交換日記から始まる、僕らの恋と七不思議。

 ほくほくした気持ちで、詩歌は風呂から戻った。
 まだ少し湿った髪を、タオルを被る。

「お風呂は気持ちいいねぇ」
「早く髪を乾かさないと、風邪をひくぞ。洗濯物はリネンに出すのか? 自分で洗う?」

 穏佳が被っているタオルで髪を拭いてくれた。
 
「ん、今週はランドリーで自分で洗う……」

 穏佳の手が止まった。
 見上げると、穏佳の目線が詩歌の机に釘付けになっていた。
 閉じて置いたはずの交換日記が開いている。
 詩歌は穏佳と一緒に、日記を覗き込んだ。

『男子寮三階の古い洗面台、一番奥の鏡を、見て』

 新たに書き込まれた文字を見詰めて、詩歌と穏佳は息を飲んだ。
 自然と顔を見合わせた。

「男子寮三階の古い鏡って……」
「……明倫の七不思議の、一つ目だ」

 穏佳が蒼い顔をしている。
 詩歌はペンをとると、本にサラサラと書き込んだ。

「どうして?」

 少しの間を開けて、文字が浮かび上がった。

『夜中の二時。この本を持って、必ず二人で、見に行って』

 返事ではなく、かなり具体的な指示が書き込まれた。

「鏡を見ないと、君を見つけられないの?」
『見てくれたら、きっとわかるから』

 浮かび上がった文字を見詰めていた穏佳が、徐に本を閉じた。

「やっぱり危険だ、やめよう。この本は図書室に戻す」

 穏佳の手が本に伸びる。
 その手が触れる前に、詩歌は本を抱えた。

「ダメ。京久野君はやめてもいいけど、僕は行く。ちゃんと見つけるよ」
「芽吹、諦めろ。どう考えても普通じゃないし、危険だ。明倫の七不思議が本物の怪異だって噂は有名だ。芽吹も知っているだろ」

 穏佳の声が、真剣みを帯びている。
 明倫高校の七不思議が危険だという噂なら、詩歌も知っている。
 
「その噂が本当かどうか、わからないもん。見つけるって、僕は約束したんだ」
「面白いとか不思議とか、そんなレベルじゃない。芽吹だって、もうわかっただろ」

 穏佳が本に手を伸ばす。
 詩歌は本を抱えて背中を向けた。

「芽吹、いい加減に……」
「見つけてほしいのも、会いたいのも、きっと理由があるんだよ」

 詩歌は穏佳を振り返った。

「京久野君の言う通り、危ないかもしれないとは思うから。僕一人でもいいか、聞いてみるね」

 詩歌は本を開くと、ペンを持った。
 書くより早く、文字が浮かび上がった。

『明倫学園七不思議、五つ目。図書室の増える蔵書』

 その文字を見て、詩歌の背筋にぞわりと寒気が走った。
 
「まさか、この交換日記が、七不思議の五つ目……?」

 穏佳が呟く。
 詩歌は言葉が出なかった。

『詩歌はもう、七不思議に触れている。僕を見つけなければ、君が次の七不思議だよ』

 細く吸い込んだ息が、短い悲鳴のように響いた。
 詩歌は反射のように文字を書き込んだ。

「僕が会いに行くから、君を見つけるから。京久野君は外して」
「おい、芽吹!」
「ダメ! 京久野君は、来なくていい。僕一人で探す」

 軽いノリで本に穏佳の名前を書いたことを、詩歌は後悔した。

 過去に明倫学園の七不思議で死者が出た噂は、学園内外問わず有名だ。
 怨霊を鎮めるため、学園の敷地内には神社まで建っている。
 百年以上も昔から語り継がれる七不思議だから、大袈裟に語られているだけかもしれない。
 しかし、学校側は七不思議を調べることを硬く禁止している。
 ネットでも大きく噂になっている。他の学校の七不思議とは質が違うと、詩歌も感じる。

 何より、この本を目の当たりにして、ただの噂と片付けられない。

(また、やっちゃった。また僕のせいで、助かるはずの人が傷付いちゃう)

 詩歌は、ぐっと唇を噛んだ。
 助けたいから、本の声に応えたのに。
 そのせいで友達を傷付けるなんて、絶対にしたくない。

(やっぱり京久野君の名前、書かなきゃよかった。どうしてあんなに簡単に書いちゃったんだろう)

 まるで導かれるように、あの時の詩歌は交換日記に穏佳の名前を書いた。
 自分の軽率な行動を、改めて後悔した。

 穏佳が本と詩歌を見比べる。

「仕方ないな」

 小さく息を吐くと、詩歌からペンを奪った。

「え……京久野君」

 穏佳の手が伸びて、交換日記に文字を書き込んだ。

「二人で、君を探す。だから芽吹を傷付けるな」

 書かれた文字と穏佳を見比べた。
 さっきまで慌てていたのに、今は落ち着いている。
 顔はちょっと怒っている感じだ。

「乗りかかった船だからな。ここまで関わって見て見ぬ振りは、寝覚めが悪い」

 穏佳が、ふんと鼻を鳴らした。

「でも、危険な七不思議なのに」
「そんなの、今更だ。最初から危険だって、言っただろ」
「うん……ごめんなさい」

 しゅん、と肩が落ちる。
 穏佳が詩歌にペンを返した。

「その代わり、一人では動かないこと。何かする時は絶対に二人で、だ。本に新しい記載があったら、二人で情報を共有すること。約束だからな」
「うん……」

 ジワリと目に涙が滲んだ。

「ごめんね、京久野君。ありがとう」

 穏佳のシャツを引っ張る。
 詩歌の肩を、穏佳が撫でた。

「もう、謝らなくていいから……」

 穏佳の腕に、ぴたりと顔を添わせる。

(京久野君に、迷惑かけちゃった。これからは、気を付けなくちゃ。僕は京久野君に、甘えてばっかりだ)

 穏佳の腕が、ビクリと震えた。
 見上げると、穏佳の照れた瞳が詩歌を見下ろしていた。

「京久野君?」

 首を傾げたら、穏佳の腕に頬が触れた。

「いや、その……何でもない」

 穏佳が、そっと腕を引っ込めた。
 その目が、本に向いた。つられて詩歌も視線を向けた。

『深夜二時、洗面台の鏡。二人に会えるのを、楽しみに待ってるよ』

 浮かび上がった文字を見詰めて、詩歌と穏佳は息を飲んだ。