穏佳は、どっと疲れた気持ちで夕食を取った。
まさか、自分がこんなにがっつり怪異に、しかも七不思議に関わることになるとは思わなかった。
(寮長として、良くないことなのはわかってる。だけど、芽吹を一人で関わらせるわけにはいかない)
明倫学園の七不思議は命に係わるかもしれないほど危険な怪異だ。
学園内を飛び越えて一般的に広まるほど有名になっている。
その七不思議を作った怪異に関わるなんて、危険でないわけがない。
(寮長として、生徒を守るためだ。芽吹だって、寮生で学園の生徒なんだから)
寮長は寮生を守る義務があるから。
そう、自分に言い聞かせた。
(それだけだ、それだけ……)
詩歌に抱き付かれた時の温もりと、背中に触れた感触を思い出す。
(あんなにしっかり触れたのは、初めてだな)
ずっと遠くから眺めるしかできなかった温もりに、初めて触れた。
自分の手を見詰める想いに、ドキリとして首を振った。
(何を考えているんだ。これから一緒にいる時間だって長くなるのに、こんな気持ちじゃ……)
こんな気持ちだったら、何だというのだろう。
自分は詩歌をどう想っているのだろう。
すぐ近くにある答えから、穏佳は目を逸らした。
(色々考え過ぎて、夕飯は進まなかったな)
小さく息を吐く。
穏佳にとっては怪異より、詩歌のほうが大きな問題だ。
「あ、いたいた、穏佳」
疲れた心持で部屋に戻ろうとしたら、染谷優希に声をかけられた。
「穏佳、これ。この前、借りた開かずの寮室の鍵、ありがと」
穏佳の肩が、小さく震えた。
開かずの寮室は七不思議の六つ目だ。
(そういえば、あの部屋も七不思議だった)
開かずなんて呼ばれているが、鍵があれば普通に開く。
今は空き部屋になっているから、寮生が都合よく使っている。
男子高校生が二人部屋で生活している訳だから、そういう逃げ場所はあっていい。
それくらいお融通は、穏佳だって持ち合わせている。
鍵は寮長の穏佳が持っているから、必要な生徒が時々借りに来る。
(にしても、優希が借りに来たのは初めてか。珍しいタイプだな)
サッカー部の正統派王子様なんて呼ばれて人気のある染谷は、同性から見ても魅力的な人だ。
一年の時、同じクラスだったから、割と仲が良い。
とはいえ、プライベートにまで口を挟む気はないから、用途までは聞かない。
「確かに受け取った。しばらくは誰にも貸出さないから、皆にも伝えておいてくれ」
七不思議が実際、自分の身に降りかかっている今、関わりのありそうな場所を公開できない。
穏佳にとっては、本気で危険な場所だ。
しかし、公に使っていい部屋ではないので、大声で閉鎖の発信はできない。
噂程度に流れてくれれば、ありがたい。
「そうなんだ。もしかして先生や管理者の高橋さんから、注意とかされた?」
優希が申し訳なさそうな顔をする。
自分のせいだと勘違いしたようだ。
「いや、そうじゃないが……」
咄嗟に良い言い訳が思い付かずに、焦る。
「最近、使う生徒が多かったから。使用が増えすぎると目立って、本気で閉鎖されるだろ」
それらしいことを言って、誤魔化した。
「それもそうだね。じゃぁ、皆に何となく伝えておくよ。颯真辺りに話したら、きっとうまく広まるだろうから」
「そうだな、よろしく」
優希と同じサッカー部の鷹宮颯真は元気系王子様で誰とでも気兼ねなく話せる人だ。
一言話したら友達になれるタイプで器用だから、交友関係も広い。
巧くやってくれるだろう。
優希が、穏佳の顔をじっと見詰めた。
「あのさ、穏佳……何か、良いことあった?」
穏佳の表情を眺めながら、優希が小首を傾げた。
「は⁉ 別に、良いこととか、全然……」
穏佳の心臓が、僕りと跳ねる。
詩歌に抱き付かれた感触を思い出す。
「そう? 嬉しそうな顔、してるけど」
「別に、そんなこと、ないだろ」
ドキドキする胸は無視した。
(良いことで芽吹を思い出すとか、何考えているんだ、俺)
視線が無意識に詩歌を探した。
泳ぐ視線が、すぐに詩歌を見つけた。
食事を終えた詩歌は、同じ読書部の篠原結斗と談笑している。
これだけ人がいても、穏佳の目はすぐに詩歌を見つける。
(遠くで話していて、良かった……いや、別に。良かったって、何がだ?)
