もう取ってもええで」
「え、いいの?!」
もっと早くに言ってほしい! 視界は狭まるし蒸れて暑いしで、冬の今だからいいが夏だったら倒れていると思う。
「だったらこれを掛け布団にすれば葵さんに毛布を回せるね」
「やーかーらー!!!!」
自分を優先しろ! とまた怒りをあらわにする葵についていきながら連れてこられた。
***
……というのが、ものごとの粗筋である。
実際は顔見知りの女将に葵が女を連れてきたとデジャヴを感じる展開になったり、どっちが寝具を使うかまた論争があったりと、あと一、二悶着くらいあったのだが割愛させていただく。
結果としては納得した(させられた)灯がほぼ全ての寝具を使い、葵が床で眠ったのである。
「さーて、何処いく?」
床にずらりと並べられたガイドブック。葵はそれを取捨選択しながら灯の腕に乗せていった。
「いや、あのっ、ちょっ……というか、ここは日ノ本の何処なの?」
どんどんわんこそばのようにテンポ良く乗せられていく。そのずしり、という重さを慌てながらも何とか地面に置いた上で、灯が聞き返した。
観光スポットなるものには詳しくないが、歴史や地理に関しては授業の成果もありそれなりに詳しいという自負があるからである。
「此処は政宮・東都。説明は不要やろ?」
「成る程ね。勿論」
日ノ本という国の首都は“四つある”。
帝……つまり皇帝史上主義を是とする根本に基づいた上で、各所にて決められた使命を果たすためだ。
行政を行う“政宮・東都”
立法を行う“法宮・北都”
司法を行う“憲宮・南都”
そして最高権力者である帝が住まう“帝宮・西都”
この四つの首都が存在する。
……というのが、灯がこれに関して知っているものである。
「はえー、そんなんあるんや」
「逆に知らなかったの?!」
「だってそんなん知る必要ないし、名前だけ知っとればええやろって」
「えぇ……」
「ま、次は俺が説明する番やな」
国の中心は紛れもなく西都。主君が鎮座し、ほぼ全ての華族は此処に住まわっている。
しかし面白さ、目新しさというものを求めるのであれば、ここ東都が最も良い。
大海原に面する港がすぐ近くに存在し、数多の船が行き来し舶来品も多く入り込む。その街並みは文明開花の息吹を感じさせていながらかつての和の空気を保ち、いわゆる“ハイカラ”な物や人が多い。
日ノ本という国の最先端が集まり、今も尚進化を続ける街。
それが、東都という場所なのである。
「そうなの……この宿にベッドがあるのも此処が東都だからなのかしら」
「そうかもな。個人的にベッドの方が嬉しいわ」
「わかる。なんかこう、ふわふわしてて……」
思いもよらぬ寝具談義に花を咲かせる。
そんな時、そういえばと、思い出したように葵が告げた。
「トモちゃん、せめて髪型変えへん? それ長いし目立つから括るとか」
「確かに……いつもは結ってもらってたけど、できないとなると邪魔になるわね」
「あっち向いてな。やってあげるわ」
「本当!」
何処からかヘアゴムを取り出した葵は灯の後ろに座り、黒く長い彼女の髪を結い始めた。
いつもとは違う感触に楽しさを感じる。
「髪、結えるのね」
「浅葱の髪、たまにやらされてたねん」
「あの人長いから、大変そう」
「大変に決まってるやろ! 一回ムカついて頭から水ぶっかけてやったわ」
「あらあら……あとは? 何かあった?」
「それよりトモちゃんはなんかあるん? 気になるわ」
「そんな話せることはないの思うのだけれど……あ! そういえばまだ十歳くらいの頃にね——」
束の間の、穏やかな時間。
思い出話や今の話、これからしたいこと。
全てを柔らかく話していた気がした。
「よし! こんなもんやろ」
「……綺麗!」
バシンと背中を叩かれて覚醒する。
集中すると葵は静かになる性分のようで、静かな空間でじっとしていたら、だんだんと瞳が重くなっていたからである。
そして髪。鏡の前へ行ってみた灯の姿はいつもとはまるで違った。
普段は顔に近い方を少し結んだり髪飾りをつける程度だったのだが、今は編み込まれた髪が後ろで括りあげられ、長い髪が小さくおさまっていた。
普段感じない襟足への風が、体をひんやりと冷やす。
「こんなの初めて。ありがとう!」
「どーいたしまして」
笑って感謝を伝えれば、葵はまた、小っ恥ずかしそうに目を逸らす。
日はすっかり登って、ぴぃぴぃと鳥が鳴いていた。
「体、本当に大丈夫? 変わるって言ったのに……」
「大丈夫やから。てか、女の子に床で寝させるのは俺が嫌や! 同じ部屋ってだけで申し訳ないっちゅうに……」
「そういうもの……?」
日ノ本某所、宿屋。朝、バキバキに固まった身体をほぐしている葵と、朝飯を食べながら彼と話す灯。
なぜこのような会話が繰り広げられているのか。それは前日、二人が夕日を見た後に遡る——
***
「やっべ、トモちゃんの分宿取ってへんかったわ……」
何やら顔を青くした葵がそう言ってきたのは、日もしっかり沈み、さあどこで寝ようかという時のことだった。
「この時間から別の宿は取れへんやろし、野宿はようない……やってしもたわ……」
「葵さんが取ってる宿はあるの?」
ずーんと項垂れる葵に対して、灯はこてりと首を傾げて返す。
「あるけど、狭い一人部屋やから。流石に嫌やろそんなん」
「そう? 私は別に床でもいいけれど……雨風が凌げるだけ御の字だし」
「えっ」
マジかこいつ……と言わんばかりの視線でこちらを見つめる葵に対して、灯は少し頬を膨らす。
灯はあくまで葵の旅に着いてきているお荷物だと自認しているのだが、対する葵は恩返しの旅であると思っている上に、相手が年頃の少女と思って接しているのだ。
認識の根本が違うのだから、意見が食い違うこともあるだろう。
かなり灯が図太い性格であるということも関係しているかもしれないが。
「それか葵さんだけでも部屋で……私は適当な場所で野宿でいいから」
「いやいやいや、アンタ阿保か! どこに自分がだけぬくぬくして恩人を、しかも娘を外に放り出す奴がおんねん!! アンタもそうや、そう自分を安売りしちゃあかん!」
「いや、でも迷惑を」
「迷惑な訳ない! ええからハイかYESと言う!」
「い、いえす……?」
目を吊り上げて叱ってくる葵の気迫に押され、あまり理解しないまま了承の声を出す。
その空返事を聞いた上で、うん、と満足そうに葵は笑った。
「ただ俺が床で寝ればええやんな。成る程……トモちゃん俺と同じ部屋でええの? ほんまに?」
「も、勿論……本当に、私に寝具を譲っていいの?」
「いいに決まっとる! トモちゃんはもうちょい我儘言うのを覚えな!」
呆れ半分、怒り半分といったところだろうか。それでも本心では灯のことを思っているようで、その翡翠の瞳の中には暖かな慈しみを感じた。
何処かで、この瞳を見たことがある気がする。
(あ、叔母様だ……)
ふと脳裏に浮かぶ顔。彼の声や態度に感じていた既視感が、記憶の中で繋がった。
自分を厳しくも神子という立場へ導いてくれた親族。叔母は神力が強く成長してすぐ本家に引き抜かれたと聞いたから、灯の母との関係はあまりなかったのだろう。
だと言うのに彼女は灯を育ててくれた。
そうだ。彼の瞳は、時折気づかれないように遠くから向けてきた、叔母の包み込むような瞳と同じだった。
その暖かさを、すっかり忘れていたのかもしれない。
「……なんや、まじまじと見て。拝観料徴収すんで」
「ううん。い、行きましょう!」
「あいよ! あと、布もう取ってもええで」
「え、いいの?!」
もっと早くに言ってほしい! 視界は狭まるし蒸れて暑いしで、冬の今だからいいが夏だったら倒れていると思う。
「だったらこれを掛け布団にすれば葵さんに毛布を回せるね」
「やーかーらー!!!!」
自分を優先しろ! とまた怒りをあらわにする葵についていきながら連れてこられた。
***
……というのが、ものごとの粗筋である。