心臓の鼓動がなかなか収まらなくて、穏佳はシャツを握り締めた。
「悪い、優希。戻る」
「え? うん。じゃぁ、また」
優希を置き去りにして、穏佳は足早に部屋に戻った。
「ふぅ……」
机に手を衝いて、息を吐いた。
抱き付いた詩歌を思い出すと、また心拍が上がる。
(あの本に関わるようになってから、芽吹との距離がやけに近い。だから、ドキドキするんだ)
手を握ったり、繋いで歩いたり、挙句の果て、抱き合ったり。
その度に、穏佳の心臓が張り裂けそうに鳴り響く。
「なんで、こんなに……」
最初は、寮長として面倒を見ているだけのつもりだった。
一年生で、同室になった時から。のんびりしたマイペースな性格が、放っておけなかった。
関わるうちに、ただぼんやりしているだけではないと知った。
穏やかだと思いきや、時に大胆で、思い切りがいい。
他人のために一生懸命で、真っ直ぐで、正直で、自分を誤魔化さない。
柔らかくて優しい、なのに芯がある詩歌は、穏佳にとって初めて出会ったタイプの人だった。
(俺を優しいというけれど。本当に優しいのは、芽吹のほうだ)
詩歌は誰に対しても平等に優しくて親切だ。
相手は人間だけではない、幽霊にだって情をかける。
詩歌の机をちらりと窺う。
机の上に置かれた本を、手に取る。
最初のページには、詩歌の自己紹介が書いてあった。
「こんな本に応えなければ、危険に巻き込まれずに済んだのに」
穏佳だったら、手に取りもしない。
しかし、だからこそ幽霊は、榊悠梧は詩歌を選んだのだろう。
「絶対に見捨てない人間を選ぶなんて、お前も狡いな」
自分の言葉より悠梧を優先する詩歌が、正直気に入らない。
胸がモヤモヤして、本を破り捨てたくなる。
ジワリ、無地のページに文字が滲んだ。
『先に詩歌を選んだのは、僕だ』
ドキリと、胸が震えた。
(書き込んでいないのに、会話が……)
そう思って、夕食前を思い出した。
穏佳と詩歌が交わした会話を、悠梧は把握していた。
(書かなくても、知っているんだったな)
幽霊だから、どこからでも監視できるんだろう。
規格外すぎて、法則もルールもわからない。
(今、俺が苛々しているのは、それではないけど)
自分が先、なんて悠梧に言われるのは心外だ。
詩歌の魅力に最初に気が付いたのは、穏佳だ。
幽霊如きにマウントを取られるのは納得いかない。
「俺のほうが、芽吹をよく知ってる」
苛々したので、気持ちが声に乗った。
交換日記に、また次の文字が浮かんだ。
『名前も呼べない意気地なしには、狡いなんて言われたくないよ』
普通に、苛々が増した。
一瞬、これが怪異で幽霊の言葉だと忘れた。
(マウントかましてくるじゃないか、幽霊のくせに)
言い返そうとして、穏佳は言葉を飲んだ。
確かに穏佳は、詩歌と下の名前で呼べない。
(確かに意気地なし、なんだよな)
言い訳して、理由を付けて、自分の気持ちから逃げてきた。
「わかってる……さすがに気付いてるよ、俺だって」
詩歌に抱き付かれた時、それ以上を期待した。
自分の手が詩歌のどこに触れていいのか、わからなくなった。
(好きなんだ、詩歌のこと。多分、もっとずっと前から、この気持ちは俺の中にあって)
構いたいのは寮長だからではなくて。
詩歌の瞳に一秒でも長く映っていたいからだ。
この気持ちを恋だと自認しても、違和感なんかない。
(だから、お前にとられるのだけは絶対に我慢ならない、榊悠梧)
怪異に奪われて詩歌が手の届かない場所に行くのだけは、許さない。
穏佳は本を握り締めた。
「呼んでやろうじゃないか、名前で」
認めてやろうじゃないか、詩歌への恋心を。
穏佳は腹を括った。
「何があろうと、お前にだけは渡さないからな。詩歌を七不思議にはさせない」
穏佳はきっぱりと宣言した。
本に書いたら痕跡が残って詩歌に読まれるから、書かない。
声で断言しても、本に文字は浮かばなかった。
しかし書かれた文字が揺れて、笑っているように見えた。
まさか、自分がこんなにがっつり怪異に、しかも七不思議に関わることになるとは思わなかった。
(寮長として、良くないことなのはわかってる。だけど、芽吹を一人で関わらせるわけにはいかない)
明倫学園の七不思議は命に係わるかもしれないほど危険な怪異だ。
学園内を飛び越えて一般的に広まるほど有名になっている。
その七不思議を作った怪異に関わるなんて、危険でないわけがない。
(寮長として、生徒を守るためだ。芽吹だって、寮生で学園の生徒なんだから)
寮長は寮生を守る義務があるから。
そう、自分に言い聞かせた。
(それだけだ、それだけ……)
詩歌に抱き付かれた時の温もりと、背中に触れた感触を思い出す。
(あんなにしっかり触れたのは、初めてだな)
ずっと遠くから眺めるしかできなかった温もりに、初めて触れた。
自分の手を見詰める想いに、ドキリとして首を振った。
(何を考えているんだ。これから一緒にいる時間だって長くなるのに、こんな気持ちじゃ……)
こんな気持ちだったら、何だというのだろう。
自分は詩歌をどう想っているのだろう。
すぐ近くにある答えから、穏佳は目を逸らした。
(色々考え過ぎて、夕飯は進まなかったな)
小さく息を吐く。
穏佳にとっては怪異より、詩歌のほうが大きな問題だ。
「あ、いたいた、穏佳」
疲れた心持で部屋に戻ろうとしたら、染谷優希に声をかけられた。
「穏佳、これ。この前、借りた開かずの寮室の鍵、ありがと」
穏佳の肩が、小さく震えた。
開かずの寮室は七不思議の六つ目だ。
(そういえば、あの部屋も七不思議だった)
開かずなんて呼ばれているが、鍵があれば普通に開く。
今は空き部屋になっているから、寮生が都合よく使っている。
男子高校生が二人部屋で生活している訳だから、そういう逃げ場所はあっていい。
それくらいお融通は、穏佳だって持ち合わせている。
鍵は寮長の穏佳が持っているから、必要な生徒が時々借りに来る。
(にしても、優希が借りに来たのは初めてか。珍しいタイプだな)
サッカー部の正統派王子様なんて呼ばれて人気のある染谷は、同性から見ても魅力的な人だ。
一年の時、同じクラスだったから、割と仲が良い。
とはいえ、プライベートにまで口を挟む気はないから、用途までは聞かない。
「確かに受け取った。しばらくは誰にも貸出さないから、皆にも伝えておいてくれ」
七不思議が実際、自分の身に降りかかっている今、関わりのありそうな場所を公開できない。
穏佳にとっては、本気で危険な場所だ。
しかし、公に使っていい部屋ではないので、大声で閉鎖の発信はできない。
噂程度に流れてくれれば、ありがたい。
「そうなんだ。もしかして先生や管理者の高橋さんから、注意とかされた?」
優希が申し訳なさそうな顔をする。
自分のせいだと勘違いしたようだ。
「いや、そうじゃないが……」
咄嗟に良い言い訳が思い付かずに、焦る。
「最近、使う生徒が多かったから。使用が増えすぎると目立って、本気で閉鎖されるだろ」
それらしいことを言って、誤魔化した。
「それもそうだね。じゃぁ、皆に何となく伝えておくよ。颯真辺りに話したら、きっとうまく広まるだろうから」
「そうだな、よろしく」
優希と同じサッカー部の鷹宮颯真は元気系王子様で誰とでも気兼ねなく話せる人だ。
一言話したら友達になれるタイプで器用だから、交友関係も広い。
巧くやってくれるだろう。
優希が、穏佳の顔をじっと見詰めた。
「あのさ、穏佳……何か、良いことあった?」
穏佳の表情を眺めながら、優希が小首を傾げた。
「は⁉ 別に、良いこととか、全然……」
穏佳の心臓が、僕りと跳ねる。
詩歌に抱き付かれた感触を思い出す。
「そう? 嬉しそうな顔、してるけど」
「別に、そんなこと、ないだろ」
ドキドキする胸は無視した。
(良いことで芽吹を思い出すとか、何考えているんだ、俺)
視線が無意識に詩歌を探した。
泳ぐ視線が、すぐに詩歌を見つけた。
食事を終えた詩歌は、同じ読書部の篠原結斗と談笑している。
これだけ人がいても、穏佳の目はすぐに詩歌を見つける。
(遠くで話していて、良かった……いや、別に。良かったって、何がだ?)