実際は顔見知りの女将に葵が女を連れてきたとデジャヴを感じる展開になったり、どっちが寝具を使うかまた論争があったりと、あと一、二悶着くらいあったのだが割愛させていただく。
結果としては納得した(させられた)灯がほぼ全ての寝具を使い、葵が床で眠ったのである。
「さーて、何処いく?」
床にずらりと並べられたガイドブック。葵はそれを取捨選択しながら灯の腕に乗せていった。
「いや、あのっ、ちょっ……というか、ここは日ノ本の何処なの?」
どんどんわんこそばのようにテンポ良く乗せられていく。そのずしり、という重さを慌てながらも何とか地面に置いた上で、灯が聞き返した。
観光スポットなるものには詳しくないが、歴史や地理に関しては授業の成果もありそれなりに詳しいという自負があるからである。
「此処は政宮・東都。説明は不要やろ?」
「成る程ね。勿論」
日ノ本という国の首都は“四つある”。
帝……つまり皇帝史上主義を是とする根本に基づいた上で、各所にて決められた使命を果たすためだ。
行政を行う“政宮・東都”
立法を行う“法宮・北都”
司法を行う“憲宮・南都”
そして最高権力者である帝が住まう“帝宮・西都”
この四つの首都が存在する。
……というのが、灯がこれに関して知っているものである。
「はえー、そんなんあるんや」
「逆に知らなかったの?!」
「だってそんなん知る必要ないし、名前だけ知っとればええやろって」
「えぇ……」
「ま、次は俺が説明する番やな」
国の中心は紛れもなく西都。主君が鎮座し、ほぼ全ての華族は此処に住まわっている。
しかし面白さ、目新しさというものを求めるのであれば、ここ東都が最も良い。
大海原に面する港がすぐ近くに存在し、数多の船が行き来し舶来品も多く入り込む。その街並みは文明開花の息吹を感じさせていながらかつての和の空気を保ち、いわゆる“ハイカラ”な物や人が多い。
日ノ本という国の最先端が集まり、今も尚進化を続ける街。
それが、東都という場所なのである。
「そうなの……この宿にベッドがあるのも此処が東都だからなのかしら」
「そうかもな。個人的にベッドの方が嬉しいわ」
「わかる。なんかこう、ふわふわしてて……」
思いもよらぬ寝具談義に花を咲かせる。
そんな時、そういえばと、思い出したように葵が告げた。
「トモちゃん、せめて髪型変えへん? それ長いし目立つから括るとか」
「確かに……いつもは結ってもらってたけど、できないとなると邪魔になるわね」
「あっち向いてな。やってあげるわ」
「本当!」
何処からかヘアゴムを取り出した葵は灯の後ろに座り、黒く長い彼女の髪を結い始めた。
いつもとは違う感触に楽しさを感じる。
「髪、結えるのね」
「浅葱の髪、たまにやらされてたねん」
「あの人長いから、大変そう」
「大変に決まってるやろ! 一回ムカついて頭から水ぶっかけてやったわ」
「あらあら……あとは? 何かあった?」
「それよりトモちゃんはなんかあるん? 気になるわ」
「そんな話せることはないの思うのだけれど……あ! そういえばまだ十歳くらいの頃にね——」
束の間の、穏やかな時間。
思い出話や今の話、これからしたいこと。
全てを柔らかく話していた気がした。
「よし! こんなもんやろ」
「……綺麗!」
バシンと背中を叩かれて覚醒する。
集中すると葵は静かになる性分のようで、静かな空間でじっとしていたら、だんだんと瞳が重くなっていたからである。
そして髪。鏡の前へ行ってみた灯の姿はいつもとはまるで違った。
普段は顔に近い方を少し結んだり髪飾りをつける程度だったのだが、今は編み込まれた髪が後ろで括りあげられ、長い髪が小さくおさまっていた。
普段感じない襟足への風が、体をひんやりと冷やす。
「こんなの初めて。ありがとう!」
「どーいたしまして」
笑って感謝を伝えれば、葵はまた、小っ恥ずかしそうに目を逸らす。
日はすっかり登って、ぴぃぴぃと鳥が鳴いていた。