心臓の鼓動がなかなか収まらなくて、穏佳はシャツを握り締めた。
「悪い、優希。戻る」
「え? うん。じゃぁ、また」
優希を置き去りにして、穏佳は足早に部屋に戻った。
「ふぅ……」
机に手を衝いて、息を吐いた。
抱き付いた詩歌を思い出すと、また心拍が上がる。
(あの本に関わるようになってから、芽吹との距離がやけに近い。だから、ドキドキするんだ)
手を握ったり、繋いで歩いたり、挙句の果て、抱き合ったり。
その度に、穏佳の心臓が張り裂けそうに鳴り響く。
「なんで、こんなに……」
最初は、寮長として面倒を見ているだけのつもりだった。
一年生で、同室になった時から。のんびりしたマイペースな性格が、放っておけなかった。
関わるうちに、ただぼんやりしているだけではないと知った。
穏やかだと思いきや、時に大胆で、思い切りがいい。
他人のために一生懸命で、真っ直ぐで、正直で、自分を誤魔化さない。
柔らかくて優しい、なのに芯がある詩歌は、穏佳にとって初めて出会ったタイプの人だった。
(俺を優しいというけれど。本当に優しいのは、芽吹のほうだ)
詩歌は誰に対しても平等に優しくて親切だ。
相手は人間だけではない、幽霊にだって情をかける。
詩歌の机をちらりと窺う。
机の上に置かれた本を、手に取る。
最初のページには、詩歌の自己紹介が書いてあった。
「こんな本に応えなければ、危険に巻き込まれずに済んだのに」
穏佳だったら、手に取りもしない。
しかし、だからこそ幽霊は、榊悠梧は詩歌を選んだのだろう。
「絶対に見捨てない人間を選ぶなんて、お前も狡いな」
自分の言葉より悠梧を優先する詩歌が、正直気に入らない。
胸がモヤモヤして、本を破り捨てたくなる。
ジワリ、無地のページに文字が滲んだ。
『先に詩歌を選んだのは、僕だ』
ドキリと、胸が震えた。
(書き込んでいないのに、会話が……)
そう思って、夕食前を思い出した。
穏佳と詩歌が交わした会話を、悠梧は把握していた。
(書かなくても、知っているんだったな)
幽霊だから、どこからでも監視できるんだろう。
規格外すぎて、法則もルールもわからない。
(今、俺が苛々しているのは、それではないけど)
自分が先、なんて悠梧に言われるのは心外だ。
詩歌の魅力に最初に気が付いたのは、穏佳だ。
幽霊如きにマウントを取られるのは納得いかない。
「俺のほうが、芽吹をよく知ってる」
苛々したので、気持ちが声に乗った。
交換日記に、また次の文字が浮かんだ。
『名前も呼べない意気地なしには、狡いなんて言われたくないよ』
普通に、苛々が増した。
一瞬、これが怪異で幽霊の言葉だと忘れた。
(マウントかましてくるじゃないか、幽霊のくせに)
言い返そうとして、穏佳は言葉を飲んだ。
確かに穏佳は、詩歌と下の名前で呼べない。
(確かに意気地なし、なんだよな)
言い訳して、理由を付けて、自分の気持ちから逃げてきた。
「わかってる……さすがに気付いてるよ、俺だって」
詩歌に抱き付かれた時、それ以上を期待した。
自分の手が詩歌のどこに触れていいのか、わからなくなった。
(好きなんだ、詩歌のこと。多分、もっとずっと前から、この気持ちは俺の中にあって)
構いたいのは寮長だからではなくて。
詩歌の瞳に一秒でも長く映っていたいからだ。
この気持ちを恋だと自認しても、違和感なんかない。
(だから、お前にとられるのだけは絶対に我慢ならない、榊悠梧)
怪異に奪われて詩歌が手の届かない場所に行くのだけは、許さない。
穏佳は本を握り締めた。
「呼んでやろうじゃないか、名前で」
認めてやろうじゃないか、詩歌への恋心を。
穏佳は腹を括った。
「何があろうと、お前にだけは渡さないからな。詩歌を七不思議にはさせない」
穏佳はきっぱりと宣言した。
本に書いたら痕跡が残って詩歌に読まれるから、書かない。
声で断言しても、本に文字は浮かばなかった。
しかし書かれた文字が揺れて、笑っているように見えた。



